https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/09/22/112144
「北海道中世史を東北から見るたたき台として、外伝−2…山形県の「ケルン(ケールン)?」と「天神山の石組遺構」についての備忘録」…
こちらを前項として、関連項は下記。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/04/04/071045
「秋田の石積み構築年代上限と「和鏡探し」の特別ミッション…秋田県南を回れ!、そして宗教的背景を探れ!!」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/05/04/200752
「秋田の中世城館の石積み、続報…特別ミッション、秋田の「蝦夷館」に石積みはあるか?」…
石垣についての「特別ミッション」である。
この一連の特別ミッション、SNSで話をさせて戴いてる中で、「ここに石垣がある」との情報から現物や記載文献を辿っていっている。
今回は暫く前から「山形市の「盃山遺跡」に石垣がある」と聞いていた。
でも、お互いに検索しても「(前項にある様な)ケールンがある?」「工事で破壊?」ら、この盃山遺跡がどんなものかへなかなか辿り着けていなかった。
情報をとって戴いた中に「山形県史」に記述有りとの話が出たので、近隣図書館蔵書の中に該当する巻があった事から筆者が確認した…これが今回の備忘録の顛末である。
結論から言えば…「石垣記述は有る」だ。
だが、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/05/23/194651
「余市の石積みの源流候補としての備忘録-5…内容精査し、北東北の中世城館石積みの傾向を見てみよう」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/05/16/205130
「「砦状構造物」を同じ尺度で区分したらどうなるか?②…山形迄南下したらどうなるか?、そして…」…
2度も中世城館の資料集を熟読して該当する遺跡は見当たらなかった。
これはどういう事か?
では、いきなり引用してみる。
「90 盃山南麓 (遺1185)
イ 小白川町、盃山南麓
口 昭和三二年 柏倉亮吉
ハ 山形市街の東にある盃山の南の裾は、畑地に利用されている。盃山を南から西北へ迂回し流れる馬見ガ崎川と盃山の中間の畑地に遺跡がある。畑地は、馬見ガ崎川の段丘になっている。遺跡は、果樹園作業中に発見された。段丘の段を崩れないように、馬見ガ崎川の川原石(安山岩)を積み重ね、石垣を作っている。 この段丘面に、直径五m×六mの土壇がある。土壇は赤粘土で固めてある。この土壇周辺から土師器が出土している。祭祀遺跡と考えられる。
ニ 土師器は坏形のもので、ロクロが使用されている。口縁はゆるやかに外反する。山形大学教育学部に保管。」
「山形県史 資料11篇 考古資料」 山形県 昭和44.3.28 より引用…
細かい記述は無いが、
・段丘斜面に土留の為に石垣を設ける。
・河原石との事なので丸い石と想像出来る。
・段丘上に楕円状の土壇設置、周辺から土師器坏出土なので祭祀遺跡だろう。
…成る程、これなら中世城館とは見なされておらず、中世城館資料集には載らない訳だ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/05/20/193724
「山形の中世城館の石積み、続報…月山側の石塁と山形城の石垣を確認してみる」…
規模らが解らないが、同じ村山地域側の石垣から想像するに、こんな積み方なのだろうか?
防塁と言うよりは、平坦部を作ったり崩落防止の為の土留的な使い方なのだろう。
祭祀場…神社的なものになるのだろう。
では、なかなか「盃山遺跡」で検索出来なかったのは何故?
この後の方にその時点で登録された遺跡の一覧があり「遺1185」で確認すると、
・「小白川・向山(盃山)」遺跡で登録。
・遺跡種別は「集落跡」。
・出土品は「土師・須恵」。
となっている。
登録遺跡名が違うので、検索してもヒットしない訳だ。
「小白川・向山遺跡」として検索すると、近隣遺跡の発掘調査報告書の「遺跡の立地」の項目で記事がある。
但し、詳細はあまり記述されてはいない様で。
現在は、
奈良文化財研究所のリスト内では、「現在ブドウ畑になっていて遺物を表採できず」とある。
今のところ、知り得た情報はここまで。
上記引用の部分に「イロハニ」とあるが、実は「ホ」に引用文献の記述があるのだが、本遺跡にはその記述が無い。
あるとすれば、柏倉亮吉山形大学名誉教授の著作の中か。
如何であろうか?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/05/21/210704
「そもそも「石垣」とは?…改めて「石積み構造物」を学んでみる」…
まぁ、「垣」の概念で考えれば、元々石垣は「領域を隔てるもの」であり、防塁と言うよりは宗教施設や民生で少しずつ深化したもの。
石垣→即防塁とはならない。
この辺は注意が必要かも知れない。
とりあえず、今回のミッションはここまで…
また、進展があれば報告したい。
参考文献: