これが「製鉄遺構」そのもの…「南相馬市博物館」展示の「竪型炉」を見てみよう

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/11/30/201841

さて、前項を受けフィールドワーク、製鉄遺構が展示される「南相馬市博物館」を訪問した。

せっかくなので見て戴きたい。

全体像である。

展示品は遺構の「実物」で、遺跡の発掘後に遺構を切り取り博物館内に移動したとの事。

本遺跡は前項の中にある行方郡の金沢地区にある「長瀞遺跡」にあった「竪型炉跡遺構」で、東北電力原町火力発電所建設に伴う発掘調査で発見された。

位置的には緑の→周辺になるのか。

海沿いの金沢地区の遺跡群では海岸を黒く染める「砂鉄」確保がし易く、山際の横大道製鉄遺跡では「炭」を作る為の木材確保が可能…二面からこれら遺跡へ立地させた様だ。

 

本音、朝廷の国家規格の「箱型炉」の展示を見たかったのだが、この遺跡の箱型炉は発電所敷地内で今も保存されている様だ。

流石に箱型炉を切り出すとすればスペースが不足か…

箱型炉については、

これが全体の構造。

これが炉壁のフイゴ羽口の送風部と炉底部の鉄滓。

では、箱型炉跡を見てみよう。

模型で再現された構造がこれ。

上から…

展示は階段で炉体上部を確認可能にしている。

手前側が炉の燃焼部分「炉体」になる。

上部にはフイゴ座が設置され、炉体内に送風する様になっている。

フイゴ板を上下させた軸受け部が検出されている。

正面から見た炉体がこれ。

今迄も炉体の炉底部を切り出したものは展示を見たことがあったが、流石に炉全体を見られる様になっている所はここが初めてである。

この他に

・県立まほろ

福島県立博物館

らに展示があるとの事。

さすが、国家規格の製鉄コンビナート。

また…

ここでは「鋼」と共に製鉄で出来た「銑鉄」を使った「鋳物」も行われていた事が「鋳型」の検出で解っている。

写真は「鼎(かなえ:脚のついた釜)」の脚部。

ここで質問。

Q:鍛冶跡は?

A:この遺跡では鍛冶炉遺構は検出無し。但し、近辺で鍛冶で出る剥片が検出してるので、そちらではやっていた可能性がある様だ。

Q:金銀銅を扱った痕跡は?

A:ルツボらの検出は現状は無し。

との事。

青森の林ノ前遺跡や根城跡の実績を見ると、金銀銅は鍛冶炉との複業作業か?

 

ここ「南相馬市博物館」は目玉はやはり「相馬野馬追祭」になるか。

鼻の先がその会場だったりする。

 

この他にも「あ!」と思わせられる展示があったが、敢えて割愛する。

筆者もお勧めの場所になった。

 

如何だろうか?

これら製鉄炉で作られた鋼や銑鉄から、蕨手刀ら刀剣、田畑を耕す鍬先、釜らが作られたのだろう。

それは、土豪や民衆の暮らしを劇的に変えていく古代における「技術革命」の1つであり、要素の1つなのは間違いない。

そんな視点でこれら製鉄遺構の展示を見れば、その貴重さや価値が解るのではないだろうか?

質問らに真摯に対応戴いた館員さんや学芸員さんにはこの場を借りて…

ありがとうございました。

良い学びになりました。

 

 

 

 

参考文献:

「シリーズ「遺跡を学ぶ」−21 律令国家の対蝦夷製作 相馬の製鉄遺跡群」 飯村均 新泉社 2005.11.15

 

「横大道製鉄遺跡  −陸奥国行方郡における古代製鉄遺跡の調査−」  南相馬市教育委員会