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この際、亘理とキリシタンの関わりの一端をざっと調べてみた。
http://shigezane.info/majime/kasin/kasin.html
伊達成実専門サイト様…
亘理伊達初代の成実公に縁の一覧を見つけた。
それによると…
黒川仲庵
大坂夏の陣に従軍(馬上)
最上御陣に従軍(馬上)
寛永20年10月23日、切支丹として親子とも斬罪。
医者。パラヤス(日本名孫右エ門)の宿をし、女房・子供5人(男2人・女3人)とともに斬罪となる(亘理町史P263)
この、パラヤスと言う人物は、高木一雄著「東北のキリシタン殉教地をゆく」によれば…
フランシスコ・バラハス神父、日本名が「孫右衛門」で、フランシスコ会士のマドリッド出身。黒川,加美,栗原,伊具,亘理を巡回、後に奥州布教長。
山形,米沢藩で捕縛令→仙台藩で捕縛、江戸小伝馬町牢へ送られ、後に火刑…
同著書にも、黒川仲庵は「医者」とある。つまり、家臣であり医者。サイトと著書の記述は一致した様だ。
その他、仙台藩医師中条佐種、水沢城下の医者甚右衛門、相去村藤蔵借家の医者左近…
軒並み医者がキリシタンとして捕縛されてる。
この時代の医者は針灸,薬師的な東洋医学の他に、バチカンの「内科医学」が入ってきている。内科医がキリシタンであっても何の矛盾も無い。
更に伊達成実専門サイトでは…
黒川仲庵女
奥方で仕え、常盤景定の妻。
この縁で黒川仲庵の所領は常盤景定に下される…とある。
常磐氏といえば、亘理伊達氏の家老の家系の一つ。
幕末の常磐新九郎、後の「田村顕允」この方もこの一党の中なのだろう。
ダイレクトに、キリシタンたる黒川仲庵と、亘理伊達氏,常磐氏の接点発見。
「東北のキリシタン殉教地をゆく」では、
白石にもちゃんとキリシタンの痕跡が。
片倉景長(三代目片倉小十郎、松前慶広の孫)の家臣団に大和田伊予,大和田主膳…捕縛されている。
実際、「後藤寿庵」が東北布教の中心人物、家臣団にキリシタンが混じっていて当然なのだ。
この時期、伊達領で禁教令取締対象になった中には、宇喜田秀家や石田三成の家臣も多く、「島左近」や「明石内記」の名もある様だ。明石内記に至っては、医術を施し周りから尊敬された伝承も残ると言う。
「家臣団であり医者である」と言うのは、キリシタン武将であれば、何の矛盾も無い様だ。
少々「東北のキリシタン殉教地をゆく」から、政治的背景を見てみる。
1613年…
7/12…
政宗の依頼で徳川秀忠が小伝馬町からソテロ神父を解放…
8/17…
ソテロ,ヘスス両神父仙台到着…
9/15…
慶長欧州使節団出帆、それまで1ヶ月間神父らは領内巡回…
12/23…
キリシタン追放令…ここで伊達政宗に、親しかった柳生但馬守宗矩が「キリシタン優遇の小田原城主大久保忠隣が改易された」事を含め気を付ける様忠告書状を送付、伊達政宗は、12/晦日で油断しないと返信しているとの事。
で、冬の陣が翌年。
この時、伊達政宗はキリシタン家臣団も含め出陣。中には鉄砲隊長「後藤寿庵」も居たと。
更に、上方に居たイエズス会のアンジェリス神父は、伊達軍に紛れて江戸→仙台へ…
だそうで。かなりミエミエにやらかしていた模様。
結局、関ヶ原の残党は、その時力を持っていた伊達や前田が分散して抱え込んでいた事になる。
北陸から津軽に流されたキリシタンの中には「宇喜田一族」も居る様だ。
キリシタン研究で、アンジェリス神父の北海道~東北巡回の最大の目的…津軽巡回は、前田らが客人扱いして抱え込んでいたキリシタン武将らを庇い切れなくなり津軽に流されたこれら人々の激励目的と言えるのではないか?
つまり江戸期の鎖国政策は、各大名が直接海外勢力を利用するのを止めさせる為の最終手段だったとも言える訳だ。
キリシタン史の側面から見れば、そうも見受けられる。
さて、我々が掴んでいる亘理伊達氏に近いであろう「十字が彫られた墓」に眠る人物…
これが「黒川仲庵」であれば、主君の脈を取ったであろう医師なので何の矛盾も無い。
ましてや、武勇の誉れ高い伊達成実公の戦場に共に立った人物ならば、何の問題も無いと思うのだが…キリシタンとして処刑されようともだ。
この辺は、今後の宿題であろう。
現代に於いて、宗教の自由は保証されている。隠すより、むしろオープンにしても良いと思うのは筆者だけだろうか?
最近の研究では、戦国期のスペイン,ポルトガルらの植民地化計画の中に、我が国が入っていた事が解明されつつある様だ…NHKなりテレビ番組を作れる程に。
同時に、キリシタン弾圧,殉教らの側面もある。
単一視点ではなく、他視点の歴史的事実として捉える事こそ、この時代に生きていた先祖達への供養だと考える次第。
因みに…
亘理伊達氏家老であった常磐新九郎…後の田村顕允氏は、北海道移住後とされているがキリスト教へ改宗し、教会創始者となったりもしている。
亘理伊達氏家臣団の新妻興左衛門の孫で、仙台のキリスト教布教のキーマンの一人である吉田亀太郎氏らに共感してらしい。
江戸初期と幕末,明治のこの話が、直接関係するのか…?は、現状は、勿論「解らない」である。
参考資料:
伊達成実専門サイト 「成実三昧」様
http://shigezane.info/majime/kasin/kasin.html
「東北のキリシタン殉教地をゆく」高木一雄 聖母の騎士社 2006年9月1日
「亘理小史」 亘理町史編纂委員会 平成2年10月1日