この時点での公式見解②…新北海道史の「集団種痘と「首桶」の答え」 ※写真追加

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/21/101118

新北海道史②である。

https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1307432267187281920?s=19

と言うか、実はこちらが先…
通説一のハードカバー表紙開いた冒頭のカラー写真から、筆者はズルけた。
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写真は、「蝦夷人種痘の図」…
北海道大学付属図書館所蔵である。


「函館奉行村垣淡路守は種痘術を心得た江戸の医師桑田立斉を起用し、安政4(1857)より2か年にわたって、蝦夷地全域に強制種痘を実施した。おそらくわが国最初の集団強制種痘の試みで、これによって猛威をきわめた蝦夷地の疱瘡に終止符を打ち蝦夷の人口の激減を救うことができた。淡路守はこれを記念するため、当時のアイヌ画家として名をなした平沢屏山に、その実況を描かせ、奉行所医師塩田順庵にその顛末を書かせて残した。
背後にうず高く積まれた品々は、種痘をした者に与えられる褒美の品。炉を囲んだアイヌの群像は、当時のアイヌの生態の種々相を心にくいまでに細部にわたって描き出している。」

「新北海道史 第二巻 通説一」 北海道 昭和四十五年三月二十日 より引用…
冒頭カラー挿絵への説明文全文である。

恐らく仕切り役人や請負人三人らが座る後ろには屏風が立てられ、山の如く積まれた褒美の品々が置かれる。
褒美には、行器、つまり首桶を含む漆器の数々、家紋入陣羽織や木綿布か?、更には書物やガラス玉etc.

役人の前には、種痘を打つ医師や名簿の消し込みする人、そして並ぶアイヌの人々。
そこには、地炉に集ったり、わらわら集まる様子が描かれる。

この種痘の件は、種々討論のネタになっているのは、我々も知っている。
が、割と和気あいあい、寛ぐ姿が描かれているが、褒美まで貰って「迫害」…か?

なにより全てじゃなく、断片として…

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/17/070913

我々が追ってきた、首桶の謎に対する答えでもあろう。
アイヌの住居「チセ」に残されていた漆器の一部はこれら種痘を受けた証明として、受け取った褒美の品と考えても良いのではなかろうか?。

この「新北海道史(昭和四十五年三月二十日版)」は非売品と記載あり、基本的には図書館で読む事になるかと。


件の話に戻れば、
病死を選ぶか?
褒美貰って生き延びるか?
迫害?
それら内容に対する答えとその選択に対する評価は、それぞれお考え下さい。

参考文献:

「新北海道史 第二巻 通説一」 北海道 昭和四十五年三月二十日