戦い知らずの平和的?いやいや普通…能代市史に記された古代北海道「渡嶋衆の戦闘痕跡」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/01/30/170600

先入観の破壊は大事かと思う。
先の前項でも、安東愛季公の蠣崎慶広公への敬愛なんかあまり語られてはいない。
愛季公に限らず、安東方武将とお互いに書状のやり取りでコミュニケーションを計っていたなんて、イメージないので。
でもリアルはこうなのだ。

さて、ではまた先入観を破壊していこう。
北海道で戦闘と言うとシャクシャインの乱等数少なく、平和的で戦い知らず、安寧を和人が破壊すると言う史観…それをぶち壊そうと思う。
これも、能代市史 資料編 古代中世一 にある。
二編紹介しよう。


①「渡島の蝦狄が反乱し、秋田郡などを襲う」
日本三代実録 巻二十七、貞観十七年(875)十一月十六〈巳未〉日 より…

出羽国言す、「渡嶋の荒狄反叛く。水軍八十艘、秋田・飽海の両郡の百姓二十一人を殺略す」と。牧宰に勅して討平せしむ。」…

…「能代市史 資料編 古代中世一 」 能代市史編さん委員会 平成十年三月より…


勿論これは、元慶の乱の二年前。
反乱した人数等は不明。八十艘なので数百人規模か。
「牧宰に勅す」…これは清和天皇出羽国司に対して平定する様に勅許を出したって事だそうで。
解説では、朝貢らの文物らに不満を持ちトラブルを起こした説あり。
ただ、能代市史中の解説では、わざわざ秋田だけでなく飽海(山形の庄内付近)まで襲っているので解説的には、明確に目的や計画性を持ったものとみている。



②「渡嶋の狄と奥地の俘囚らが戦闘を交えようとする情勢から、出羽国に警戒を命じる」 日本紀略 全篇二十より、寛平五年(893)五月十五〈壬午〉日より…

出羽国の渡嶋の狄、奥地の俘囚らと、戦闘を致さんと欲するの奏状に依り、国宰に仰せて、城塞を警固し軍士を選び方練らしむ。」

能代市史 資料編 古代中世一」 能代市史編さん委員会 平成十年三月 より…


解説でも記載あるのだが、奥地の俘囚…これが津軽だと見れば、津軽海峡を挟み不穏な状況になり、秋田城での防御固めるよう勅許が出た事に。
他の文書でも、津軽を奥地(国衙より奥地の意?)と見るものはある様で。
勿論、他に繋がる文書が見つかってないので、詳細不明。
だが、一発触発の事態になりつつなるのは、読み取れる。


以上の通り。
まるっきりの戦い知らずではない。
気に入らなければ暴れる…やっていたって事になる。
この他にも、元慶の乱参陣し後に恭順した話などもあるのだから、氷山の一角でしかないのだろう。
これは当然。
確認した文献が能代市史なので、出羽国に関連したワードのみで資料を集めてると思う。
なので、渡嶋で検索している訳ではない。
渡嶋で検索すれば遥かに多くの文書にヒットするハズ。

ここだけみれば、異常に戦闘意識が強い訳でも低い訳でもなく、納得出来なければ戦乱に及ぶし、極めて普通だとも言える。
何より、殺略している記録があるのは事実。
これを遺跡の遺構らで合致させるのはかなり困難だとは思うが、記録があるまでは言い切れる。
擦文期に於いては、特段平和的「ばかり」とは言えない訳だ。

どうだろう?

だが、筆者的な最大のポイントは、「船を操り、自在に海を渡っていた」…こちらなのだが。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/02/143342
後々考えると、こんな疑問に辿り着くが。


参考文献:
能代市史 資料編 古代中世一」 能代市史編さん委員会 平成十年三月 より…