様似町「観音山」に石垣はあるか?、続報1…観音山とは、どんなところなのか?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/07/07/174555

さて、弾丸ツアーの宿題をこなそう。

様似の「観音山」にあった石塁と石碑、これは何か?

まずは観音山は何か?

これが現在のマップ。

「改訂 様似町史」より学ぼう。

 

「観音山公園

ソピラプリ(筆者註∶観音山のアイノ語名)は、和人が住むようになってから円山と呼ばれていたこともあった。朝夕烏が多いので有名である。 明治二十八年に等澍院を復興した塚田純由が、西国三十三番札所にならって石像の観音をこの 山に配置した。それから観音山と呼ばれるようになった。五月八日は山開きで、この日は桜まつりもかね町内外か ら来遊する観光客で終日にぎわっている。

山の北面に「チャシコツ」というものがある。 伝説では、十勝アイヌに攻められた様似アイヌが防御に苦戦した戦跡であるといわれている。その付近に最近まで竜王殿があった。昭和二十八年ころから毎年、商工会やその他の団体が、桜やツツジなどを植樹している。 すでに以前にも桜を植えたものとみえてかなり大きな桜の古木がある。これらのほかに野生の桜もかなりあるから、将来この観音山公園は海が展望できる桜の名勝地となることであろう。 見晴しの良いこの公園に昭和二十九年になって展望舎を建てた。ラスモルタル、プラスター吹付塗装の明るい白壁である。 夏の夕陽の照り映えるさまは美しい。 観音山は海抜八三㍍、海風の吹きつける中にうっそうと樹木が茂っている。その樹種の多いことも珍しい。南方を眺望すれば、ソビラ岩を主とした様似漁港は手に取るように見える。昔、千石船をつないだという様似の西泊りはエンルム岬に抱かれている。 右手を見れば仲よく三つ並んだ親子岩やローソク岩が見え、様似湾内はまったく北海道随一の絶景である。

緑様似海浜題(作者不詳)

天恵海浜海草豊   水揚百万一戸千

沖鮭鱒鰮無尽藏   去来頻繁良漁港

さらに洋々たる太平洋に目を転ずれば、その昔、高田屋嘉兵衛の後を継いだ金平がロシア船と貿易をしたことなどが思い出されるであろう。東方を望めば紺碧の中空に秀麗なアポイ岳が姿を見せている。」

「改訂 様似町史」 様似町史編さん委員会  平成4.8.31  より引用…

 

上記引用は、昭和37年版の「様似町史」でも同様の事が記載されるので、展望台らの状況はその辺の時代を反映したものと思われる。

マップにある様に、展望台は健在で、絶景であるのは間違いない。

これらが明治28年に建てられた三十三観音

秋田でも、山に観音や地蔵を建てて「遊山」した話はあるので、同様の事が行われたのだろう。

中も整備されているので、普通に滑りにくいスニーカーらで歩き回るのは可能。

在りし日の写真にあるようなバンガローは、筆者は見ていない。

桜まつりの活況と言うよりは、静かな散歩コースの様な感じ…といえば通じるだろうか。

 

さて、話題を石碑と石塁に戻そう。

上記引用に石塁らの記述は無い。

手掛かりになりそうな事は「竜王殿」位か。

昭和37年版でも同じ記述なので、その頃の感覚で「最近迄」あったと言う事になる。

これが観光用に作られたのか?難陀龍王らを祀る神社だったのか?も解らない。

何せ、観音山は名所旧跡や観光の章に記事される。

なら、宗教の章は?

実は記述が無い。

何せ、観音山のてっぺん付近…

何らかあっても良さそうなものだが。

 

今回はここまで。

まだ、この石碑,石塁の謂れには程遠い。

もっと古い記述を当たる必要があるか。

まぁ少しずつ少しずつ…

 

 

 

 

参考文献∶

「改訂 様似町史」 様似町史編さん委員会  平成4.8.31