地元の「偉人」を探せ…地元に尽くした人の探求

以前、SNSで呼び掛けた事があるのだが…
こんな方は居ないだろうか?
勿論、北海道に於いての話である。

①代々北海道に土着し、北海道に生を受けた
②地元で暮らし、地元を潤わす事に尽力し地元の英雄となった人物
③教育分野は含まない。人材は作るが地元の経済を潤す効果迄は生まない。

例えば…
大友亀太郎」翁の場合、大友堤を作り、札幌開拓の祖と言われる偉人。だが、彼は幕府の役人なので、このカテゴリではNG。

殖産でも良い。地元資本で起業(又は継ぎ)、地元殖産の礎を作った方…企業門前町を作った方ならその資格は十分。
武家ではあるが、藩主松前慶広公なんかは、金山開発をして収入は藩財政の1割を叩き出した…まぁ藩主ですからね…これが藩士なら良いのでは?
筆者の地元でも、「栗田定之丞」の様に、海沿いに防砂林を築き、田畑を守り開拓を進められる様にした偉人が居る。藩の仕事だが、諦め離脱していく中、独り最後まで全うした逸話付き。

何故こんな話を出したのか?
答えは…「見当たらない」から。
先住民族って話で、この様な偉業を成し遂げたアイヌ酋長を知っていますか?知らない。
なら、地元の郷士となった方は?商人等居そうだが、高田屋嘉兵衛翁は廻船問屋、土着しようとした二代目以降も、嫌疑より没落し函館より排除。
偉業の話を辿ると、開拓使や志を持って北海道に乗り込んだ方々へ至る。
SNSで募った時も、近代例を上げては見たが同意される様な方は居なかった。
居ないハズ無いと思う。
が、まるで伝承されていない。

橋や堤の名前に残る場合もあるが、「大友堤」の様に、拡張の折りに名を消された事迄ある。
これが岩手は、水沢の「寿庵堰」の様に、事業開始後にキリシタン排除により始祖が追放されても、その意志を継いだ者達が工事を完成させ名を残している。
おかしいだろう?

本件は、我々の中ではペンディングである。
歴史を掘り下げる中で見付かる物と考え触れずにいる。恐ろしい事だからだ。

そうだろう?
地元愛に溢れ、全てかなぐり捨て地元を潤わした偉人が居ない、又は伝承されず風化していく土壌があるならば…その「地元愛」とは…何なのだ?
歴史を勉強する者としては、すえ恐ろしいとしか言えなくなる。
いつか巡り会える物と信じながら…