時系列上の矛盾…厚真町「厚幌1遺跡」の「星兜破片」、だが…

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/05/27/201947
さて、久々に「時系列上の矛盾」と銘打とう。
実は、SNS上で「厚真町」に中世遺跡があるとの話があった。
筆者も厚真町は注目しており、発掘調査報告書は幾つか持っているが、まだ報告した事は無い。
その時代と比定出来る編年指標が、あまり無い為に、断言出来るものがない…これが実状。
話に出ていた報告書は、なかなか入手困難との話もあったので、別口を入手した。
「厚幌1遺跡」。
これにも、中世的な遺物を検出していると言うので、紹介しよう。
関連項はこちら。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/04/103624
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/31/134005
中世遺跡と言えば余市町「大川遺跡」。
中世武具と言えば留萌市「杏葉残欠及び星兜」。
なんと、「星兜」の破片が検出と言う。


では、基本層序から。

・Ⅰ層…表土
・Ⅱ層…
a→Ta-a(1739年降下の樽前山火山灰)
b→腐植土(上層でKo-c2、下層でTa-bを含む)
C→Ko-c2(1694年降下の駒ヶ岳火山灰)
d1→Ta-b(1667年降下の樽前山b火山灰)
d2→Ta-b(1667年降下の樽前山c火山灰)
・Ⅲ層…
a→腐蝕度(Ⅱ層d2含む)
b→腐植土(微量Ⅳ層含む)
c→腐植土(多量にⅣ層含む)
・Ⅳ層…
a→Ta-c(2500~3000B.P.の樽前山c火山灰に、Ⅲ層cを含む)
b→Ta-c(2500~3000B.P.の樽前山c火山灰)
・Ⅴ層…腐植土(3層に分かれる)
以外割愛。
遺構,異物は、
開拓使来の馬車道
・Ⅲ層に中世アイノ文化期
・Ⅴ層に縄文の住居跡や落とし穴跡ら
がある。
この「厚幌1遺跡」は、地滑りや地割れ跡の検出が目玉。
地滑りの方向が解るので、地質学的な意味合いでも貴重な遺跡。
確かに、Ⅱ層bなんかを見ても、それより高い位置からズレたのか?と思わせる様な部分はある。

置いといて…

では、引用してみよう。
中世遺物と思われるものは「星兜」。
グリットT-18,19にあるⅢBB-01と言う獣骨集中区の付近に固まって検出された。
層序はⅢ層bの上位。

「5〜10はⅢBB-01周辺から出土したもので、いずれも星兜の一部と思われる金属片である。5は銅製の鞐(こはぜ)、6〜9は鉄板の重なりが確認出来る破片で、6〜8には径7.0mm程度の鋲頭をもった鋲頭が留められている。10は兜の裾部に当たると思われる破片で、鋲留の孔と思われる径2.5mm程の孔が資料中央と、正面右端の2ヶ所で確認できる。」

「厚幌1遺跡 -厚幌ダム建設に係わる一般道道切替工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」 厚真町教育委員会 平成16.3.31 より引用…

発掘が平成15年なので、今迄も紹介してきた物とは違う新規である。
星(鋲)で繋いだ鉄板枚数で概ねどの位か特定出来る様だが、流石にこの部品点数では無理の様だ。
星兜単独での年代特定が難しいとなると、別の編年指標が必要となる。
星兜周辺のⅢ層b上位では陶磁器は検出なしの様だ。
他に金属器は
・内耳鉄鍋
脇差の様な刀の刃先
・鉤状鉄製品
・棒状鉄製品
そんな中、この発掘調査でのⅢ層b上位の年代推定に使われたのが内耳鉄鍋と、周囲の炭化種子からのÇ14年代特定法。

・内耳鉄鍋…
「本遺跡で出土した鉄鍋の特徴は、胴部での厚さが3mmで、口唇部断面内側に張り出しを持ち、口縁部は段がついた後、大きく開くという3点である。前2つの特徴は14世紀後半以降の本州日本海側地域で流行する製作方法であると考えられることから(小野 投稿中)、上限は14世紀後半である可能性が高い。一方下限については、上ノ国勝山館跡出土資料と比較することで考えてみたい。上ノ国町教育委員会のご好意で資料を実見したところ、16世紀代に交易拠点として機能したとされる勝山館跡出土の鉄鍋は、吊耳鉄鍋、内自ら鉄鍋を問わず日本海側地域の製作方法によるものであることが解った。これらの口縁部は小さな段がついた後、胴体とほぼ同じ角度で口縁が形成されているもの、若しくは段のつかないものとで構成され、厚幌1遺跡出土資料のように口縁が大きく開く形のものは出土していなかった。この勝山館跡における鉄鍋の様相は、16世紀代の日本海が地域で流通していた製品の組成を示すものとして考えられる。従って厚幌1遺跡出土資料にみる形態のものは、16世紀代には既に流通していなかった可能性が高い。以上より、本遺跡の鉄鍋は14世紀後半〜15世紀代のものとして位置つけられるのではないかと考える。」

「厚幌1遺跡 -厚幌ダム建設に係わる一般道道切替工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」 厚真町教育委員会 平成16.3.31 より引用…

・Ç14炭素年代法…
ⅢCB-03(炭化物集中区)での炭化種子が示す結果は、13世紀末~14世紀との事。

本文中にもあるが、1~2百年程度のズレが起こっているおり、14~16世紀代と年代巾を推定している。

ここは、筆者的素朴な疑問なのだが…
・14~16世紀で、星兜→筋兜へ変遷する過程と合致できるのか?
・鉄鍋は太平洋ルートでの搬入はないのか?→つまり、勝山館側ではなく、本州→有珠,十勝方面へ直接入った可能性はないのだろうか?
この辺は、竈と共に追っている部分もあるので、別途当たってみたいとは思う。
小野氏の論文も読んでみたいものだ。

さて、年代推定迄きたが、まとめの項目ではこんな想定をしている。
・Ⅲ層bに面的に分布する
・遺構や遺物分布に切り合いが無い→比較的短時間しか運用されていない
・炉跡に伴う柱穴群が一切ない→建物が建っていない

つまりキャンプサイト的なものとして想定している。
もしかしたら、別箇所に拠点的な場所を考えつつではあるが。
が、この平成16年の報告時点では、想定可能な拠点は見つけてはいないのてあろう。


と言う訳で…
報告書より広く取るが、13~16世紀と思われる遺物は見られる。
だが、定住や長期活動、何よりアイノ文化に明確に直結するものが無い。
厚真町周辺に関しては、もう少し発掘調査報告書を確認してみたいと考えている。

我々のスタンスは変わらない。
繋がっている所は繫がり…
繋がらない所は繋がらない…
何故こうなるのか?合理的に探す…
近世と明確に繋がる材料は此処には無いようだ。




参考文献:

「厚幌1遺跡 -厚幌ダム建設に係わる一般道道切替工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」 厚真町教育委員会 平成16.3.31