安東愛季公が官位を授かる為の壁「勅勘」… 公卿らの勘繰をねじ曲げさせる織田信長公の実力

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麒麟がくる」シリーズになりつつあるが…
事実、安東氏についての理解がないと北海道~東北の関係史は紐解けない。
と言うより、織田信長公の実力を示すとも言えるものが能代市史にはあるので紹介してみよう。


「安倍愛季の儀につき、御執奏の趣、宿老中談合を加え、すなわち、披露致し候ところ、かの先祖、勅勘の蹤跡分明ならず候条、所詮叙爵の儀宜下さるべきのよし、仰せ出され、口宣案かくの如しに候。かの主、面目の段は申すに及ばず定めし御大慶たるべく候か。なお御使の演説あるべく候、御意を得べく候や。恐惶勤言。」

能代市史 資料編古代中世最」能代市史編さん委員会 平成十年三月 より引用…

これは、天正五年に権大納言三条西実枝から織田信長への書状で、安東愛季従五位上を与えると伝える内容。
勿論、これとは別に、官位を与える書状も掲載されている。
これを見る限り、信長公から公卿へ強い推薦があったと言う事になる。
むしろ、何故愛季公が官位を授かるのに、こんなゴリ押しが必要だったのか?
それが「勅勘」…
と言うのが「勅勘」=「朝廷の怒り」だそうで、それを受けた一族なので、引っ掛かりがあるので信長公がプッシュしたと能代市史では解説する。
では、その勅勘が何か?
これを同様に能代市史から引用してみよう。 「秋田家系図」より
秋田家=安東氏の始まりである。

人皇の始め、安日・長髄なるものあり。賦性勇猛にして、知計人に過ぎたり。弓矢を帯し、黄牛に乗って、中州に出行して、摂州膽駒獄に住止して、宇麻志摩治命を主君として、中州を領すること年尚し。~中略~神武天皇始めて日向国より東征して中国に入らんと欲し玉う。斯において安日・長髄相議していわく。中州は我宇麻志摩治命の国なり。いずくんぞ他の主君有らんやと云いて、膽駒獄に支えて、防ぎ戦うこと十余年。天皇終いに打ち勝ちて、中州を治めたもう。長髄は天皇の御舎兄を射殺し奉る罪によって、たちまち誅せらる。安日は死罪を赦されて、北海のほとりに放逐せらる。号して醜蛮と云う。津軽率土浜、安東浦など是なり。」

能代市史資料編 中世二」能代市史編さん委員会 平成十年三月 より引用…


勅勘とは「神武東征で最後まで楯突いた一党」…国作り神話最後の朝敵の末裔と言う故事の事。
勿論、秋田氏=安東氏の家系図にあるので(秋田家家系図は秋田(安東)実季公の編纂)そう考えていた事になる。
安東氏の家系図は数種類あり、それぞれ微妙に違い本当がどれか?は「解らない」。
だが、実季公自ら書いたのだから、これが誇りなのだ。

まぁ話を戻せば…
信長公のプッシュに対し公卿達の回答は、平たく言えば、「皆で話し合ったがはっきり解らんから、官位をあげる」という事。
あちこち武将に官位を与える様に信長公はプッシュしてる様なので、無理を通せるだけの強い影響力があった事になる。
書状を見る信長公の顔が、某俳優さんのニヤケ顔と被るかも知れない。

これ、明治維新の時も、政府から家系図の提出を求められたとき、秋田子爵は秋田家家系図を提出。
日本書紀にある元祖逆臣だから変えた方が良いのではと言う公家の提案に対し、譲らずだったそうで。

信長公の実力の一端と、安東氏の始まり…
この故事から、安倍姓と安東一族の物語が始まって行く。


参考文献:
能代市史 資料編古代中世最」能代市史編さん委員会 平成十年三月
能代市史資料編 中世二」能代市史編さん委員会 平成十年三月