北海道中世史を東北から見るたたき台として−6…信濃や伊勢はどうか?「中部・東海編」を確認

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/11/23/194835

さて、続けていこう。

ある意味、筆者が最も興味があった場所の一つを確認みよう。

中部・東海編。

諏訪大社,善光寺を擁する「信濃」、伊勢神宮が鎮座する「伊勢」…この辺がどうか?だ。

 

長野県…

・遺跡総数

187

・土葬or火葬

土葬→68

火葬→99   

・特徴ある副葬

古銭→70

ガラス玉(水晶,土玉含む)→0

鏡→1

鉄鍋→13

鉄釘→18

刀剣(刀子含む)→9

陶器,かわらけ→60

漆器→2

仏具(五輪塔,板碑含む)→13

鈎,ヤス→0

甲冑→0

骨角器→0

装飾品→0

・特徴ある墓制

周溝墓→1

鍋被り→1

石積塚→20

 

山梨県

・遺跡総数

313

・土葬or火葬

土葬→39

火葬→14  

・特徴ある副葬

古銭→35

ガラス玉(水晶,土玉含む)→0

鏡→0

鉄鍋→2

鉄釘→0

刀剣(刀子含む)→1

陶器,かわらけ→20

漆器→0

仏具(五輪塔,板碑含む)→17

鈎,ヤス→0

甲冑→0

骨角器→0

装飾品→0

・特徴ある墓制

周溝墓→2

鍋被り→0

石積塚→0

 

静岡県

・遺跡総数

119

・土葬or火葬

土葬→12

火葬→30

・特徴ある副葬

古銭→8

ガラス玉(水晶,土玉含む)→1

鏡→3

鉄鍋→4

鉄釘→5

刀剣(刀子含む)→6

陶器,かわらけ→29

漆器→1

仏具(五輪塔,板碑含む)→7

鈎,ヤス→0

甲冑→0

骨角器→0

装飾品→0

・特徴ある墓制

周溝墓→1

鍋被り→0

石積塚→2

やぐら→1

 

岐阜県

・遺跡総数

66

・土葬or火葬

土葬→12

火葬→13 

・特徴ある副葬

古銭→7

ガラス玉(水晶,土玉含む)→0

鏡→3

鉄鍋→0

鉄釘→2

刀剣(刀子含む)→3

陶器,かわらけ→20

漆器→1

仏具(五輪塔,板碑含む)→6

鈎,ヤス→0

甲冑→0

骨角器→0

装飾品→0

・特徴ある墓制

周溝墓→0

鍋被り→0

石積塚→3

やぐら→1

 

愛知県…

・遺跡総数

168

・土葬or火葬

土葬→55

火葬→47   

・特徴ある副葬

古銭→17

ガラス玉(水晶,土玉含む)→1

鏡→4

鉄鍋→4

鉄釘→1

刀剣(刀子含む)→12

陶器,かわらけ→62

漆器→0

仏具(五輪塔,板碑含む)→16

鈎,ヤス→0

甲冑→0

骨角器→0

装飾品→0

・特徴ある墓制

周溝墓→0

鍋被り→0

石積塚→0

 

三重県

・遺跡総数

272

・土葬or火葬

土葬→60

火葬→41  

・特徴ある副葬

古銭→16

ガラス玉(水晶,土玉含む)→1

鏡→3

鉄鍋→5

鉄釘→13

刀剣(刀子含む)→23

陶器,かわらけ→82

漆器→2

仏具(五輪塔,板碑含む)→18

鈎,ヤス→0

甲冑→0

骨角器→0

装飾品→0

・特徴ある墓制

周溝墓→1

鍋被り→0

石積塚→0

 

では…

A,土葬or火葬…

長野→1:1.5

山梨→2.8:1

静岡→1:2.5

岐阜→1∶1

愛知→1.2∶1

三重→1.5∶1

従来通り「遺跡数」なので、全体像を捉えるのは微妙だが、土葬が強い山梨、火葬が強い静岡を除けば、イーブンに近い印象。

だが、こんな事例を二つ。

・長野県中野市「安源寺遺跡」中世~近世…

「段状に造成した南斜面に火葬墓11 基、土葬墓4基ある。火葬墓は、小石を円形に敷くもしくは囲み、中央部に火葬骨が集積する形態 (Ⅰ類) と、粘土の盛土上部に砂利を敷き、多量の人骨が集積する形態(Ⅱ類) に分類される。土葬墓からは人骨が出土し、1号土葬墓の人骨は頭位を「北に向け顔が西面する横臥屈葬。」

