弾丸ツアー報告-2、江別編…まんまやん

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/07/14/211625
報告第二弾は、最北の末期古墳群が残される地、江別。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/06/29/105815
今迄も再三江別,恵庭の古墳群は取り上げ、この古墳群からの遺構,遺物で、本州との繋がりが立証されてきたのは事実だろう。
先の恵庭で「古墳群」が見たいと話たが、ご担当からは古墳の形で現存しないとの事なので、是非江別では…と考えていた。
では…



おっと…
三枚目は江釣子古墳群。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/05/171231
勿論、覆土で保存してるので(江釣子は石室を持ち、江別は主体部が土饅頭と土坑)、それを比較してもあまり意味はないが…大きさや形がまんまやん。
写真をシャッフルして見分けがつくのか?…難しいと思う。
むしろ、石室を持たない点や周溝が厳密には円でなくC字型である点らは秋田の蝦夷塚古墳群らにそっくりと言えるんだろう。
何故かこの周溝、古墳だけではなく、青森は浪岡の高屋敷遺跡の住居らを囲う周溝でも出入口?の如く空きがある。
不思議なのだ。
先に、江別市郷土資料館訪問、事前に蕨手刀らを見学しているので、やはりまんまやん。
前項に書いた事が現実化した。
遺跡で大笑い。
そりゃ北海道式古墳と銘打っても、これだけ似通えば「まんまやん」としか言葉は出ない。
学術的には細かい差異はあるだろう。
が、同じ系統と言ってしまえばその差異とて系列上の分派で説明出来てしまう。
ここは、野幌丘陵上で且つ旧豊平川(現状三日月湖)への断崖に近い。
江別の主だった遺跡は野幌丘陵に点在するが、この辺にはまだ発見されていない古墳群があるのでは?と、妄想させられる。
周辺が墓域なら有ってもおかしくないであろうから。
これら古墳群の研究の延長線上にあるのがこれ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/23/054323
擦文土器は、陸奥の土師器集団の移住により出来上がる…まんまだろう。
朝廷との関連も須恵器で十分説明可能。
何故ならば?、改めて引用しよう。

「須恵器
本州で作られた焼き締めの器(せっ器)。窯で焼かれるので、土器より硬質で灰色なのが特徴。須恵器の窯は北海道内では発見されていない。最北の窯は青森県五所川原市にあり、北海道で発見される須恵器のほとんどは五所川原産と考えられる。大麻3遺跡では、現在の大阪堺市で日本で最初に作られた頃のものと考えられる破片が発見されている。」

「江別ガイドブックシリーズⅴ 江別の遺跡をめぐる」 江別市教育委員会 2010.3 より引用…

続縄文期且つ堺の須恵器窯で焼かれたもの。
まだ秋田城も五所川原も須恵器窯なぞ無い時代だ。
それが飛び地的に東北をすっ飛ばして江別,恵庭に検出されているのだから、言う事もなかろう。
残念ながら、上記「大麻3遺跡」の須恵器、資料館で確認したが、「解らない」との事だった。
考古学や歴史系のご専行ではないのだろう。
一応、宿題にはしてきたが…


敢えてここに付記しよう。
二箇所の資料館で「アイノ文化の特異性」を強調されたが、筆者はそれにこう答えた。
「全く逆に共通性が非常に目についた」と。
目を丸くされたが、漆塗、古墳、蕨手刀、勾玉、御幣、刺し子、間切包丁と拵に施した彫刻etc…見慣れたもんばかり。
何が特異なのか?
現に江別古墳群で大笑いした自分が発した言葉は、「まんまやん」。
それしか言葉が出なかった。
これで、前項で恵庭でお聞きした言葉の意味が解るだろう。
「何をもって擦文→アイノとするかは、諸説あり固まってはいない」
この特異性が登場するのは、江戸期の絵図やらからしかない。
が、そこに至る前には「空白」があり、その直前のTa-aら被覆前の遺物は本州由来のものが殆どで、明確な差異なぞ立証出来ない。

北海道の方でも歴史戦と口にする方は居る。
筆者は江別古墳群に立つ事が出来た。
敢えて書く。
北海道史に疑問を持つなら…
江釣子古墳群」を見てみるべき。
「秋田城」を見てみるべき。
「十三湊」を見てみるべき。
双方見て比較すれば納得出来る。
机上の空論より、縁ある地に立って見るのが解り易い。
何故なら現地研究者を含めて「特異性」ばかりに囚われているから。
これは、双方を感じたから言える事だ。








参考文献:

「江別ガイドブックシリーズⅴ 江別の遺跡をめぐる」 江別市教育委員会 2010.3