ゴールドラッシュとキリシタン-3…エセではないガチの弾圧は「大籠」に学べ

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/17/171103

さて、第一段階を経て、次の段階は?
当然の如く、「ならばそのキリシタンとはなんぞや?」となる。
当然、フィールドワークすべきは、同時のキリシタンの暮らしや、所謂弾圧に向かう状況を調べる事。
となれば、東北でとなれば岩手は一ノ関の「大籠」…
「大籠キリシタン資料館」だろう。
ここを説明するには写真が必要だが、容量の問題が出る。一応、訪問直後のツイートを添付するので、一連のスレッドを見て欲しい。
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1230094117016764416?s=19
写真撮影は学芸員さんに話の上、悪用しない事を約束しOK頂いた。改めてこの場を借りて感謝したいと思う。

当初は、産業振興の為に、伊達藩の製鉄の町として拡大した大籠だが、幕府の締め付けが強くなり、言い訳出来なくなった伊達政宗もとうとうその方向へ向かう。
そして、大籠だけで約300人の方々が殉教による死を選ぶ。

筆者は、この手の展示を見る時には、感情を消す事にしている。痛ましい等と感情に走れば、目が曇り背景が見えなくなる。
が、キリシタンである事を隠す為の品々や状況、同時に処刑場となった場所らを見ると何とも言葉が出なくなる。
エセではないガチの権力による弾圧と言うなら…
産業振興の為に呼ばれ、宗教により生死の選択を迫られるこれらだろう。
現代の巷で溢れる「権力がー弾圧がー」なぞと言う甘い物ではない。大籠を一度訪れてみれば、そんな言葉は烏滸がましくて使えない。

ただ、感情を消してお話を伺ったり、パネルを隅々見て勉強していくと、違う側面も見えてくるのも確かだと思う。
一つ目…
潜伏キリシタンの方々の末裔としての誇りの様なものは感じた。今でも潜伏キリシタンとしての風習を守る方は居るとか。
権力に屈せず数百年もの間、教えを守り続けた方々の意志の強さの様なもの…
二つ目…
ツイートにもあるが…大籠キリシタン資料館では、豊臣秀吉バテレン追放に舵を切る背景や、弾圧に至る背景をちゃんと展示していた。
昨今の研究で、バテレンキリシタン排除の話で出るのは、「キリシタン大名の奴隷売買」らの件。
が、豊臣秀吉バテレン追放した最初のきっかけは、その書状から「バテレン命によりキリシタンが、従来の仏教徒への弾圧や寺社排除」を見過ごす訳にはいかなかった事だと、パネルが出ていた。
更には、大籠近隣で寺社の荒廃や僧侶排除、廃寺に追い込まれた場所等も合わせて。
つまり、キリシタン目線なら弾圧だが、統治者の目線なら従来からの圧倒的多数の人々を守る為と言う側面も、公平にパネルが有った。
当然、棄教し従来に戻れば、監視はされるが、命だけでなく身分も保証された点も展示されていた。

これらの側面も、このキリシタンの一件にはある。
どうだろう?この側面を見逃せば、本質は見えなくなるのだ。
非常に勉強になった。
キリシタン殉教の話は、聖と邪だけの側面だけで語る様な薄っぺらな問題ではない。
国内政治や海外の状況、産業や宗教、社会問題まで内包した問題だった訳だ。

そして、これらを内包した問題は、当然の事ながら、北海道へも及ぶ。
千軒岳殉教とて同様。
産業振興として起こったゴールドラッシュ…それら事情が無いなそと言うハズも無し。
でも、それが語られているか?
人口インパクトさえ着目されてはいない。
これが、アイヌ文化に影響を与えぬハズは無いと思うが、如何だろうか?

上記を見れば、こんな仮説も出るハズだ。
「北海道の寺社荒廃は、大量流入したキリシタンに寄るものではないか?」と。
現に、アイヌ文化を持った方の中には、潜伏キリシタンだった方が居たと聞く。
明治期に北海道開拓団に参加した方で「クリスチャンの王国を作る」と言う意志を持った方々も、ネット検索ではヒットする。

どの程度の文化インパクトが有ったのか?
これは、北海道内に残されたキリシタンの痕跡を辿る事で解ってくるだろう。
故に「キリシタンの痕跡を探せ」と呼び掛けた事もある。これは、我々がディスカッションの中で、こんな視点を持っていたから。
仮に、先の仮説が幾分なりと影響を及ぼしたのであれば…
1800年前後の松前藩の寺社建て替えラッシュは、キリシタンの痕跡を隠す為だと言う仮説も成り立ってくる。
これらも、北海道内のキリシタン痕跡と共に、今後の課題。

文化インパクトの度合いは、現状「解らない」からだ。
そんな意味合いも含め、興味ある方は大籠を見てみる事をお薦めする。
フィールドワークしたからこそ、見えた側面です。