奥尻島「青苗遺跡」あとがき…博物館,資料館には、災害史を展示すべき

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/11/185141

https://twitter.com/F34fC9F4NEMW5e2/status/1381197787673501697?s=19
早速教えて戴けた。
この場を借り、改めて感謝したい。

13世紀に、奥尻島南岸付近震源地震が発生し、津波に襲われた模様。

秋田城廃絶は、11世紀頃の天慶の乱辺りとされる。
物流拠点としては、概ね役割を終えた頃だろう。
そこへ津波が襲い、港湾設備が壊滅的被害を受ければ、当然ながら放棄せざる終えぬ状況に…正にトドメの一撃、故に中世以降に復興されず放置されたが、合理的な解釈だろう。
天災は恐ろしい。こんな一撃で環境を変えてしまう。

実は筆者は、秋田県内フィールドワーク中に、某資料館で水害がなかったか?について話をさせて戴けた事がある。
国内でも、大雨による洪水被害があり、注目された頃だった。
詳しくは展示されておらず、質問したと言う経緯。是非災害史を展示すべきと言う提案に対し、長い目で検討したいと言う事だった。

これは何も行き掛かりで提案した訳ではない。
天災の痕跡は地層に残される。これが考古学的編年経過の指標となる。
更には、こんな災害の際、ご先祖達は寺社を建立し、神を鎮める為の祈祷や神楽を奉納し、それが地元の獅子舞,剣舞ら伝統民俗芸能で伝承されるケースがある…つまり民俗学や宗教学へも直結する。
ご先祖達は、後の子孫が1人でも生き残れる様に、メッセージをちゃんと与えてくれている訳だ。
「一度ある事は二度目が有り得る」と言う事…地形がそうなのだから。

確かに、災害リスクは、地価に影響したりするので、あまり有り難くはないと考えがちかも知れないが、逆に捉えれば、後にそこに人が住み、神楽奉納する歴史があり、資料館がある…天災に立ち向かい復興させ繁栄にさせた歴史でもある。
実に誇らしいではないか。
何時来るか解らぬリスクでも、少しずつ備えを行う防災感覚を養うには、最強の教材だと、我々は考える。
教育に携わる方々には、それを強く提案したい。


そして…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/19/203842
昨今報告している「火山灰の壁」…
北海道の遺跡の地質は今回の奥尻島も含め、火山灰ベースである事が多く、それが植物の力で腐植土化している様に説明されている。
火山活動と、切っても切れない縁がある。
特に、擦文文化層は大体、大規模降灰直前の豊かであろう「黒色土層」から堀込まれている。その時は豊かな大地であったであろう。
そこから、降灰→待避→再入植を繰り返したと考えたら合理的だ。

改めて…
博物館,資料館には、災害史を展示して、ご先祖達がどうやって天災に立ち向かったが学べる様にすべき。
それがご先祖達から我々へのメッセージであり、我々がまだ見ぬ子孫達へ送るメッセージになる。
1人でも多くの子孫の命を救い、少しでも長く繁栄を繋げていく為に。
これが歴史から学べる教訓。

我々は強く提案したい。