「江戸のフィールドワーカーが北海道で見た物」あとがき…やはり「北前船辺り迄」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/16/193257

民俗共生象徴空間「ウポポイ」が開業との事。
早速、見学?された話は出ているが…
何でも、展示品「マキリ」に「OK印」との刻印があったとか、ツイートが流れていた。
折角の国立博物館
先の項の様に、我々は知っている。
「江戸期のマキリは酒田製」…
これを「林子平」のパネルと共に掲げるべきであろう。
早めの訂正を願うばかりである。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/13/054521
さて、同時に「マキリ」は「マタギ由来である」と断言された方が居た。
ついでに、少しネット程度で調べてみた。
実は、某オッサン…もとい、知り合いの方が、「まぎりけれ~(間切り包丁をとってくれ)」そんな叫び声を聞いた筆者は、ちょっと感じる所があった故にである。
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1283615746258423808?s=19
「間切り包丁」は全国、主には北海道~東北で漁師の間で出回った刃物の事らしい。
元々を正せば、方言ですらない様だ。
更に、「マタギ」…残念ながら、阿仁マタギは山刀の事を「ナガサ」と呼ぶ。
つまり「マタギ由来」とあっさりは言えない訳だ。
むしろ…漁師→マギリ、猟師→ナガサ…
となろう。
不思議なのだが、何故猟師的な話になると「マタギ」直結なのか?疑問を呈したい。
マタギ」と一口に言っても、「山立御免」の許可証だけで二系統、細かく謂えば「鷹狩」するかだけでも分岐された文化。
その深さは正に「底無し沼」級、最低でも××マタギと付けねば、嘘になるので要注意。

いずれにしても、「マキリ」が「間切り包丁」由来過程すれば、その北海道への流入過程は、東北からになる。
同時に、漁師道具の性質上、鍛造刃物の場合は海での使用は錆を誘発する為、消耗品としての使用を覚悟する必要がある。
寄って、鍛冶が職人が充実する事が前提条件となろう。北海道の場合、消耗品として末端迄浸透するとすれば、北前船の出現を待たねばならぬ可能性が高い。
幕末の交換レートでも、なかなか高価である事は…記載された資料はありますぞ。
とすれば、やはり北前船が関与する事になってくる訳だ。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/02/065746
こちらの項、「チンパオリ」ら同様に…
「元々言語の中に無いものは、本州由来の固有名詞をそのまま使った(発音による訛りは考慮)」
この前提条件を適用すれば、結局アイヌ文化は江戸期程度迄しか遡る事は出来ず、文化の完成は江戸期、それ以前は「解らない」と言う疑問に辿り着く。

が、まだまだである。
本当にそうであるのか?は、古書や時系列的整理は必要であろう。
少なくとも学説を立てる程度の証拠は積まねば意味が無い。
まだまだ、証拠を積んでいるレベル。
教えろ纏めろなどと言うレベルですらない。

我々は共に証拠を積み上げる議論ならば大歓迎である。
当たり前なのだ、未知の領域を調べているのだから。
数ヶ月レベルでそれが解る位なら、誰でも解る。それを「物証付き」でやろうとするから尚更。
悪いが簡単に解る程度のハズはない。
日本の文化,歴史は奥が深い。底無し沼の如し。

簡単な調査で解る様な、薄っぺらな歴史の国では無い…
ここから学ぶべきであろう。