https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/27/205924
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/25/212430
一応、備忘録として。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/01/151154
我々はアイノ推進法制定に疑問を持ち、なら1から歴史の勉強をしてみようか…と考えて学び始めた事は第一項で記載した。
近現代へ至るプロセスの一連はこんな感じ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/11/115652
で、民族運動第1世代の主張が前項になる。
①法的には全く区別はされていない
②「滅びゆく」や「文化が低い」らのイメージが先行し、なかなか就職,結婚らに踏み込めず
③若い世代は北海道から他地域へ行き、自立の道を進む…これが盛んに言われていた
④行った先で幸せを掴み豊かな暮らしが出来ているなら誠に結構な事だ
⑤どうしても、身近でお互いの素性が解る北海道においては「古いアイノ」イメージ払拭が出来ていない
⑥上記①~⑤を踏まえ、古いイメージを匂わせる「旧土人保護法」も「観光アイノ」も止めてしまえ…
が、これら主張は、現在巷で盛んに言われたり、政府広報らで流布される話とは差異がある。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/08/07/201518
歴史の学びの方でも、こんな感じで、
・古代から北海道と東北は繋がっており、その関係が切れた事は無い。
踏まえても踏まえずとも、ここは立証出来てしまう感じ。
金田一博士に至っても東北の文化の派生で、民族などと言うものではないと主張していた。
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1557828460546248704?t=szI_mEbmK5FUQCxeGZP8gg&s=19
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1566002173003329536?t=L-P--ekn9kdoX-739g1LTw&s=19
まぁネットサーフィンするだけで現在に至る断片は出て来る。
さてでは、現在何故、第1世代の主張から変質したのか?
ちょっとだけ断片を見てみよう。
あくまでも「断片」でありそれぞれの主張、取材結果である。
①「北海道が危ない!」
「北海道にはいわゆる「アイヌ」と自称する者たちが存在する。「アイヌ」という言葉を聞いて、北海道に古くから住み、自然と共に平和に暮らしてきた神秘的な人たちというイメージを思い浮かべる人が大半だろう。
私がなせ"いわゆるアイヌ"と書いているか?
「アイヌ」が自称として使われるようになったのは、明治に入ってからのことである。奥羽地方以北に住んでいた部族は、過去に一つにまとまった歴史となく、統一された言語も文化もあったわけではない。
しかし、今のいわゆるアイヌ論は、そのような客観的な事実を無視して、「アイヌ」という先住民族がいたという前提で論じられている。古来より北海道で自然と共存してきた先住民族アイヌが、和人の侵略により土地を奪われ、同化政策により文化と生活の術を奪われ、貧しさの中で暮らし、差別されてきた、という歴史(ストーリー)に依拠した論だ。
そのようなストーリーに基づき、アイヌ文化振興法が制定され、アイヌ先住民族決議が採択され、アイヌ生活支援政策に国民や道民の税金が投入されている。」
「祖父母は戦前から「アイヌの自立」を訴えて活動した。祖母は言語学者の金田一京助とも親交があった。父の砂澤ビッキは世界的な彫刻家であったが、「アイヌ」であることを理由に補助金に依存して生活する者たちを激しく嫌悪し、自分が彼らの広告塔として利用されるのを嫌っていた。
