https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/01/19/152909
さて、一気に九州長崎の壱岐、それも弥生期迄遡ったので、元に戻ろう。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/01/13/070857
新潟のトレンドを「金津丘陵製鉄遺跡群」の発掘調査から学んだ。
では「北陸一帯のトレンドは?」
この辺は、筆者はそれぞれの文献の「参考文献」を確認して遡る事が多い。
で、今回も引用された「北陸の古代手工業生産」と言う文献へ。
北陸の状況が纏められているので、解り易いであろう。
手工業生産全般、須恵器窯や瓦、塩らにも及ぶが、この中の「北陸における鉄生産」より学んでみよう。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/10/10/071915
まずこの製鉄とは何か?は、ある程度押さえて欲しい。
まず、これが北陸の同研究での鉄生産関連技術の変遷。
と、北陸(新潟含む)地域での同様の遺跡検出事例。
現在、新規発掘で変動はあるであろうが、トレンド故にご理解戴きたい。
著者の関清氏によれば、
・最古の製鉄遺跡
福井県蛙ヶ平遺跡…7世紀中頃
・最古の鍛冶遺跡
福井県長屋遺跡…6世紀前半
石川県勅使遺跡…6世紀前半
この内、蛙ヶ平遺跡の製鉄は畿内、つまりヤマト朝廷の部民掌握によると考え、基本的には鍛冶主体だったと指摘する。
これが第Ⅰ期。
第Ⅱ期では部民制→戸別支配へと社会構造が変わり、製鉄遺跡が北陸全体へ普及していく。
これは畿内~西日本で主流の箱型炉。
これが概ね7世紀末~8世紀前半。
第Ⅲ期は、律令体制整備,強化に呼応し、製鉄炉の大規模化が起こる。
勿論、福島で「国家規格」としていた箱型炉が主流。
第Ⅳ期は9世紀中頃~10世紀。
ここで製鉄遺跡は小規模分散化&製錬~鍛錬鍛冶迄の一貫生産化をしていくと「予想」。これ、全国的なトレンドだが、北陸ではこの段階で立証出来る遺跡が無かった為。
ここで8~9世紀と考えられる新潟県真木山遺跡で竪型炉が初見となり、竪型炉への転換が始まる。
これは東日本の影響か?。
第Ⅴ期として、10世紀以降は生産体制が不明瞭となり、鍛冶遺跡はⅣ期同様に集落内だが、製錬遺構が激減し、中世への過渡期と考えられる。
富山県上野赤坂A遺跡に竪型炉は三基、小規模化と竪型炉の末期的形態となる。
こんなトレンドになる。
時期的には若干のズレはありそうだが、概ね変遷は東北と同様。
鋳造開始は9世紀後半と考えていた様で、鋳造型は東日本と共通性を見る。
如何だろうか?
概ね福島周辺と同様の変遷過程を進む。
この後、荘園拡大や物流の発達で、中世には能登半島周辺ら、農業基盤の希薄な地域へ集約されていき、段々と特産化していくと推測している様だ。
この辺、北東北では中世迄竪型炉が地域土豪と共に使われる点が違い。
そこは、大消費地「畿内」を間近に控えるか?否か?にもよるだろう。
が、北陸と南東北のトレンドが同じ…これは間違いなさそうだ。
であれば…
・竪型炉を普及させたのは誰?
・奥尻島青苗遺跡へ箱型炉をもたらしたのは誰?
でも、ここで後者…
これの消去法は成り立つかも知れない。
北東北は箱型炉を知らぬ…
北陸は知っている…
なら、北陸の民の蓋然性は上がる。
何せ.
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/03/15/174010
これだ。
ここまでを見ても「北海道と本州の関係は古代から」…が成り立つのではないだろうか?
まぁ、ゆっくり続報を…
参考文献:
「北陸における鉄生産」 関清 『北陸の古代手工業生産』 北陸古代手工業生産研究会 1989.10.1