材質特定に成功…生きていた証、続報6

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/17/151607

さて、本日も民俗資料を調べに大仙市の「南外民俗資料交流館」へ…
とにかく、「竈」「へっつい」の情報収集し、中世の状況へ近付ける事がミッション。
詳細はこちら。

https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1284064981869195269?s=19

南外では、石の「へっつい」を自作していた民俗資料がある。

①味噌を自作する為に、豆を蒸す必要がある。「竈」と甑(こしき)は需要。
②村内では、土の「竈」又は石の「へっつい」を家々で使用していた、
③石は、
五輪塔らを作る「安山岩
・貝の化石らを含む「須郷田層」の「石灰質砂岩」を山から掘り出した。「須郷田層」は横手盆地由利本荘辺り迄広がり、周辺では入手可能。
④斧で削り自作をしていた。ひび割れ等には、捏ねた土を詰め補修していた。館員さんは、自宅で「へっつい」を作るのを見ており、味噌を作る際の蒸した豆をおやつで食べていた。
⑤南外は大正寺ら雄物川水運の要衝である西仙北の直ぐ南であるので川の水運で一気に土崎湊迄の出荷も可能。
⑥この付近には、鎌倉期に須恵器や漁具等を焼いていた「大畑窯跡」の遺跡があり、最低でも鎌倉迄集落の存在を確認可能。
北前船らの実績では、石の製品は、輸送船の底に並べ、バラスト(転覆防止の重し)として使用しており、ある意味重要な荷物である。

以上の様な考察をしてみた。
後、不足なのは、民俗学的には「へっつい」の出荷伝承、考古学的には「火跡が残る石灰質砂岩の破片」…
これらが見つかれば、味噌や餅の製造実績と合わせれば、論の補強も可能であろう。

何の事は無かった。
資源大国「出羽国」は、「へっつい」を自作,出荷出来るだけの素養を持っていた。
後は残りの情報収集と破片探し等。
中世「竈」の謎に、随分近付けて来たと思う。
もう、二踏ん張り位か?
材質から「欠片」を追えれば良いのだが…