私たちは、いわゆるアイヌの血を引いていることで、「アイヌの○○」というレッテルを貼られることに対して、一族で向き合い、葛藤してきた。「アイヌ」で飯を食うことそれ自体が、アイヌの血を受け継いだ人々から自立心を奪い、誇りを奪うことになるからだ。」
「アイヌ政策の名の下に、客観的な原状調査もなされず、歴史認識もあいまいな中での税金による助成は、自立を拒む物を生み出すだけだ。自立する意思を失わせることは弱者を虐げることにしかならない。」
「北海道内で強力な力を持つ「北海道アイヌ協会」「北海道教職員組合」「北海道新聞」「北海道選出の某大物政治家」「中国人経営者」などに対し、これから批判記事を書く以上、反発があることは覚悟している。」
「北海道が危ない!」 砂澤陣 扶桑社 2016.9.13 より 引用…
砂澤陣氏は父「砂澤ビッキ」氏…いやここではむしろ、祖父母「砂澤市太郎,ベラモンコロ」の孫と言うべきかも知れない。何せ、旭川の近文で「解平社」の設立メンバー。
その主張は「アイヌよ、自立せよ」。
活動資金もほぼ自腹で、民芸品を制作販売し用立てし、給与地問題らに対応したり演説会をしていたガチ活動家。
吉田菊太郎翁が「あいぬ人物紹介」で挙げブログでも紹介した「川村カ子ト」氏の弟、「川村才登」氏らとも親交があった様だ。
この辺は荒井源次郎氏らとも繋がるだろう。
給与地問題をクリアにし、アイノ自身が自立する為「古いイメージ」を払拭して欲しい、同時に自立していこう…
なんら吉田菊太郎翁の主張と変わらない。
砂澤陣氏は「プロ・アイヌ」と記述するが、様は観光アイノらの活動をする人々を含め補助金をそんな人々に還流させる協会体質や、差別を植え付ける教育、癒着する行政、批判する事なく逆に批判を許さぬ風潮を作るマスコミら、選挙の為利権を利用する一部政治家らの姿勢、これらを批判、砂澤本人も父ビッキ氏が嫌った協会に入り確認した事や某○○同盟を幹部に据えた…らも含めて記事がある。
主なところは、
・修学資金貸付制度の未返還
・職業訓練に伴う癒着
・平成21年にあった文化事業費の不正問題や伴う協会幹部の辞職
・金子市議発言問題
・追求に弱腰な当時の知事
・国会議員と協会の接近と国会決議
・国会内での人脈や沖縄との関係
・新左翼活動家と教組とマスコミ
・海外資本に対する土地売却問題や中華街構想
etc…
「私は、この交通費の不正と障害者枠で行われているアイヌ職業訓練の中にある多くの不正問題の現実を明るみに出そうと、道庁、市役所、教育委員会、ハローワーク、職業訓練校に何度も足を運び談判を続けたが、その裏でアイヌ協会役員と国会の「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」に暗躍した国会議員から圧力がかかり始めたと同時に、私の会社への執拗な嫌がらせも始まった。
行政には、本気でアイヌ協会の不正に切り込む気概はなかった。ある道義会議員が私に打ち明けたことだが、協会の不正に切り込めば、「何人の道職員や市町村職員のクビが飛ぶか分からない」のが実情だ。それほど行政とアイヌ協会は癒着していた。
このため、行政に対してどんなに協会の不正を告発しても、行政は動いてくれないばかりか、○○が✕✕の告発をしたと、情報をそのまま協会に流してしまう始末だった。その結果、告発者に圧力がかけられ、以後は何も言えない状態に追い込まれてしまう。そんな事例を、これまで何度耳にしたことか。」
「北海道が危ない!」 砂澤陣 扶桑社 2016.9.13 より 引用…
砂澤氏は、不正を確認する為に協会に参加したが、後に除名されている模様。
詳細が気になる方は同書をご一読戴きたい。
②「アイヌ探訪」
こちらは元々主に、部落解放同盟を取材しているジャーナリスト。
その延長線で北海道で取材した内容らを記事している。
関係があるのか?
