改めて「古民家」を見てみる…生きていた証、続報4

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/06/29/200734

上記の様な確認や専門家への問い合わせと同時に、県内の古民家調査報告書である、教育委員会編集の「秋田県の民家(昭和48年版)」を入手していた筆者。
さすがに建築関係であり、用語はよく解らない訳で…
それでも、何らかのヒントが得られないか?ゆっくり読んでいくつもりである。
が…そこは我々のベースがフィールドワークである事は原点である。

この際、現物を見てしまえ!となる訳で、他のフィールドワークと合わせ、矢島の「旧土田家住宅」と仁賀保の「旧佐々木家住宅」を見学してきた。
詳細はまた写真の容量問題で、下記を見て頂きたい。

「土田家住宅」…
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1278068451853176832?s=19
こちらは「竈」無し。
お話を伺う限り、文化財指定時の解体修理で、(解体前の)居間の下から「地炉(地面に設置した囲炉裏)」が見つかり、そちらを復元された模様。
復元は、曲屋(三間の馬屋有り)→建築当初の主殿造りに戻して行われたとの事。
御当主の奥様の話では、「地炉」にて煮炊きしたと考えられていると。
さすがにこれだけの規模、ましてや土間に掘り込んであるなら、かなりの火力に上げる事は可能ではあろう。
ただ、茅葺き屋根を燻す事も含め、火種を絶やさぬ様にしていた奥方方の手間はいかほどだったであろう?と考えさせられた。
我々にとれば文化財保護はして欲しいが、維持する側の立場なら、その手間,労力や費用は莫大。なんとも考えさせられる。
勿論、居間の下から見つかった地炉…奥様は随分義父さんに話を聞いたとの事だが、全貌の見えぬ部分もある模様。
まずは「竈」無しならばこうだと言う姿を見る事は出来た。

「佐々木家住宅」…
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1278252063940468736?s=19
こちらは「竈」有り。
隣同士で、デドコの大きな囲炉裏と併用するのは可能に見える。竈そのものは新しいので、改築に合わせ造り直したのだろう。
明治9年築なので、中世そのままズバリでは無いが、南部曲屋スタイルがこんな感じと言う事は解った。

土田家の奥様の話では、江戸期の「旧奈良家」や「三浦家」でも竈はあったとか。
町屋も含め、もう少しあちこち見てみようと思う。

更に…
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1278081055526809600?s=19
にかほ市象潟郷土資料情報」の展示によれば「たたみ倉」工法での建物が現存するのは、北日本では象潟と上ノ国のみ…
これは、古くは「正倉院」や「胡桃館遺跡の埋没家屋」に遡る古式工法。
何故これが象潟と上ノ国のみに残されているのかは謎。
しかし、関連性は示唆されていた。同じ大工が建てた等、背景を待たねば話があわない。
面白い話だと思う。


さて、中世「竈」はいずこ…
が、少なくとも、時代解らずとも、秋田に於いて「竈」が普通に存在し、庶民が目にしていた事だけは間違いは無いと言い切れる。
破産したり、身を持ち崩した人を秋田の方言で「カマドキャシ(ス)」…「竈消し」…
少なくとも、庶民の噂話で語られると言う事は、それがどんな物か知っていた訳だ。
「ジロキャシ」でも「イロリキャシ」でもなく「カマドキャシ」なのだ。

と言う事で今回の続報を閉めたいと思う。
宿題は継続である。