十八夜観音信仰に見える近似品…似たようなものは東北に幾らでもある

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SNS上では発信していたが、この際ブログにも記載しておく。

ずっと気にしていた、有珠善光寺再建の一節。
松前慶広公の頃…地元蝦夷の人々より、月半ば以降の夜に有珠善光寺に何やら声が聞こえると。
それ聞きつけた慶広公は、有珠善光寺如来堂らを再建しと言う話。
ここまでは、先に添付した前項迄。
実はそれを紐解こうと、東北の地元信仰で類似したものはないか?フィールドワークを繰り返し、山形は「中山町郷土資料館」に辿り付いた。

中山町は、寒河江市に隣接。山形芋煮発祥地で、縄文遺跡以降、脈々と人の暮らしが残される町である。
この辺一帯に十八夜観音信仰ってのがあると言うのがきっかけ。
さて、十八夜観音信仰とは?
中山町に伝承されているのは、岩谷観音堂を中心にした「オナカマ信仰」と言うもので国の重文指定を受けている。
信者が集まり、巫女の口寄せで仏の啓示を受ける…特に眼病やらに効果有りとされ、早い話、イタコらに近いか?
恐らく古神道山岳信仰の影響なのだろう。

さて…
それら祈祷(神下ろし)に使う必須アイテムは…
数珠、梓弓、棒(筮竹ら)…そして、トドサマと言う御幣。
実は、先に村山の「最上徳内記念館」で「チセ」や「イナウ」らのレプリカを見ていた。
トドサマを見て、思わず吹き出したのが本音である。

これが「イナウ」
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そして「トドサマ」
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更に数珠は「タマサイ」を思い浮かべて見て頂きたい。
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先述の通り、目に利く伝承があり銅鏡が奉納され、一連アイテムに繋がる。
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勿論、この風習は室町期位には成立しており、アイノ文化が完成されるより遥かに古い。
ついでに言えば、この神下ろしを行う方は、師匠の元で修行した「盲目の女性」であり、女性専用アイテムだと言える。

この際…
「イクパスィ」を想像しながら見て欲しい。
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これは「本荘郷土資料館」展示の祭祀用の人形木簡や斎串ら。
陰陽師が結界を張ったり穢れを移したりする用途で、木の表面には呪文が書かれていた事が、「秋田城」らの出土遺物より判明してきた。つまり、何も紋様が無かった訳では無い。

如何だろうか?
我々はこれらが、「アイノ文化を象徴するアイテムの源流だ」とは現状言わない。
用途やらが微妙に違うからだ。
ただ、見てくれだけで良いのならば、これらの通り、似たようなものは、東北に幾らでもある。
勿論、それぞれアイノ文化完成の遥か古より使われている記録が残される。

源流、又は源流に近似のものは幾らでもある。
特別なものとは見えないと言う事だ。
これら事実をどう捉えるか?は、今は見て頂いた方に委ねておく。