同書によれば、1974年に同団体大阪連合会に政治共闘局が作られ、様々な団体との共闘が試みられ、アイノ側と言うよりは同団体側からのアプローチでコネクションが出来上がったとしている。
ここで共闘のきっかけは、1969年に制定された「同和対策事業特別措置法」。
この制定に尽力した自民党の秋田衆議が、ウタリ協会理事長の野村義一へ面談申し入れ、附則にアイノも準用したい旨を申し入れた様で。
ウタリ協会は、当時の町村金五北海道知事に意見を求めたが、「同和問題とアイヌ問題は本質的に異なる」事を理由に加えるべきではないと回答、その代わりに北海道としてアイノ対策を検討する事を確約。自民党内にも切り離した対応をする用意さあったと示唆、としている。
1974年からその対応で「北海道ウタリ福祉対策」と言う道としての予算枠を組まれ対応、これが砂澤氏らも指摘する住宅資金貸付制度や進学奨励金等。
ただ、同和対策事業は2002年をもって終了、ウタリ福祉対策も一度終了した事にはなっているが、名前を変えながら現在も継続していると言う。
共闘を呼びかけた時期に、同団体幹部が当時のウタリ協会の副理事長だった貝澤正氏と面会した時の報告として「大部分のアイヌ人が「寝た子を起こすな」意識に浸されている」としている。
つまり、元々は出自を隠してでも同化する意識の方が大部分だった様だ。
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1557828460546248704?t=HgFL_pmnj8MwDv7mGzB-nQ&s=19
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1557940696686166016?t=SXZv_BhR8kUlaRdhX14Jdg&s=19
まぁ筆者もネットサーフィンだけでも、芋づる式にバタバタ繋がると呟いた事はある。
’70年安保ら活動家らが活発な時期とも重なる。中には過激派が起こした事件らもあったのは、一定年齢より上の方なら記憶しているだろう。
ここから2008年の先住民決議(考える会世話人は今津,鳩山,鈴木各衆議、橋本,紙各参議、官房長官は町村氏)、そして2019年の所謂アイヌ推進法(官房長官は菅氏)へ至る訳だ。
とはいえ、秋田衆議ら政治や人権教育を推進する立場の中では「無関心は差別である」と言う考え方から立脚する。
つまり「被差別者」としての冠が出来さえすれば、その視点で論じれば必ず被差別者からスタートされる。
スタートラインが、一般人の全く違うのだろう。
だからその立場の方と議論しようとしても、バックボーンの違いから擦り合わせなければ話が噛み合うハズもない。
まぁ筆者の場合、SNSらでそんな議論は全くしない事にしている。
優先順的に擦り合わせしてまで、そんな議論に時間を使う余裕は、積み上がる文献を見れば全く無いし興味もない。
さて、では、同書で直接インタビューされた内容から、幾つか引用(下記「」内 )してみよう。
取材は、新ひだか、平取、白老の資料館や「生活館」を回りきっかけを作り、更に旭川,阿寒,千歳,札幌に居るアイノの血を引く人々へインタビューをしたと言うもの。
・白老モシリの関係者
(どうやってアイノと判別するか?)
「昔は戸籍に『旧土人』と判が押してあったんですけど、今はもう分からないです。ただ、(アイヌ)協会の支部に入る場合は血筋が関係していて、戸籍をさかのぼってアイヌの名前の人がいれば確かにそうだということになります。ただ、この戸籍も簡単に見れないですよ。家族でもいろいろと書類をかかないといけません」
(解放同盟とアイノの関わりについて)
「関わっている人はいますね。でもほとんどのアイヌとは関係ないですよ。アイヌ協会の一部の人のことです」
この他、
金子元道議のアイヌはもう居ない発言へは、旧土人保護法があったのに何を今更とし、未だアイノだから付き合うならの差別はあるとする。
また、北方領土はアイノのものからの政治的な話は、様々な意見があり答え辛いとの事を
・川村兼一氏
(金子元道義の発言について)
「河野本道って知ってる?金子の言ってることはそれと同じだよ。金子議員を支援する会って、小野寺(秀・北海道議員)が主催しているでしょ。あいつが言ってることも同じだよ」
「金子は阿部一司の不正を暴きたかったんだから、それだけにしとけよ。何がアイヌはいないだ。余計なこと言うから悪いんだあいつは」