「11号火葬墓より須恵質の擂鉢、1号土葬墓より銭貨 (12枚)と鉄釘、2土葬墓より刀子出土。」

「火葬墓は一定の間隔で配列するため、あまり時間差が認められない。墓は長方形の掘り込みをもつ土葬墓I類(中世中頃)→火葬墓群 (中世中頃)→マウンドを 伴う土葬墓Ⅲ類(近世中頃)と変遷。これは宗派の変化が起因。副葬品の乏しさと埋葬方法の簡素さから、造墓者は庶民クラスと推定。」

三重県嬉野町天花寺小谷赤坂遺跡」13後~16前世紀…

「土坑墓群と集石墓群を検出。集石墓群は、一定の区画をもつものや五輪塔が伴うものがあり、下部に火葬墓を備える。」

「蔵骨器として常滑産壺や瀬戸産壺、 土師器鍋が出土。集石上部からは、 葬墓 五輪塔各種や宝篋印塔のほか、銭 貨、土師器皿が出土。」

「中世墓の時期変遷から、土坑墓群から火葬墓を伴う集石墓群へと移行する 状況が窺える。」

地域により、土葬→火葬→土葬や土葬→火葬と墓域中の墓制変遷が伺える場所が幾つか記載される。

長年継続(又は断続的に使用)した墓域では、宗派等の変化で変遷するのだろう。

特に中部・東海地方は当然ながら畿内らの状況を直接受ける事になる。

新規宗派の立ち上げにして、動乱らによる人の移動にしてだ。

さて、「安源寺遺跡」でお気付きだろうか?

火葬墓に集石と記載がある。

実は長野県に於いては、

・長野県小布施町「玄照寺跡」13後~15後世紀…

北関東で見られたT字型火葬墓(又は火葬施設)は見られるのだが、以西では見られなくなっていく。

円形や隅丸方形の底に石を敷いたり、逆に焼土の上に集石したりだ。

それぞれの発掘調査報告書迄確認出来ていないので漠然とだが、西に行くほど北陸や東北と似た集石での火葬施設に近い傾向はあるかも知れない。

土葬の土坑墓にしても集石を伴うものがあるのも確かである。

どちらかと言うと、関東らにあるT字型火葬墓の方が地域性が強いと見えるのは筆者だけだろうか?

ここはまだ南関東を確認していないので、長野県らにあるT字型火葬墓が飛び地なのか?は解らない。

この辺は随時確認である。

 

B,特徴ある副葬について…

この辺から副葬そのものが薄くなる。

陶器やかわらけでも、東北らである貿易陶磁器らより土師質や瓦質のものが多い。

鍋に関しては、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/06/08/070139

「生きていた証、続報34…食器と言う視点で北海道~東北を見てみる」…

伊勢型との記載があるので、こちらにある南勢型が該当するかと思われる。

中部地域では副葬としては薄く、東海に増える傾向で、産地に近い→希少性が少ない…なのだろうか?

 

C,周溝を含めた墓制変遷…

検出数が少なく割愛する。

 

D,集石塚について…

・長野県山ノ内町千手寺経塚」中世後半~近世…

「直径約3mの塚。マウンド中央北側に石室があり、礫石経(一字一石経) とともに焼骨出土。焼骨は石室奥壁で炭化物とともに出土。」

「塚の西側より宝篋印塔 (相輪部)1 点出土。」

「墓跡的性格を持ち合わせ た経塚。」

こうなれば思い切りの集石塚、それも経塚だけでなくケールン状の石積みを伴うと言えそうだ。

ただ、これだけ明確なのは目立たない。

又、方形配石火葬墓だが、

・長野県中野市「田麦中畝3,4,5号墳」中世…

千曲川右岸に南北にのびる長丘丘東端 に立地する。眼下に夜間瀬扇状地が展 開する。」

「3基の土盛状遺構は丘陵上に約10m間隔で配置。3・4号墳とも方形のマウンドをもち、表土を除去した面に方形の配石あり。3号頃の配石中央部の石集中箇所からは、有機質を含む土が充填。」

