「大湯環状列石群&伊勢堂垈遺跡」…シーパワーとランドパワー、それぞれの視点

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/02/143342

以前にもこの項で、「シーパワー」と「ランドパワー」双方の視点が必要と指摘させて頂いた。
当然と言えば当然なのだ。
船乗りにとって陸地は、寄港地でもあるし目的地でもあるが、行く手を阻む壁でもある。
徒歩で進めば川や海は、船無くしては渡れない、行く手を阻む壁。
お互いに真逆の視点になってくる。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/06/180604
この項の通り、道南~北東北は「円筒土器文化圏」でユネスコ文化遺産登録を目指す。
と言う訳で筆者は、改めてそれにエントリーする「大湯環状列石&伊勢堂垈遺跡」をフィールドワークしてきた。
詳細は写真容量の都合上…

https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1266069495786770432?s=19

https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1266120675007164416?s=19

こちらの一連のツイートを見て頂きたい。
実は、この遺跡は車で2~30分程度しか離れていない。
が、同じストーンサークルではあるが、似て非なる要素が満載。

大湯…
成り立ち…小型ストーンサークルの集合体
墓の要素…有り
周囲の生活痕…幾分有り
並べた石…六割は同じ石で占める

伊勢堂垈…
成り立ち…単独の巨大ストーンサークル
墓の要素…全く無し
周囲の生活痕…全く無し
並べた石…色も種類も多様

ざっと見ても、これだけ違う。
墓の要素だけ見ても、ストーンサークルとはなんぞや?の追及の壁となる。
それぞれ、同系統の他県遺跡がある。
さらに近辺、小坂町には「小坂環状列石」があり、こちらは小型の物のみで巨大化してはいない。
近いから…とはいかず、まるでそれぞれ、建設コンセプトが違うが如く。
謎だらけ。

メンバーとの議論で話題になったのは、大湯で出土した「イモガイ状土板」。
イモガイ自体は、関東南部太平洋側から南は沖縄等に分布し、神経系の毒を持つ。
パネルでは直接触れてはいないが、祭祀での展示だったので、毒キノコ同様に祭祀での幻覚剤としての価値と考えているのだろう。

が、このイモガイ…沖縄と思われる物が、北海道,青森で腕輪等副葬として出土している。
独自にイモガイを追うメンバーにとっても、食い付くテーマ。何故、沖縄等の美しいイモガイアクセサリーが北の地で出土してるのか?謎である所に今回の土板ときた。

実際、このイモガイ状土板が、何を模した物か解らない。関東の物?沖縄等の物?どちらにしても縄文期で考えればとてつもない距離…
それらは、イモガイ状土板の存在をこれから追跡する宿題と化していくのだが…


さて、どちらにしても、どうやって伝播したか?は壁となってくる。
ただ、この謎を解き明かす為には「シーパワー」と「ランドパワー」…この視点が不可欠。
土板になる=それを価値ある物と考えていた…これは当然の前提、それをどう持ってくるか?だ。

関東の物なら、ランドパワーで辿り着くが、膨大な時間が掛かる。何せ徒歩。
対して、シーパワーなら?
船なら、海と言う道路、日本海ルートで辿り着ける。
実は筆者は最近、地図が歪んで見えてきている。
船なら、日本海を港を経由して南下可能。
これを関東に行くには、本州をぐるりと回らねばならない。海流の問題もある。
この距離を日本海南下だけに当てれば、北陸を越えてくるかも知れない…シーパワー視点なら、関西迄行けてしまう訳だ。
つまり、イモガイの実物を手に入れるなら、太平洋側へ出るより九州の方が近いかも知れないと言う事。
そう考えると、北九州で出土したと言われる、縄文の漆塗りの櫛…なんの疑問も出て来ない。船で行商すれば済んでしまう。
別に大量の人員を移動させる必要は無い。陸を進む必然性は全く無いのだ。
当時の小船なら、大河川なら遡りそれなりの山間部迄到達可能だろう。
シーパワーにとって、水ある所こそ「道」なのだから。

秋田の場合、平安期の製鉄や須恵器製造の痕跡は、海から河川沿いに伝播してる事が特定されている。江戸期も水運で行き来した。
大湯も伊勢堂垈も奥羽山脈の入口…山の中。
米代川を遡れば近辺まで行ける。
縄文期だって同じ事だろう。

机上で書かれた著書では、日本列島は地図通りだろう。ランドパワー視点。
が、船乗りに地図を書かせれば、到達難度や到達時間はまるで変わるだろう。
現状の研究でそれが何処まで反映されているのか?甚だ疑問。

我々が臆する事なく平気でそんな事が言えるのか?
著書より、フィールドワークで見た物を重視してきたから。
その場の地形や風を見ながら学んでいるからだろう。自ら写した写真と自ら見てきた物のギャップを知っているのだ。著書や論文だけでそんな地勢的部分なぞ再現不能なのは、メンバーに説明が伝わらないもどかしさで痛い程理解している。

現地を見る、その場を感じるから、「シーパワー」と「ランドパワー」の違いを理解し得た。
もっと外に出るべき。
歴史の勉強は、外に出てこそ面白い。

歴史は机上で紡がれる訳ではない…
現場で起こるのだ…