方言,訛りから見る言語系の矛盾…奈良,平安にアイヌは居ない

たまたまの雑談からの話である。
筆者には、妙に気になっていた事があった。
東北各地の方々と話して、お尻につく言葉が違うのだ。
例えば、「相手の言った事を肯定する」又は「相槌を打つ」時の表現である。

津軽は「じゃ」の文化…「んだじゃー」
秋田は「な」の文化…「んだなー」
庄内は「の」の文化…「んだのー」
仙台は「ちゃ」の文化…「んだっちゃー」
そして岩手は「け」の文化…「んだっけー」
とか…筆者、岩手が謎だった。
東北は山で分断され、言葉もこれだけ違うし、文化考え方も違う。
それどころか、秋田だけ見ても、沿岸部と山間部では訛りが違ったり文化の差や酒の味さえ変わるのだ。

でも、山は山、川で通じる。
商売で渡り歩いたり、統治に当たり不都合だから統一されていくのは当然。
そこには、統一をはかる為の媒介が必要になる。東北なら朝廷だろう。

さて、この視点で北海道を見る。
政府広報らでは、アイヌアイヌ語を使ったと。ここで矛盾が出る。
例えば、日高の山々を隔てた十勝と日高,胆振で何故方言や訛りの存在が広報されないのか?
統一言語であるはずがない。何故なら…
アイヌには統一王朝が存在しない。
②それ以前の擦文,オホーツク文化期で場所的な文化の違いがある。
アイヌと擦文文化にも差があり(所謂ミッシングリンク)、丸っきりの直結はしない。
こんな、歴史変遷があるから。

東北の方言,訛りの違いから見ても、
①統一言語を持つのは「嘘」か?
②言語統一の歴史も持つのか?
このどちらかになる。
さて②の場合、言語統一化の媒介と成りうるのは?
唯一いる…擦文文化を持った人々。
8~10世紀前後の北海道で言う擦文期に、鉄器と共に擦文遺跡は一気にオホーツク文化を凌駕しながら全道に拡散している…東北と縁の「蕨手刀」と共に。
当然、言語の媒介には成りうる訳で…
で、ここでブログの「限定回帰」を見て欲しい。その鉄器や須恵器らをもたらしたのは誰?秋田城を初めとした東北のエミシと朝廷に他ならない。
時系列で並べたらこうなる。
つまり、朝廷とエミシの影響で言語の一部が統一されたとの「仮説が成り立つ」訳。

同時に、朝廷やエミシの言語が北海道に残る可能性はあるが、アイヌの言語が東北に残る可能性は低くなる。
だって、この時、アイヌ文化は出現していない。

時系列で考える重要性はこれ。
擦文期は、奈良,平安期に相当する。
惑わされてはいけない。
並べるだけで、こんなトリックは見破れる。