この時点での公式見解⑪…幕府は金銀銅の流出と管理能力の無さ見抜いていた

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/24/200439

めげじと更に掘り下げる。
なんと突っ込み処満載なのだろうか。

直接の関連はこの項だろう。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/22/200203
幕府直轄時の経済,金融の話である。

「幕府の蝦夷交易改善策について見逃せないのは、鉄銭の通用を図ったことである。」

蝦夷交易は最も原始的な物々交換でその欠陥も少なくはなく、ことに価格の尺度すなわち交換の比例が明らかでないことは、取引計算を複雑にし、利にさとい請負人らはこれを利用して無知な蝦夷をだまし、暴利をむさぼって、これがまた蝦夷の感情を著しく害していた。前時代の終わりには、価格の標準として玄米が用いられていたが、貨幣の代用としては多くの欠点があり、奸商はその質と量を低下させることによって利を占めようと図り、蝦夷の反感を買ったが、その米もただ交易の標準を表すためにのみ用いられ、実際米を貨幣のように交易の仲介として流通したのではなかったから、その計算にあたっては複雑を極めた。ことに大量の交易に対しては勘定が入り組んで奸商に乗ずるすきを与え、たとえ奸商めぐらさないにしても常に双方の誤解を起こして、蝦夷の疑惑を深めていた。」

「奸商の不正を正すには監督を厳重にする方法もあるが、これはいたずらに官吏を多く要し、しかも微細な点まで行き届かせる事は容易ではない。ゆえに交易を正そうとすれば奸商に乗ずる隙を与える物々交換を廃して貨幣を通用させ、交換の標準を定めるとともに、計算を簡単にし、もって奸商をめぐらす余地をなくしなくてはならない。」

「前略~幕府はこれを認め寛政十一年(筆者註:1799年)鉄銭一万貫を送ってその通用を許し、ただちに交易の仲介物としたばかりではなく、賃金もこれで支払い、もって物々交換の幣を除くことにした。」

「通用を鉄銭に限ったのは、金、銀、銅などの金属が蝦夷の手を経て海外に流出するのをおそれたからであった。」

「幕府はかのように銭の通用を蝦夷地に許したが、蝦夷は和人との接触が多い口蝦夷は別として、多くはその効用を知らなかったから、そうした所では必ずしもこれを強制せず、国後などでは女夷との少額の取引にだけこれを用いた。」

「銭の相場は、当時本州においては常に変動していたが、銭通用になれない蝦夷に交易の標準を変えて疑惑を持たせることをおそれて、銭相場を一定にし、そこから生じる損害は交易によって補った。」

「前略~幕府直轄の廃止とともに銭は引き上げてしまったらしい。またその通用範囲は東蝦夷地にとどまり、西蝦夷地には及ばなかったらしく、のちに東蝦夷地の交易価格は銭をもって現されているのに反し、西蝦夷地のそれは米をもって現されていることがこれを物語っている。」

「新北海道史 第二巻 通説一」北海道 昭和四十五年三月二十日 より引用…


以前、物々交換のレートを見た時に、複雑だろうなとは思っていたが、生活用具の殆どを依存して、通貨使わないで生活出来る方がおかしいとは思っていた。

しかし、「和人の奸商」「蝦夷の不信」の連発、なんともはやである。
よく蝦夷の独立性を唱える方は居るが、これを見て疑問に思わないのだろうか?
仮に独立性が高いのであらば、海外から購入出来たのである。わざわざ場所制,場所請負制に付き合う必要なぞ毛ほども無い。
だが、蝦夷の人々はそれを選択している。
乙名ら権威を松前藩や函館奉行に戴いてだ。
まぁここは経済,金融について。
置いておこう。

では、辻褄の合わない点。
蝦夷地においても、寛永通宝ら銭が出土したり、中世の銅銭束出土している。
蝦夷は通貨の存在は古代から知っていた。
先述の通り、女性の少額取引に国後でさえ使った訳だ。
銭使わないと言う前提条件なら、そこに住んでたのは「蝦夷ではなく和人」と言う事になるのだが…良のか?
確かにニンカリに使用したと思われる物もあるが、単独出土もあるのだが。
何せ砂金が通用したとあるのだから。
それに…商人の婿入してたんじゃなかったのか?
そんな人々は、銭の通用も文字も知っていた。何故勉強してないのか?

結局、これ…奸商にしたいだけの解釈なのでは?…と、言う事になる。
これもぶっちゃけ、蝦夷は計算能力が低いと言わんばかりのナチュラルdis…

で、幕府は知っていた。
蝦夷地から金銀銅を流出させていた事を…
最大の問題はこれだろう。
もはや佐渡らは枯渇してきて、出島での支払いに支障が出ている。
金銀交換レートにも問題はある。
実際、砂金が代用通貨として流通していた事実を鑑みたら、管理出来ぬ所で金銀銅の流出は、幕府としては防がなければいけない事。
他項でも書いているが、産物が被る所へ鮭や昆布を持っていっても、何の意味も無いのだ。自ずと砂金や本州からの鉄器らが必要となる。

同時に…
松前最大の統治上のミスは、不干渉で何もしなかった事。
通貨にしても、先の通り、中世ですら存在を知っていた。
ルールを作り、それが守られる様に管理する事…これを全くやらなかった。
松前藩は、初代慶広公から、「無為にして治める」政策を継続していた。
結果、寛永蝦夷乱等混乱を極め、失われる必要のない人命まで失われる事態になっている。
逆に統治政策を実施した、幕府直轄時や幕末分割統治時にトラブルの話がない。
一目瞭然なのだ。
「無為にして治める」でルール設定とその管理,裁定を行わないから、蝦夷同士でのトラブルを解決出来なかったのだから。
故に、松前の圧政がー…これは全く成立しない。

と、言うか…この程度、この新北海道史だけ見ても、考えが及ぶと思うのだが、どうなっているのだ?
理解不能としか言い様無し。

鉄銭の通用の件だけでこんなもの。
①金銀銅の流出防止…
松前藩の統治能力不足…
ロシア南下以外にも、ちゃんと幕府が直轄化した理由は考えられる。
高級幕臣が、ロシア船接近のおりに北海道入りしているが、よほど不信感を持たれていたのだろう。
内々に情報は持っていたとしか考えられない。