点と点を線に、そして面に…生きていた証を追う

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/24/041443

SNSで紹介したところ、奥尻島の青苗文化には、井戸の痕跡があるとか…
こんな情報が何より有難い。
元々、このアマチュアグループは、北海道と東北の歴史の痕跡を付き合わせ、何故?なんで?を解き明かそうと言う活動。
jazzバンドさながらに、ソロの掛け合いで紡いでいくのが信条。
有難いのです。

さて、追っている「宿題」は井戸だけではない。身近な物の変遷を追うと言うべきか。

飲み水が無ければ、生きていけない…
暖房が無ければ、生きていけない…
食い物、着物etc.
とても泥臭いオッチャンオバチャン目線だが、生きていた証を探すのが、本来最も重要。
これの一つでも途切れていたら、「種の保存」はされない。
でも、北海道には脈々と人が住んでいる。
これを現代から遡れば、失われ置き換えられた物しか見えなくなる。

我々は、歴史は古い時代から積み重ねなければダメだと考えている。
「通史」としてどうなのか?
これを考える必要があると。
時代時代でブツブツ切ると、継続性が見えなくなる。そこに生活している人々が居るのだ。有るものが無くなり、無いものが出るには必ず理由がある。
故に…
縄文で使ったであろう、「泉…後の井戸」が無い…
擦文であったであろう、「竈」が無い…
墨書土器があり寺社があったのに、「文字」が消え去る…

単純に考えて、利便性あるものが途中のある時期又は途中から消え去るなんて不合理は、納得がいこうハズもない。
先史から古代へ、古代から中世へ、中世から近世へ…点と点を繋いで線に、線と線を織り込み面に…
これこそ大切な事だと考えるが。

以前あった面白い事を…
研究者にあれこれ質問をすると、何せコアな質問が多いので当然身構えられる。
でもそこで、東北の研究者に「ミッシングリンクを知っている」と言った瞬間に表情が変わり、「そうなんですよね」と仰られる事は多かった。
その上で、色々な知識を教えて頂いた事は多かった。
今一つ、納得がいかない点があるのだろう。
当然だ。我々の様なド素人が素朴な疑問を持つ位なんだから、研究者なら合理性に疑問を持つだろう。
勿論、自分の研究範囲で無ければ口を開くハズもない。黙って首を捻るだけ。

点と点から線へ、線と線から面へ…
故に、我々は一次資料に拘るし、東北に有って北海道には無い、みたいな事に拘る。
謎が解ける時まで…