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/05/12/054834
一応…
このブログを見る方ならご存知だろうが、本道氏は河野広道博士の息子で、河野常吉氏の孫。
広道博士も特高警察に逮捕される経験を持つが、本道氏もアイヌ解放同盟やウタリ協会に協力していた様だが、基本スタンスの差か?、後に協会から提訴されたりしている様だ。
本道氏の義理の兄弟が、土器の「宇田川編年」で著名な宇田川洋氏の様で。
確か、まだ身内の研究者はいたかと思うが、情報が消えてる様なんで止めておく。
「北海道が危ない!」にもあった不正経理の問題だけでなく、川村氏は協会とは相容れぬところがあるとの事。
「自分の先祖の骨を売って国立博物館作ってもらうのか。あんなものはアイヌ協会ではなくてウェンペ協会だ。アイヌというのはいい人だけをアイヌというんだ。悪い奴はウェンペ。あんな奴は人間じゃねえ」
この著書が書かれた段階で旭川では協会と別に旭川アイヌ協議会という別組織がある様で、川村氏は協議会側の様で。
確かに白老では骨を一括で集めていたかと思うが、川村氏は墓に戻せというスタンスで同調はしていない。
川村氏こそ、2009年に天皇の謝罪や5兆円の賠償を求めた人物で、その目標はコミュニティ復活だそうで。
ここで、興味深い発言。
1997年の文化推進法制定時の裏話。
「オレたちは一八年前、ウタリ対策資金について、『なくなっていいよ』って言ったんだ。それなのに、北海道の各市町村の福祉部が、なくさないでくれと。なんでか、例えば二年前に静内で町の奴がアイヌの家に行って、住所変更してくれと、住所変更した、そこで道路工事が始まった。そういうことを各地でやってんの!」
著書によれば、対策資金はアイノの為と言うより市町村利権になっている面があると言っている。
我々のスタンスは「鵜呑みは無し」、一応そんな話もあるって事で。
ただ、この手の話は予算執行が絡むので、予算書や資料開示請求らで裏付けは取れるのではないか。
まぁ二重帳簿になっていればムリだろうが。
筆者は「地方行政上の問題」には首を突っ込む事はしない。
川村氏の目標に対して、原状そのコミュニティはあるか?と問えば、答えは歯切れは悪い様だが。
・秋辺日出男氏…
(イオマンテの為に小熊を飼っていた事について)
「可愛いんだわ。人間の子供より可愛いがって育てたんだから」
イオマンテは果たせなかった模様。
ただ、それだけでなく長老にも反対された様だが、秋辺氏が危惧する問題は別。
「例えば、首を切ったことなくても、クビと言えば日本人なら意味はわかるし、詰め腹と言ったら外人には一時間は講義しないと伝わらない、でも日本人ならわかるでしょ。テレビ見れば水戸黄門があるし大岡越前があるし、恵まれてるよ。アイヌにはそれがないの。その原状を何とかしたいけど、分からないでしょ」
なので、白老の民族共生空間を高く評価する。
「あれは俺がやりたい事を実現するための第一歩として、よい宣伝塔になる。北海道に残された負の遺産を元に戻すために、日本政府とアイヌが一緒になって頑張りましょうということ」
秋辺氏の目標は、国家と民族は別であり、あくまでも「日本国内に自治区を作る」事だそうで、独立論は否定する。
「北海道の開拓民はもう四代目になる。アイヌが土地を奪われた、虐げられた、そうならなおさら今いる人に同じことをやったらいけないでしょ。今いる人に迷惑をかけないようにしないといけない。だから、アイヌの独立というのは求めないわけ」
「北教組(北海道教職員組合)の大会で講演した時に、日本民族の復権を訴えたら、嫌そうな顔をされた」
「俺は右翼にも左翼にも嫌われている。例えば天皇について、左翼ななんで天皇制に反対しないんだと言う。一方、右翼な天皇万歳しろという。でも、それは津軽海峡の向こうの話でしょ。もともと外国だったんだから。北海道が日本になったからと言って、いきなり天皇万歳できるわけでもないし、でも本州の人たちが天皇万歳するのは当然のことでしょ。自分たちのボスなんだから。他人の神様のことをとやかくいおうとは思わない」
著者の言い分ももっともかもしれない。
左翼はマイノリティ対策を好むが、秋辺氏にしても川村氏にしても民族の復権…ナショナリズムであり、それを認めれば、他のナショナリズムも認めねばならない、日本人としてのナショナリズムもだ。
その上で解放同盟らがやっていた差別を理由に役所に強引な要求をする行為は人権テロリストと批判する。
(アイヌを民族と呼べる根拠は?)
