近代学問創世記からの警鐘…アイヌ問題は今始まった訳ではない

大正~昭和に、「アイヌ」って言葉が、どう扱われイメージされていたのか?それを想像させる記載がある。

これは、「津雲石器時代人はアイヌ人なりや」と言う論文の一部。


今日は日本石器時代人民アイヌ論全盛の時代である。即多く人の信ずる所に據すれば、古く日本石器時代には縄文土器を使用した人種が居つた、之がアイヌ人の祖先である。然るに石器時代の末期には弥生式土器を造る様になつた、弥生式土器使用者は大陸渡来の別人種であつて、之が大體に於てアイヌ人を追い拂つて日本人を造つた。隨つて之が原始日本人だと云ふ。そして今日残つたアイヌ人は日本人とかなり混血して可成り不純であると想像せられて居る。誠に結構な考説であるが、若し比説が正しいのならば、アイヌ人は石器時代に行くほど、日本人に似無い點が多くなつて、アイヌ人の特徴が強くなつて来無ければならぬし、古墳から発見せられる骨は現代日本人よりもアイヌ人に似無い點が多くなる筈である。
然るにアイヌ論者は欺かる點をよくも調べずに論断して居る。(p484より)

然し人種の結果には文化史上の衆化は参考である断定で無い。文化の大衆化は人種の差であつても宜しい、然し人種の差で無い事もある。(p485より)

然し今日発表した論文の結果丈けでも既に日本石器時代人民がアイヌ人だと云ふ説の非なる事は明瞭である。(p485より)

考古学雑誌第十六巻第八号 「津雲石器時代人はアイヌ人なりや」 医学博士 清野謙次/宮本博人 大正十五年八月五日発行 p484-485より引用抜粋


論文の内容は骨格学の見地より、遺跡から発掘された縄文人と北海道,関西,北陸との差異を比較すると言う物。
その内容的には、医学を学ばぬ筆者が理解しうる物ではないので記載しない。
我々が見て欲しいのは、むしろ「当時の風潮」である。

縄文人アイヌ人である…
そんな説が出て、盛り上がっていた模様。
時同じくし岡山津雲で縄文時代の完全に近い骨が出土され、大盛り上がり。
清野/宮本氏は、面白おかしく騒ぎたてる風潮に対し、純粋に骨格学からアプローチして、「もっとよく調べるべし」と警鐘を鳴らしていると言う事。

大正期から、こんな事を繰り返して続けている。否定されは蒸し返され…

京都大学の清野博士は、この後も同様の骨格比較の論文を幾つも書き、考古学雑誌と医学系雑誌に載せている。
昨今でも、骨格学や遺伝子系の論文はある。
骨格学系は幾つか確認したが、結論として多いのは、地域偏差を持つ事。
平たく言えば、父と母が「合体」せねば子供は生まれない、故に父と母が地理的に近い方が骨格的に近くなる、その優位差は他の条件より寄与率が高い…結論だけを見ればそんな所だと思う。
まぁこの結果は置いておいて…

当時の考古学雑誌には、縄文期の漆を使った紋様等を「アイヌ紋様」と称して書かれた論文が散見される。
勿論、それは以後の研究で否定されているから、紋様から「縄文期の物」と特定している訳だ。故にある時期より、「縄文紋様=アイヌ紋様」なぞと言う論文は一切姿を消す。
こんな事を明治,大正,昭和初期迄続けている。未だに書いてある物を見かけるが…一体何時代の方なのだ?と問いかけたくなる。

結局、何でもかんでも面白おかしく「アイヌ起源」みたいにマスコミ含めて騒ぎたてる風潮は、今に始まった事じゃない。
近代学問創世記からずっと、出ては否定され、出ては否定されしている。

故に、この清野博士や、考古学の後藤守一,河野廣道両博士、言語の金田一京助博士らが、面白おかしく風潮するのは止め、ちゃんと学術的に調べ証明すべしと、論説で指摘し警鐘を鳴らしていた。
今と何が違うのだ?丸っきり変わってはいないし、学術的にこの時代から著しく進んでいる事も論文見ている限り無いと思うが。

これは、アイヌ新法に疑議を唱える方も同様。論を立てるならその根拠を示すべき。
もっとも、双方に確証ある根拠なぞ有りはしない。定説化出来る程、研究が進んでおらず、全ては仮説の中での議論になるからだ。
その点はまだ解明されておらず「解らない」と言える勇気も必要だと思う。

ならば必要な事は?
勉強し、調べる…
なるべく多視点の検討結果を手に入れて論を分厚くする…
これしか無いと思うが。

何でもかんでも「アイヌ 」は、近代学問創世記から続けられていると言う一例でした。


参考文献
考古学雑誌第十六巻第八号 「津雲石器時代人はアイヌ人なりや」 医学博士 清野謙次/宮本博人 大正十五年八月五日