㊗️二百項…時系列上の矛盾を教えてくれた「江別,恵庭古墳群」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/06/27/180553
我々は物証第一である。
何故こんなに拘る様になったか?
理由がある。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/01/193325
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/01/231857
北海道には文字がある…こう言い始めた時、筆,硯、そして刀子,砥石がsetで出土していないか確認したかった。
勿論、全て現状も揃ってはいない。
が、刀子&砥石は探す事が直ぐに出来た。
それは「考古学雑誌」に「恵庭古墳群」を発掘した当初の概報が載っていて、発掘同時の状況を見る事に至った為。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/10/114329
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/06/10/052507
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/06/174150
後に、この様に我が国考古学創成期の博士達からの警鐘を知ったのも、同一文献に載っていた話を読む事に至ったからだ。
この際、記念として「恵庭古墳群」発掘当時の報告を引用してみよう。


「古墳群は室蘭街道を隔たる約一千五百米、茂漁川左岸の段丘上、現今手小氏所有地(~中略~)にある。以前は数十基を数へたであらうが、その半はは耕作のためにその形を失つてゐる。段丘の端に近い未墾地の十数基及び耕地の数基が昨夏私達の調査したものである。」

「1、第一号墳 墳丘の牟は既に掘返されていて原形を止めなかつたが、円形のものらしく、残存のまゝで径六米二〇糎、高さ約五〇糎、封土中墳丘上より二五糎のところに高杯形土器の破壊されたるもの一、他の遺物は墳丘の頂きより深さ五〇糎の所にあり、中央より南方にあたつて土器三個が一線に七〇糎の間に置かれ、その北西一米の所に刀一、その中へ二〇糎離れて刀子一、刀子と土器の中に鑷子、外に手砥石二を出す墓廣は明らかでない。」
「2、第二号墳 前略~南東の壁に近く刀二、刀子二が底に縦に置かれ、その柄頭に近くと鞘尻に近くとに各一個づゝの銙(筆者註釈:帯の装飾品)があり、刀群の内側に三個の飾鐶と一個の鑷子が縦に一線に、その北方にして北東の壁に近く飾鐶一、○一、円形の薄板状のもの一を置く」
「6、第七号墓 前略~C、鉄斧(第五圖17) 圖の如く土器と反對の側にあり。~中略~e、錐状鉄器 ~中略~ f、鎌(第五圖18)」
「第九号、第十号墳は河野博士の調査によるもの。」

「第四号墳墓 古墳群の中にありしもの、~中略~ a、鑓鉋(第五圖27)」

「両古墳出土品に於ては何れも蕨手刀.直刀.所謂唐様刀等を出土する所に於ては同一であるが、江別古墳に於ける勾玉の出土は全く類例を見ない。この此の勾玉は十四個出土しているが、琥珀製のもの一個のみにて他は石英岩製であるしかも、その悉くが勾玉の退化形とも申すべきもので、本州に於ては古墳時代の末期のものとされているものである。」
「恵庭古墳出土の刀子に於ける鹿角製装具は、これを本州に於ける出土品によつてその年代をたづぬれば、大體六朝時代のものとされている。即ち此が國に於ける大和時代より奈良時代にかけての頃に當る。北海道に於けるこれら装具が若し影響を本州に受けたものとすれば、此の時代より更に一-二世紀を下つて考へるのが至當であらう」

考古学雑誌第二十四巻第二号 「胆振千歳群恵庭村の遺跡について」 後藤壽一/曽根原武保 昭和九年 より引用…

実は、恵庭古墳群とは、饅頭土を伴う終末古墳と土坑墓の複合遺跡なのだ。
どうも、饅頭土にばかり焦点が行きがちだが、ある程度の場所の違いあれ、一部は重なる様に掘られている。
出土遺物も、勾玉らはなくむしろ鉄器、蕨手刀や直刀,刀子はいざ知らず、それも鉄斧や鉄鎌、錐状鉄器そして鑓鉋(やりかんな)ら、まるで大工集団の様な遺物が出土している。
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https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/14/154855
奇しくも、筆者の原点「秋田城&C504遺跡」にあるように、建築資材の加工痕のみならず、「恵庭古墳群」では大工道具現物が出土していた。
あまりこれらは、現在現況されてはいないが、「大工集団」は確実に居た。
別にその辺の木を斬り倒して簡易的に建物を建てていた訳ではない。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/05/111331
我々が、こんな大それたた事を書くのには、こんな背景がちゃんとある為だ。


古代の北海道が未開?
そんな訳はない。
農耕、漁業、そして大工や信仰、文字…
実は分散こそすれ、大概の物はちゃんと伝わっている。
これらを頭の片隅に入れておいて戴きたい。

北海道は未開に非ず…


参考文献:
考古学雑誌第二十四巻第二号 「胆振千歳群恵庭村の遺跡について」 後藤壽一/曽根原武保 昭和九年