「本州も東北異国は豊臣秀吉に責められる前は異民族だった。明治維新後に廃藩置県になる前?、あちらこちらが部族だったと思う」
と、明確には答えなかったとしている。
秋辺氏が居たのは阿寒のアイノコタン。
北海道でアイノに取材と言うと、概ね白老か阿寒と言われるようで。
とはいえ、この阿寒も元々アイノ部落だったりアイノの土地ではなく、薩摩出身の前田一歩園の土地で1950年代に文化振興条件で無償貸与された土地だそうだ。
締め括りは秋辺氏は自嘲気味にこう言ったと言う。
「まあ、俺は観光アイヌだから」
・中村吉雄氏…
千歳アイヌ協会の会長で、鮭漁初回の儀式「アシリチェブノミ」を見学してから取材に応じたとの事。
これには地元行政職員や議員、一般見学らも含め参加するイベント化しているとしている。
詳細は著書で。
著者が持った印象は、道から予算補助を受け行わるイベントだが、お役所仕事的な側面や必ず「自然と調和し暮らす」等前置詞が議員や元教員から付けられたり…伝統的文化継承と言うよりむしろ、「官民一体になって盛り上げている文化」と言う一面を見たと言う。
事にその前置詞については、
「北海道、というよりも蝦夷地。それはとても過酷な生活だったに違いない。厳冬、不作、そして熊害、貧困との闘いではなかっただろうか。そんな状況の中で「アイヌは自然と共存し…」という生易しい生活がありえただろうか。しかしアシリチェブノミに集まった行政関係者、議員、観光客、そしてアイヌ協会の面々は、必要以上に「アイヌ」を美化している印象だ。もちろん地域があるところに文化があり、尊重する気持ちは筆者も同じだ。」と。
さて、
(奨学金や生活資金貸付金の延滞らについて)
「確かに何年も前から機関紙などでも適正に返還するようにという呼びかけをしている。貸し付けを受けたアイヌの全てが延滞しているわけではない」
(解放同盟や傘下のIMADRと連携があるが、どの様な関係か?)
