アフター「麒麟がくる」での秀吉の思惑と暗躍する前田の断片…右往左往する秋田実季と「何故蠣崎が独立可能なのか?」の土壌

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/06/201505

アフター「麒麟がくる」…
資料編らで残される一次資料「書状」はものによりかなり生々しい。
詳細は書いていない。「××を使わす」になっているからだ。
さて、この書状は、南部文書に残る1589年に前田利家公から南部利直公に宛てたもの。
これらに、天下人となる豊臣秀吉公の思惑が見え隠れしている。
実は、これ以前に…
①秀吉公は、南部利直公に「檜山の安東実季と一緒に上洛すべし」の書状を浅野長政公経由で出している。
②それに対する返書を家臣に持たせ、前田利家公へ託した
③この書状は、それに対する前田公からの返書
で、事前に下記を踏まえる必要がある…
愛季公が亡くなり、そのカリスマ性低下により安東氏内の内乱「第三次湊合戦」勃発。
この書状の翌年小田原攻めを行ったタイミングで、本格的な関東以北の統一に向かう。
まだ東国は動乱の中にあり、天下統一前。
だが、「湊合戦」は、秀吉公が出した「惣無事令」違反に当たると言う微妙なタイミングでもある。
では、現代語訳で紹介する。


「このたびは秀吉のお考えなども、浅野長吉へ詳しく申し上げた。あなたには多分にお世話いただいたし、今後も誠意をつくしていただきたい。我々のことは京都には遠いので、浅野にいくさのことなど相談することが大切と考えている。」

「去る夏に木村木工助(註:南部家臣)へ託した手紙を詳しく拝見した。貴殿の上洛のことを秀吉に申し上げたところ、もっとものことであるとして御朱印をいただいた。越後の上杉へも途中事故のないようにと仰せられて御朱印をいただいている。このたびは上洛のお迎えを進めるべきところではあるが、秋田の赤尾津から乱入させて、その混乱に乗じて津軽へ進軍したい。南部家中にも叛逆の徒があるようにきいているが、まことに心配なことである。この上落ち度のないよう、よく相談する事が大切である。今年秋か来春には早速秀吉が出馬して、奥州出羽両国のお仕置を硬く命じられるはすと決めている。北国の人たちは私に加勢して先手てなって秋田に至り、出馬すべきことは、最近秀吉の熟慮しているところであり、秀吉の本意なので南部殿は安心してもよい。それまでの間、手堅く守り、油断しないでほしい。秋田は蔵入地とすべく、南部と上杉に命じて、事を運ぶようにと仰せられている。この様子は木村木工助がよく存知しているから説明があるであろう。寺前縫殿助(註:前田家臣)からも申し述べる。」

能代市史 資料編古代中世一」能代市史編さん委員会 平成十年三月より…

①大勢は決しつつあるが、まだ天下統一前
②南部利直公は上洛の意を見せた
③安東実季公は湊合戦真っ最中、御歳15歳と若輩
④上洛に際して、ルート上の諸将に邪魔しないよう朱印状を出した
⑤前田公は南部内のゴタゴタも把握済み
⑥安東公と南部公は反目中で、少しでも対安東への利権を上げたい
⑦秀吉公には、赤尾(現由利本荘市岩城町)の津から上陸し、秋田→檜山→津軽への北伐計画があり、やる場合は先陣きって攻めるべし
⑧何よりまずは、自分の安全確保をし、上洛しろ…

こんなところか。
これも情報戦。
安東公も南部公も国内のドタバタが筒抜け。
この前後のタイミングで上洛の意を見せた仙北の戸沢氏はいち早く所領安堵の朱印状を確保している。
まぁまだ天下統一に至っていないのだが、逆らいそうな勢力討伐のシナリオは既に出来ていて、内乱中且つ北方交易を抑える安東氏はターゲットに入っていたと。
勿論、最も美味しいのは、ダイレクトにアクセス可能となる、越後の上杉か?加賀の前田か?…彼らも秀吉公に恭順しつつ、少しでも利権を増やす様に動く。

で、安東家中は湊合戦真っ最中…
身動きが取れない上に、惣無事令破り(戦い仕掛けられてはいるが)でガタガタ。
遅れて上洛したので、上陸戦いこそなかったが、小田原攻めの後に、奥州仕置による検地が行われ、安東領約1/3は蔵入地化つまり秀吉公直轄領にぶん取られ、勢力を削がれる。

実季公は秀吉公に謁見する時に16歳、百戦錬磨の秀吉公恩顧の武将らとはなかなか…
蠣崎慶広公はこの辺で既に前田利家公らと接触を計っていた模様。
皆、生き残りの選択を突き付けられ、苦悩せざる負えない状況にあった訳だ。
この後、南部公も拠点を三戸→不来方に移す様に強く「指導」されている。
そして、秋田湊に往来してきた「夷船」は、古書上から消える。

実は新羅之記録ら蠣崎氏の二次資料にも、この時の大殿、実季公の状況はサラリと書いている。
だが、独立した蠣崎氏の史書にわざわざ細かく書くハズもない。
どうだろう?
書状ら一次資料では、断片を見るだけで印象は違うと思うが。
簡単に独立出来たハズもない。
何しろ、安東公にしろ、南部公にしろ、北海道行きの食料の入口を抑える事が出来た。
ドジれば自らが乾上がる。
野望を持てど、実行に移すには、それを担保する必要が出る。
更に如何に領内に資源あれども、それを食料に変えられる「市場」とのアクセスを確保せねば、何も出来ない。
弱肉強食…
これがリアルなこの時代の姿では?
単純な武力でも財力でもない…
情報力やコミュニケーション力も含めて力ある者が生き延びた…と、言う事では?
ここに正邪はない。


何気に思い出す…
こんな風に施政者達が悩み抜く中、我々の大多数のご先祖達は、戦場を尻に、
落武者狩りしたり…
落ちてる刀をパクったり…
平然と田畑耕し…
魚を捕って暮らしていた…数千年変わらず。
最もリアル且つ、教科書に書かれぬアフター「麒麟がくる」はこれかも知れぬ。


参考文献:
能代市史 資料編古代中世一」能代市史編さん委員会 平成十年三月