この時点での公式見解⑧…「アイヌ」と言い出したのは「ジョン・バチェラー」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/22/200203

あまりに突っ込みどころ満載なので、新北海道史シリーズも増えてきた。
と言う訳でどうやらブログ記載を忘れてしまっていた様なので改めて。


https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/06/10/052507
金田一博士や坪井博士が疑問を投げ掛けていた、「アイヌ」と言う呼称…
筆者は古書に合わせて敢えて「アイノ」と表記している。
で、疑問だった答えが「新北海道史」に載っていたので紹介しよう。
アイノ→アイヌにした人物です。

「そのときの蝦夷は従来の蝦夷(筆者註:えみしのルビ有り)とは異なり、平安末期から蝦夷(筆者註:えぞのルビ)と呼ばれていて、それが後にアイヌの和名となるのである。えぞとは当時日本海岸の蝦夷がみずからをエンジュウと呼んでいたことからきたのではないかと考えられている。蝦夷(筆者註:えみしのルビ)の性質がここで変わってきた。アイノというのも自称で、人間という意味であるが、この名が初めて文献にあらわれたのは天正一八(一五九〇)年であり、それがアイヌと呼ばれるようになったのは明治以後英国人ジョン・バチェラーの主張による。」

「新北海道史 第一巻 概説」北海道 昭和五十六年三月二十日 より引用…

でた‼️…ジョン・バチェラー…
やはり、アイノ→アイヌにしたのは彼の模様。
そこまで見た限りの古書ら全て「アイノ」だが、何故たった独りの外国人の意見で、北大で使われ初め全てが変わったのか?
それも、金田一博士らへの反論らも無いようなのに?
これ…言語的な問題ではないと言う事なのかも知れない。
意味があるのだと、疑念を持たざる終えず。

こう言う処が気になるのだ。
バチェラー氏を含め、当時外国人講師らは何故か平取に集まっている。
イザベラ・バードを受け入れたのも平取だ。
彼らは、平取に集まり、何をしていたのか?
素朴な疑問が芽生える。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/02/063246
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/06/135923
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/13/083842
我々はこんなコアなネタも有るのだが…
何故かこの時期、平取に話が向いてくる。
伊達や消えた「萱野氏」との関連は?
謎だらけ。


因みに、一番最初にアイノが記載されたのは、「アイノモシリ」と記載した「アンジェリス神父」だったかと。