「FREEDOM」…女の子目線が有ったって良い

先日、面白い歴史談義させて頂いた。

話の発端は、線刻石器を見ての話だった。
勿論、線刻石器は何に使った物なのかが解っていない。有りがちなのは「呪詛用」…
女性館員さんが、「もっと身近に、古代のタロットカードだったりして」…ここからだ。
「女の子目線だってあっても良いじゃないですか!」
要は、恋愛占いを想定している。
小難しく「シャーマンの呪詛」なんぞと言うより、もっと身近な占いとして捉えている訳だ。
話は続いた。
土偶だって、女の子目線なら…ただでさえ、出会いが少ない縄文期です。狩の途中や交易途中の男性と出会い、恋に落ちたら?"イタしてしまう"…。その彼との再会を期して、自分を模した土偶を割って、お互いに持ち会う…。ありだと思うんです。」

勿論、筆者は即肯定。
遮光器土偶はあちこちで出土してるが、多様性には乏しい。作りが厳格臭い。
それ以外の土偶は、一定傾向あるがデザインは自由且つ多様性を感じる。
この二点より、どちらかがこの「恋愛成就アイテム説」に該当するなら?
ましてや人形の土偶は妊婦と想定されている。「貴方の子供が欲しい」それを込めるなら有りだ。
ここに、エンゲージリングや結納の品々の起源説が出来た。と、飛躍させる必要まではないのだが…


つまり…
ママさん目線なら、出産に纏わる…
女の子目線なら、それ以前のペアリングに纏わる…
この手の「女の子目線」を専門家や先生らに話すと、妙な顔や呆れ顔する方が居るらしい。
だが、こうやって並べてみれば、否定する材料が無い。
他視点で見て…
合理的なのは何か?
矛盾が生じるものは何か?
大事なのはそれであって、矛盾が生じないなら妙な顔をすべきではない。


大体、我々がやっている事の1つ…
「北海道史を東北目線で見てみたら?」
これと、何が違うと言うのか?
元々、ミッシングリンクだらけ,穴だらけだから、視点を変えて矛盾が解けないのか?
何も変わりはしない。


縄文のご先祖が「幸せ」じゃいけないのか?
恋愛感情を持ち、想いを込めてはいけないのか?
生物の第一目的、「種の保存」に関わる視点だ。ペアリングを無視出来ようハズない。


FREEDOM!
謎は、こんな自由な発想から解ける事もある。
何よりも…
こんな風に、笑いながら仮説を立て、矛盾を探す方が面白い。
楽しく学べたら、知識は数倍になる。
何せ、見えない条件が見えてくる。
どうせやるなら楽しく。

敢えてもう一度…
FREEDOM !