「日本人でもいろいろいるだろ。アイヌの中にも同和団体に理解を示す人がいてもいいじゃないか。ただうち(千歳アイヌ協会)は関係ないからな」
中村会長によれば、協会には地位向上と言う共通項はあるが、各支部の政治的主張や活動するかや、どんな政党,団体と付き合うか等はお互い干渉しないそうで。
突き詰めると、北方領土問題に対する考え方もバラバラとの事。
全く一枚岩とは言えない事になる。
・石井ポンペ氏…
著者は解放同盟,らを取材しているが、申込みするとまず門前払いだそうだ。
だが、石井氏は「飯でも食おう。そうだ、サンマでも焼くか」と、トノトで一杯やりながら取材に応じたと言う。
それもご自宅。このパターンは初めてだと言う。
(解放同盟らとの関係について)
「初耳だ」
と驚いたそうで。
著者によれば、行政に対する要求運動で歩調を合わせる事あれど、必ずしも全て連帯という訳ではなさそうだ、と。
(札幌ピリカコタンについて)
「(ピリカコタンは)遠かったでしょ」
「あれじゃ年寄りはいけないよ。だから私は植物園(北海道大学植物園)あたりのビルを借りてやればいいじゃないか、そう言っていたんだ」
「ピリカコタンの建設には、帯広から来た建設業者もいたんだ。札幌にいくらでも業者はあるんだけどね。結局、オープニングも一年近く遅れてしまったんだ」
この帯広の業者は笹村組との事で、帯広支部長且つ市議が経営する会社と説明されたという。
石井氏は札幌市職員としてアドバイザーをやっていた。
「アイヌ文化の振興に関わる四つの事業者がタペストリーなどの展示物を作ったんだけど、総額で数億円がかかっているんだよ。」
著者はピリカコタンでも取材したが、所謂ハコモノ行政イズムの問題点の縮図を見たと記述する。
施設固有の物がない…
昔の文化財でなく、現在の事業者が作ったもの…
莫大な費用とスカスカのスペース…
訪れぬ人々…
ハコモノ先行で、中身は後…
「そして今、左派の人が忌み嫌う自民党、普段は「右翼反動」と憎悪を燃やす清和会の会長の肝いり施設が建設されようとしている。逆に言えば彼らの言う人権は、自民党の手のひらにあると言っても過言ではないだろう。」
清和会は福田派→安倍晋太郎派→三塚派→森派→町村派→細田派→安倍晋三派…だったか。
流れ的には、先述のアイノ施策に関わる官房長官を見ても、福田内閣の町村官房長官、安倍内閣の菅官房長官と、著者の話は理解出来る。
興味深いのは、ハコモノを嫌う左派政党がこれには反対していた様子はない事。
著者と石井氏は一献傾けながら行政問題や文化の話をした様だ。
著者的には、話題を変えてもアイノ論議に戻る様が書かれるが何より議論出来た事が従来取材とまるで異なったとしている。
この取材で、著者が考察している点は、
協会内,活動家間でスタンスの違いがある…
必ずしも関係が全て良好な訳ではない…
税金をあてにするもの、しないものそれぞれ…
これらは、それぞれが求めるものが違うからと推測している。
・安部ユポ氏…
「そりゃね、アイヌの運動を始めた頃は、半分が学会員で半分が共産党でしたよ。基本的き貧困層向けにあの両団体は、勧誘するでしょ?」
「貧しいアイヌ集落に戦後、創価学会の信者が勧誘にやってきた。彼らは、お洒落なジャケットを羽織身なりもよくスマートに見えた。もともとアイヌは、風呂という習慣がなく、環境も不衛生で寿命も長くはなかった。そんな時に、学会員は都会的でかっこよく見えたよ。アイヌが学会員に魅力を感じたとしても不思議ではないね」
因みに、著者は安部氏は20年位前には脱会していたと前述しているので念の為。
(アイヌの定義はなにか?)
