「ガラス玉」の背景、あとがき…主な産地の一つは「インドネシア」、そして…

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/24/202610
そう言えば、以前、SNSでこんな話をしていた。

https://twitter.com/gurinhiguma/status/1426702163640684545?t=Kf6ljDS2R0pU5PmZkOtvuw&s=19
https://twitter.com/gurinhiguma/status/1423629783468896269?t=YmLJJBnfI2thNz5So5GI8Q&s=19
https://twitter.com/gurinhiguma/status/1423634227241783305?t=QwgVkUF9AB8b9jxFWryyRA&s=19

https://www.pandamo.net/pandamo-java.html?s=09

アイノ文化にある「耳環」「首飾り」が、東南アジア等の人々の風習とも共通しないか?…と、言うもの。
勿論、移住した記録などには辿り着いてはいないし、物証は無し。

但し、少なくとも、フリース船隊の乗組員達は、ガラス玉や青玉、耳環をプレゼント用として持ち込んだであろう事は予想できる。
さて、ここで上記リンクを見て戴ければ解るが、「ガラス玉,青玉ら」の産地は「インドネシア」…とある。


ここで、前項までで学んだ事。

①東南,東アジアへ展開一番のりは「ポルトガル」で、その拠点は「インドネシア」「フィリピン」等…

ポルトガルは、鎖国中の「明」から「マカオ」を租借していて、西洋唯一、明との交易が許されていた…

③前項にあるように、ポルトガルの商船は、出港時はスペイン金貨しか積まず、アフリカ,インドネシアらへ寄港後、マカオでChinaシルクを調達して、日本へ来て「銀」を入手した。
当時の国際流通貨幣(代わり)は銀…

ポルトガルを「スペイン(フェリペ2世)」が併合…
ポルトガル商人→イエズス会
スペイン系商人→フランシスコ会
それぞれ支持母体が異なる…

⑤スペイン無敵艦隊を撃破し、イギリスやオランダらプロテスタント系の国が、東南アジアでの利権を奪取。
海賊行為や拠点攻撃を行う。
この時オランダがインドネシアらの拠点攻撃に利用したのが「日本人傭兵」。
・スペイン(ポルトガル)→マカオとフィリピンを拠点に
・オランダ→長崎(平戸→出島)と台湾を拠点に(イギリスは途中撤退)

で…
ガラス玉や青玉はインドネシアから流れた可能性がある。
何しろ、ポルトガルを出る段階で空荷。
それを、イエズス会派のポルトガル商人がバラ撒けば良いだけ。
何せ、
・ミケーレ・ルッジェーリ(羅明堅)…1579年、マカオ到着。
そして、
マテオ・リッチ(利瑪竇)…
1601年、北京到着し活動、没後に時の皇帝から墓所を与えられたとか。
宮廷の学問所に、聖書や科学書の漢訳で入り込んだと教えて戴いた。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/18/201824
1643年で「スパノラ」は、時系列上、明→山丹交易で到達する事も有り得る事にはなる。
金堀&キリシタンだけではなかった。

この辺は、マテオ・リッチだけではなく、他の宣教師含めて検証していけば、我が国側からだけではなく、山丹交易の先からの西洋文化,文物の流入も見えて来るだろう。

世界はもはや繋がっていた…それも考慮する必要はあるだろう。
事に、北方からの文化継承を指摘するなれば。