「3号墳から須恵質の破片が出土。」

「3.4.5号墳は、信仰施設または墳墓遺構の性格が考えられるが、骨が確認できず峻別が困難、構造的に3号填は信仰施設 (基壇)、4号墳は墓とも仮定できよう。」

この様に可能性ではあるが有機質を伴うものがありそうだ。

但し、中部・東海地方で方形を伴う場合に多いのはこちらの事例。

三重県鈴鹿市「椎山中世墓」山茶碗6式~古瀬戸前Ⅱ…

「段上の平滑部に石組みの図れたと骨臓器を納める。特に第Ⅳ段東方部には石を方形に区画し骨臓器を埋納。」

「段状に造られた平坦地上に長期間にわたって造られた中世墓群。五輪塔も出土。」

山茶碗6式…13世紀中葉位で良いのか…?

こうなると土器や陶器の編年指標の知識が必要だが。

が、これは火葬そのものを行った訳ではなく、他で火葬なり再葬する時点で骨臓器に骨を入れ、石で覆い真ん中に五輪塔や宝篋印塔を建てる形の模様。

仮に13世紀に火葬をしたとしても、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/02/201220

「北海道中世史を東北から見るたたき台として、北陸編のあとがき…ならば「方形型火葬墓」を並べてみよう」…

北陸の方が古く且つ明確に数が多そうだ。

この墓制から北陸の方形配石火葬墓が生まれたとしても、方形配石火葬墓としては北陸で主流だったのは間違い無さそうだ。

ここ「椎山遺跡」周辺には、日本武尊の白鳥塚古墳や加佐登神社がある様だ。

さすがに修験者が居ても全く違和感が無い。

 

E,十字型火葬墓について…

残念ながら見当たらず、中部・東海地方由来ではなさそうだ。

だが、こんな墓制が。

・愛知県知立市「荒新切遺跡」中世後半…

「火葬施設62基検出。」

「鉄釘、土師皿、銭貨」

「ほぼ同一方向で隣接して作られ、しかも長辺に並行して煙道部を設けるという画一的な構造をとることから、時間的に大きな幅を持たせることは是認しがたい。」

見ての通り、I型火葬施設の様だ。

何故かこれも主流と言う訳ではなく、この周辺にのみ出現している様だ。

人の移動に伴うのだろうが。

愛知では他に、

安城市「加美遺跡」15~16世紀

西尾市「八ツ面山北部遺跡」16世紀

で、見られる模様。

かなり限定的な様だが、特定の宗派の影響だろうか?

荒新切遺跡にして八ツ面山にして弥生~古墳期の遺跡がある様だ。

実はこの中部・東海地方では割と顕著だが、古墳の周辺を再利用して中世墓を造成した記述はかなりあり、他の地域でも「やぐら」「横穴式石室」の再利用等、古代の墓の再利用やその周辺を利用するのは普通にやられている様だ。

そこに先祖らが眠る事を知っていたかの様に。

何らかの伝承らで関連が出てくるのかも知れない。

 

F,鍋被り墓について…

残念ながら見当たらない。

 

G,板碑の伝播ルート…

四国同様に、この中部・東海地区でも板碑はあまり見掛けられず、五輪塔や宝篋印塔が主。

 

以上、如何であろうか?

どうも十字型火葬墓へは辿り着けていない。

何処がルーツなのか?

と、方形配石火葬墓はボツボツ近いものはあるが、やはり北陸が現状強い状況だ。

まぁここで止める訳にもいかない。

南関東や関西、中国地方も少しずつ確認していこうではないか。

日本全国に至った時に何が見えるのか?

まぁそこは見てからのお楽しみ…

 

 

参考文献:

「中世墓資料集成−中部・東海編−」 中世墓資料集成研究会 2004.3月