この時点での公式見解24…言語系が最も先に取り上げるべき、「エンジュ・エンチュ」と名乗ったそれぞれの集団

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/23/193547
これが関連項。
筆者はずっと記憶を辿っていた事がある。
古代東北に住む「蝦夷(エミシ)」が自らをどう名乗っていたのか記載したのを読んだ記憶があったが、記憶先がぶっ飛んでしまっていた。
そう言えば、この2021年8月28日をもって歴史の再勉強し直し初めて三年目突入である。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/01/151154
フラりと秋田城跡と秋田城跡歴史資料館を回って「ありゃ?」と思った所から。
二年間詰め込み式にメンバーと一気にコアな部分を掘り込んでいるので、さすがに報告に抜けは出るのは勘弁戴きたい。
と言うか、既にブログに記載していた為、記憶に残っていただけだった。
学びに整理は重要だと考えさせられた。

さて、わざわざ何故そんな記憶を辿る必要があったのか?
SNS上の会話の中で気になる話を教えて戴いたから。
樺太アイノの人々が、「我々はアイノではない。エンチュである」…こう主張されているとの記事を紹介戴いたから。
確かにググれば、金田一博士やジョン・バチェラーや知里博士が、樺太の人々は自ら「エンチュ」と名乗り、エンチュとは広義で「人」を表す…この手の記事、論文,論説らは幾らでも出てくる。
敢えて引用はしない。

では、探していた記述を引用してみよう。

「えぞとは当時日本海岸の蝦夷がみずからをエンジュウと呼んでいたことからきたのではないかと考えられている。」

「新北海道史 第一巻 概説」北海道 昭和五十六年三月二十日 より引用…

これは前項、『「アイヌ」と言い出したのは「ジョン・バチェラー」』において既に引用済み。
自分で書いておいて、何処に有ったか忘れてた…実に間抜けな話である。

さて…
東北に居た蝦夷(エミシ)は自ら「我々はエンジュである」と名乗った…
樺太の人々の一部が自ら「我々はエンチュである」と名乗った…
この話は、前述の様に、別に新しく言われてる事じゃない。
それぞれの文章の中で語られた上で、何故か「アイノ」が登場してすげ換えてごちゃごちゃにしていっている。
樺太の人々がわざわざ「我々はアイノではない」と言っているのにも関わらずだ。
そして、この極近い表現は、本道をすっ飛ばし東北と樺太に残されているのだ。
これ、言語系の割に、はっきり樺太と東北に関連性があると指摘していないのでは?

確かに、本道アイノは自らをエンジュなぞとは言わない。
むしろ蝦夷(エゾ)と言われるのを嫌ったと説明されている事が多いかと。
つまり「言語系」で追うなら、本来は蝦夷≠アイノ、違うもの…と言わねばならなくなるのだ。

さて、では実際はどうなのか?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/23/054323
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/05/171231
考古学研究では、擦文文化は、北海道の続縄文文化と北上した東北の土師器文化集団、つまり蝦夷(エミシ)による融合の文化であろう事はある程度立証された話。
更に、擦文文化集団は、樺太や千島にも進み、竈付き竪穴住居を残しているのもある程度解っている話で、北海道から北進,東進した痕跡を残す。

更に中~近世でも、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/03/15/174010
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/03/14/201205
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/03/08/124743
日本刀を副葬され、北海道と言うより北陸と千島との混血の可能性を持つ人物や、「赤蝦夷風説考」らにある日本人の末裔を名乗る者…
一応、発掘調査と古書記載、人々に伝わる伝承が一致する方向にある。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/04/103624
まぁ余市がこれなので我々的には然もあらんではあるが。
本来、言語系がこれに着目し、本道内の擦文文化直結集団と樺太のエンチュを名乗る集団との関連性とアイノ文化集団との違いを指摘すべきなのでは?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/30/043133
だから、我々はずーっと言っている。
蝦夷≠アイノであり、蝦夷にアイノは含まれると…と。

これは、文化の痕跡から見た話。
筆者的には「血統論は他で勝手にやってくれ」のスタンス。
極端な話…エンジュが、他の血統を持つ人々を統率する可能性もある。
信長公には弥助、つまりアフリカ系の方が支えた話もある。
文化論とは別である。
そして、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/11/11/185110
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/05/135443
ただでさえ広い北海道、それらの人々が入り込むスペースもタイミングも江戸期にすら有り得る。
何せロシアに追われる危険性はあるのだ。

如何であろうか?
さて、自らをエンジュと名乗った樺太の人々の末裔と、本道アイノを名乗った人々の末裔…あれこれ、背景差で衝突?はある模様。
が、政治系の発信をされてる方はよくご存知の様で。
まぁ補助金らで優遇されているのがどんな団体?調べれば解るだろう。
上記を読んで、それらとの関係を見てみるのも一興。
ここは我々の学びの過程を書いているので、敢えて書かない。
読んで戴いた方にお任せする。




参考文献:

「新北海道史 第一巻 概説」北海道 昭和五十六年三月二十日