これが復元された「製鉄炉」…「まほろん」展示の「箱型炉」を見てみよう

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/02/10/180351

さて、前項からの流れで…

せっかく「箱型炉復元品」の展示場所を教えて戴いたのだから、見てみたくはないか?

 

本題からいこう。

これが白河市にある福島県文化財センター白河館「まほろん」にある箱型炉の復元品。

これが全景。

見学用に木製ベンチがあるが、無視して戴きたい。

これが、

炉内。

フイゴの羽口が炉底付近に並んでるのが解るだろう。

出土した現品でも、羽口が一列に並んでる様が解る。

これが、

フイゴ座で、

炉体より上に設置されているのが解る。

中の板を左右交互に上下させて送風し、炉底の羽口から吹き出されるのが解る。

発掘以降、ここで製鉄実験し(とはいえ、炉体は作り直した)、発掘調査と実証考古学の両輪で、古代製鉄の解明が行われている。

学芸員の方にお話を聞けた。

見学用を兼ね、フイゴ座らは実際よりゴツく作っているそうだ。

炉体自体も小型にしている。

で、実験してみて、炉壁高さは90cmを想定していたが、実際は120~150cmあったものと考えているとの事。

とはいえ、発掘(と言うより製鉄終了)段階で炉体を破壊し中の鋼と銑鉄を取り出すので元の高さは推定でしかない。

実験してそれが解ってきたとの事。

また、まだまだ謎はある様だ。

・発掘時に左右の炉壁がくっついた状態のものが確認されている。

くっついた部分は溶融や反応をしているので、高温を保ったまま炉壁を押し込んだ事になる。

但し、これは「横大道製鉄遺跡」のみの事例で、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/11/30/201841

ここで紹介した武井地区,金沢地区らの製鉄遺構では検出が無いどころか、他地域に確認しても「見た事が無い」との回答だったそうだ。

・原料の砂鉄に含まれる不純成分、例えばTi(チタン)らは、地山の鉱脈由来の差があるのは科学分析で解っている。

・炉体を作る粘土も、発掘で見ると、

初期→藁らを混ぜ、緩く作っている

フイゴ座設置後→砂を混ぜ、固く耐熱性を上げ作っている

ら、時代により傾向を持ち、どうやら緩く作るのも土中の微量成分を添加剤として反応させたのでは?と。

これらから解った事は、地域性によるノウハウや儀礼?に差があるとの事。

つまり、同じ様な炉底部分が発掘されていても、破損した地上部分らに差がある事は考えられる。

現地で炉体らを作った後に、砂鉄(原料)と炭(加熱剤,還元剤)と土(炉体構成と添加剤?)とのマッチングを見ながらよりベターな条件出しをしていただろうと言う事だった。

破壊された炉壁がどうなっていたか?ら、現在見えない部分は実証実験をするしかない訳だ。

例えば、出雲らは元の砂鉄の純度が高く、不純物による影響を受け難い。

が、福島らはTiらの混入率が比較にならない程多い。

各地に残された製鉄遺構は、そんな原料差らを作り込みの上でノウハウ蓄積していた事になる。

この辺は、現代の工場の技術者とやっている事は変わらない。

一つ設備増設すれば、工場内の他の装置との条件出しの作業が入る。

よりベターな条件が出せないと、予定処理量にならなかったり、歩留が下がる。

同じ様な装置に見えても、条件が同じとは限らないのだ。

現代ならPCや実験計画法、科学分析で短縮しているが、古代はそれを経験則,職人技とカット&トライでやっていたであろう。

と、宮城北部、釜石周辺の「餅石」も純度は高いそうだ。

宮城北部…舞草刀。

この成立は、これら不純物が少ない原料を入手出来た事から発展していった可能性はあるとの事。

実はそれだけではない。

中世に一度、これら製鉄は廃れたそうで。

海外から粗鉄が入り、ムリに製鉄をする必要がなくなったからだ。

その廃れた技術を復活、発展させたのが、近世以降のたたら製鉄になる。

特徴は、砂鉄から一発で鋼を取り出す「ケラ押し法」。

だが、古代は、製鉄→精錬→鍛冶と精錬(所謂「大鍛冶」)が入る「ズク押し法」。

フイゴの改良らでケラ押し法が確立するが、問題点もあるとの事。

大鍛冶が無い分、不純物が残り易いそうだ。

ズク押し法の場合、一度炭素が多い鉄を作ってから、再還元で炭素成分を合わせる。この時に不純物も除去されるので、残存不純物はより少なくなる。

だが、この大鍛冶工程でどうやって炭素成分調整を行っていたか?があまり解明されてはいない様だ。

これが古刀が未だに残る理由の一つらしい。

武器としての性能も…

学芸員さんの見解では、平安末〜鎌倉期位には、これら技術はほぼ完成し、そこからは技術向上の余地が少ないハズとの事だった。

勿論、幕末の高炉導入や現代製鉄で作られた鋼の性能や生産量は古代製鉄を凌ぐので、これだけの選択肢や部分的に材質を変えるらの技法がある訳だが。

風雨に晒されても表面しか錆びない様な物が古代に作れたハズもない。

古刀らもその性能だけでなく、手入れも含めた「運用ノウハウ」があるからこそ残っている事を忘れてはいけない。

 

と、炉体に関し…

竪型炉と箱型炉の見分けについて。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/10/10/071915

ここにも書いたが、竪型炉には半地下式と自立式がある。

少し注意が必要なのは、自立式の中に竪型炉に含まれず、むしろ箱型炉に近いものがあるそうで。

この識別は、

・箱型炉…

フイゴ→炉体に対して廃滓口が直行する

・竪型炉…

フイゴ→炉体→廃滓口が一直線に並ぶ

事だそうで。

上記写真で解る様に、箱型炉は廃滓口は長手方向の先端で、フイゴ羽口は真横から、それも底付近にある。

竪型炉は、

炉体中心付近に羽口が付き、この写真なら手前側に炉底と廃滓口がある。

自立式の場合、円筒型には見えるが、箱型炉の様に廃滓口が直行するものがあるらしい。

で、炉壁が破壊されてるので見分けがつかないものがある様で。

 

さて、色々ご教示戴いてきたが、敢えて割愛。

一つ、質問をぶつけてみた。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/10/10/071915

奥尻島「青苗遺跡」の様に、土師器片を並べた事例を知っているか?

即答だった。

「見た事聞いた事がない」と。

炉底部分の下に礫を敷く事はあるそうだ。

が、それはむしろ、炉体と地面部分を離し地面の水分が炉底に来ない事&炉体から出る水分の排出の為らしく、必ず礫層の上に粘土層が作られるそうで。

先の炉体の破片が「混じってしまう」事はあるが、わざわざ土師器片を並べる必要が無いのでは…と。

やるなら、破片でなくもっと細かくする…なら粘土でOKとも言える。

故に、少なくとも陸奥側の炉体系譜で

はない様だ。

現状は全く系譜が解らない。

実際、製鉄遺跡で大切な部分は、鉄滓の量もあるとの事。

これがあれば、その組成と量からどの程度の規模でやったかが推定出来たりするらしい。

北海道では、鉄滓片しか出ていないので、やはり成功したものとはみられないのかも。

 

今回のフィールドワークも非常に学びになった。

まほろんと学芸員さんには感謝しかない。

ありがとうございました🙇

 

まだまだ古代製鉄を理解するには、学びが必要。

そこから、北海道で何故製鉄が成立しなかったか?

青苗遺跡の遺構は何か?

らも見えてくるだろう。

少なくとも、陸奥国の製鉄遺跡群の系譜とは一致しないのとは、現状言えそうだ。