https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/13/185111
前項に引き続き、発掘調査報告書の検討である。
今度は「アイノの聖地?」白老である。
昨今、某「国立博物館」が出来た町でもあり、少々興味もあった。
他の発掘調査報告書のついでに入手するには持ってこい。
白老の発掘調査報告書は古書でも少ないので、あまり贅沢も言えないので、とりあえず入手してみるか…と言う訳だ。
この遺跡はの白老町「日の出町遺跡」と言い、道立高校新設に伴い埋蔵文化財包蔵調査をしたとある。
1986年版なので、この後どうなったか?
遺物はどうなったか?は承知していないので、そこはご理解戴きたい。
では、引用してみよう。
「本遺跡は、旧国道36号線をポトロ湖から苫小牧方面へ8kmほど行った海岸沿いの地点にある。樽前山、白老岳からなだらかに続く段丘が途切れ、海までのあいだをヨコスト湿原が広がっており、小川、沼地が複雑にある。この湿原の西側に接して標高5~6m程の砂丘があり、さらに西に伸びて白老市街地へと続けている。本遺跡はこの砂丘の南(海)側にある。遺跡の東側に続く地点は、土取りのために削り取られてすでに無い。」
「平均して地表下80cmまで軽石層(有珠B)が堆積しているため、10cm程残してブルドーザー、バックホーを使用してこれを除去した。」
「日の出町遺跡の基本層序は次のとおりである。第Ⅰ層:表土。第Ⅱ層:指頭大の黄褐色軽石層。第Ⅱ´層:灰色砂層。第Ⅲ´層:赤褐色火山灰。部分的に見られる。浅いくぼちに堆積したものが残ったと思われる。第Ⅲ層:黒褐色砂質腐植土南側の低地に向かうにつれて、黒色みを増す。第Ⅳ層:暗褐色砂質土。第Ⅴ層:青灰色砂。第Ⅵ層:灰褐色砂。遺物包含層は第Ⅳ層上部、及び第Ⅴ層上面である。」
「本調査では、焼土が5、集石が4基検出された。それぞれ、SB,SSと略称し、その後に任意に通し番号をつけた。この他炭化物が2ヵ所で顕著に検出された。」
「第7図に示したように集石は、砂丘上、砂丘縁辺の低地に2基づつ(筆者註:第Ⅵ,第Ⅴ層にそれぞれ1基毎)検出されたが、焼土はすべて砂丘上(筆者註:全て炭化物と共に第Ⅳ層)で検出されている。」
「-白老町文化財報告書Ⅰ- 日の出町遺跡発掘調査報告書」 北海道白老郡白老町教育委員会 昭和61年3月30日 より引用…
要約する。
遺物は、
第Ⅴ層→
後北C式土器片と他不明土器片。
石錺,砥石,すり石。
第Ⅳ層→
4種の土器片。
石錺,砥石,剥片,石斧,たたき石,長径3cm程の黒曜石(使用痕無し),刀子,鍋の底。
…以上。
それぞれ位置的詳細や焼土の深さ、土器や石器の写真はあるが…以上。
遺構は位置らが示されるが、遺物はそれら無し。それどころか土器と石器は写真有りだが、鉄器は写真すら無いし、まとめ,総括も何も無い。
清々しい限りである。
基本層序にスケールがある。
Ⅱ層が軽石なので、これが有珠の火山灰は確かに80cm位ある。
更に3cm程度のⅡ´層。
で、やはり3cm位のⅢ´層、この火山灰は別物?…
そして、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ層はそれぞれ10~15cm。
遺跡はⅣとⅤ層。
Ⅴ層で後北C式土器なので続縄文、Ⅳ層は鉄器あるので擦文期…
中世は海岸の侵食で無くなった?
いずれ遺構はこれだけ。その他の部分に生活痕は無い。
ただ、何より最大の特徴…これで解って戴けると思う。
有珠山から、指頭大の軽石が80cm降り注ぐ中、生命活動が可能だったのか?
普通なら、生き延びる為に逃げ惑うと思いませんか?
恐らく数日間降り続いたと思われるし、一度ではないだろう。
更に、改めて書くと…
有珠山→1663年に大噴火…
樽前山→1667,1739に大噴火…
有珠山大噴火から開始した樽前山の噴火はその後も続き、かなり物騒。
前述の通り、この層以外に遺構,遺物は無く、生活痕「0」。
この一帯でそうだろう。
なら、そこに暮らして居た人々は何処に?
そして、そこに後に住んでいた人々は何処から来た?疑問に思わない方が…変…ではないか?
さて、ここは海岸近く…
避難するなら何処へ行くであろうか?
噴火は西。北に樽前山。東は?…日高。
海が南…
そういえば…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/28/194019
所謂「本州アイノ」の人々は、町の外郭にcolonyを作ったらしい。
江戸期に「菅江真澄」らも描いていたかと思う。ただ、菅江真澄が北海道~東北に来たのは概略1800年前後…
仮に白老含めた一帯が噴火らで津軽~南部一帯に避難したのなら、外郭colonyや暫く後に藩籍付与されたのと辻褄は合ってくる。
ところで、史実的な背景を。
「寛文九年蝦夷乱」つまりシャクシャインの乱は、この寛文大噴火の直後なのだ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/22/095523
もっとも、鬼菱とはその前からいざこざ起こしているが。
つまり、ゴールドラッシュやシャクシャインの乱は噴火を挟み起きている。
状況的に、東へ逃れるのは難しいだろう。
思えば、北海道の発掘調査報告書って、こんな史実と重ね合わせるのを、あまりやらない印象。何故?
さて…
白老に元々住んでいた人々は生き延びる事が出来たのか?
何処に逃げたのか?
そして壊滅的ダメージのここに入ったのは誰?
更に、第Ⅲ´層は何の火山灰?
ただ、一つだけ言える事がある。
火山灰や火山礫が降り注ぐ中、古来から永続的にこの遺跡近辺に住み続けられるハズが無いのは、一目瞭然。
遺跡近辺ピンポイントかも知れないが、それは不可能だし、火山灰層に生活痕が無いのは事実なのだ。
そう、これだけは確実なのだ。
参考文献:
「-白老町文化財報告書Ⅰ- 日の出町遺跡発掘調査報告書」 北海道白老郡白老町教育委員会 昭和61年3月30日