「アイヌの認定基準については、一九八四年にアイヌ新法として知事、議会、ウタリ協会(当時のアイヌ協会)の三者で国に提出した。そして一九九ニ年に政府からヒヤリングがあったんだけど、その時に"アイヌの定義は何か"とか"協会の会員はどうやって決めているか"ということを聞かれました」
返答は、
アイヌの血があること…
アイヌと結婚していること…
アイヌの家に養子に行った一代…
の3点。
ベースは明治で作成された戸籍、またコタン毎に昭和12年まで生活調査があり、それらの資料で判断する。
原本は法務局、コピーが北海道アイヌ協会にあるとの事。
但し、この認定、ニ重構造らしい。
使う制度によりら基本的に協会に委ねられたとされる認定制度だけでなく、場合により独自基準で認定する場合もあるとしている。
「北海道や自治体が勝手に認定してしまうんですよ。北海道の全部の自治体でアイヌ協会がアイヌを認定しているわけではありません」
「有名人だからと言ってアイヌとは限りませんよ。私は鵡川町の生まれだが、そこに有名なアイヌ活動家がいました。ところがこの人のお父さんがアイヌの養子かアイヌの混血らしい。そして二代目が養子。これは日本人になるでしょ。ところがその孫にあたる人までアイヌ協会の役員をやってる場合もあるんです」
こうして、協会の中に残り所謂利権を…とばかりも言えぬらしく、制度そのものが古い為に例えば住宅ローンらにおいては銀行ローンの方が得だと言うケースも実際にあったり、制度を使った人が貸付金返済出来ず手放した事例はあるそうで。
(白老の民族共生施設について)
著者のインタビューではその評価は分かれるそうだが、安部氏曰く…
「国が慰霊施設、交流施設、博物館を作ってくれるのは、大きい。ニ〇〇七年に採択された先住民族の権利に関する国際連合宣言には、25条から46条までは、土地や資源の話だけど、これを文化振興法につなげてほしいと思っているんです。私は、安倍(晋三)さんが良いことをやったと思っている。第一次安倍内閣の時に中国残留孤児の帰国者の年金を拡充したでしょ(改正中国残留邦人支援法)。ああいうことをぜひアイヌにもやってほしい。アイヌ政策推進会議(ニ〇一三年九月一一日)でも菅官房長官が真っ先に私のところに来て名刺を渡してくれたよ」
著者は、「非常に自民党の意向が大きい」としている。
確かに、永田町の動き的には、自民党…というより、政権与党のリードでこれらが進み、何でもかんでも反対側に立つ野党すらこれらに関しては全く反対側に立つ事はない、という珍しいケースかも。
ここは著者が専門とする解放同盟らの問題でも同様ではあるようだが。
同著を著者はこう締め括る。
「戦後の長い間、「アイヌは民族だ」ということをアイヌ自身が主張しなかったし、文献には民族としてのアイヌの存在を否定する記述もあった。それはなぜか、現在「アイヌは民族だ」と主張する側に問えば、決まって「かつてはアイヌ民族の存在が自明だったから」といった返事が返ってくる。
しかし、そうではないように思う。本当の理由は極めて政治的なものであって、かつては「誰がアイヌか」ということに政治的に大した意味はなかったが、今は「誰がアイヌか」ということが、政治的な利害に直結してくるのだ。
「言語とは、陸軍と海軍を持つ方言のことである」という格言がある。これは、何を言語とするか、方言とするのかは政治的な力関係で決まってしまうということの比喩だ。民族にも同じことが言えると思う。
アイヌは存在するのかしないのかを求めた長い北海道の旅。その答えは「存在する」である。ただし、政治的な背景により存在させられている民族という面も垣間見ることとなった。」
以上、2冊より。
さて、どうだろう?
印象的だと思ったのは、鳥取ループ氏の結語である。
当然、ここに登場した人々も共闘したり反目したり意見はバラバラで、何より声を上げない人々が大勢だろう。
政治的に目指す方向性も、それぞれ違うし、背景にしている組織も違うだろう。
巷の話では、単純に与野党構図や背景組織を持ち出してあーだこーだ言う傾向はあるが、そんな単純な話ではない。
が、取り巻きの立法,行政はどちらかと言うとオールインしてる印象を筆者は持っている。
まぁ「当事者を置き去りにして『利用している』」…といえば、言葉はきついか。
ここまでくれば、誰が良いとか悪いとか言うよりもむしろ「極めて政治的な構造上の問題」なのではないかと思うところがある。
筆者のスタンスは「地方政治上の問題」なので政治的な話には口出ししない…故にここまで。
これもあくまで断片に過ぎない。
参考文献:
「アイヌ文化史」 吉田菊太郎 昭和33.5.10
「アイヌの叫び」 荒井源次郎 北海道出版企画センター 昭和59.8.20
「北海道が危ない!」 砂澤陣 扶桑社 2016.9.13
「アイヌ探訪」 鳥取ループ・三品純 示現舎 2016.7.20