負けじと三度「諏訪大明神画詞」を見てみよう…実は「諏訪大明神書詞」とは?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/02/205112
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/31/053428
この際なので「新北海道史」に於いて、唯一古代~中世と繋ぐ根拠とされた「諏訪大明神画詞」とななんぞや?…これを学ぼう。

筆者が入手したのは「新編 信濃史料叢書 第三巻」。
古河文書らと一緒に「諏訪大明神書詞」が収められている。
第三巻の内容を記した文章の中での概説は下記の通り。

・「諏訪大明神書詞」は1356(延文元)年に諏訪円忠が著した「諏訪大明神縁起絵巻(諏訪大明神画詞)」の絵巻部分が滅び(本文中に「絵在之」と記載あり)、残った詞書を称する。
・縁起五巻(三巻先行、二巻追加)と祭記七巻、計12巻から成る。
・外題は「後光厳天皇」、奥付けは「足利尊氏」、本書筆者は「近衛右大臣兼章」ら貴族,高名な僧ら八名、絵師は「土佐派の藤原隆盛」ら。
・奥付けより、円忠→宗詢(金剛峯寺)…ここで写本→知久家→権祝矢島家→神長官守矢家と伝わり蔵書された。
…と権威はやたらと高い。
絵巻が失われたのは天正10年以降ではないかとされる。

さて、これが何か?
諏訪大社の霊験あらたかなのを記すもの。
つまり神社の縁起巻物。
一巻の頭の部分で、「信州に第一の霊祠あり、これが諏訪大明神」から始まり、どの様に諏訪大社が成立したか?や歴代天皇との関わり、坂上田村麻呂,八幡太郎義家,足利尊氏らの英雄伝説の中に諏訪大明神が関わり、それらを助けた…この様な話なのだ。
キッパリ…史書として書かれた物ではない。
では、今迄北海道に絡むとされる内容はどんなものなのか?
縁起下巻(第三巻)の鎌倉期末の国の乱れ、その中の津軽大乱(安東の乱)へ諏訪大明神がどんな役割を果たしたのか?、安藤(安東)氏が何故蝦夷管領になったのか?と言う一節に過ぎない。
本書での諏訪大明神書詞は全35頁。その中で津軽大乱の項目は約1.5頁。
前後に「絵在之」とあるので、何らかの絵図は有った模様。

「当社ノ威神力ハ末代也ト云ヘトモ、掲焉ナル事多キ中ニ、元亭・正中ノ比ヨリ嘉歴年中ニ至ルマテ、東夷蜂シテ奥州騒乱スル事アリキ、蝦夷カ千島ト云ヘルハ、我国ノ東北ニ当テ大海ノ中央ニアリ、日ノモト・唐子・渡党、此類各三百三十三ノ島に群居セリト、一島ハ渡党に混ス、其内ニ宇曽利鶴子別ト前堂宇満伊犬ト云小島トモアリ、此の種類ハ多ク奥州津軽外ノ浜ニ往来交易ス、夷一把ト云ハ六千人也、相聚ル時ハ百千把ニ及ヘリ、日ノ本・唐子ノ二類ハ其外国ニ連テ、形躰夜叉ノ如ク変化無窮ナリ、人倫・禽獣・魚肉等ヲ食トシテ、五穀ノ農耕ヲ知ス、九沢(訳)ヲ重ヌトモ語話ヲ通シ堅(難)シ、渡党ハ和国ノ人ニ相類セリ、但髭髪多シテ、遍身ニ毛ヲ生セリ、言語俚野也ト云トモ大半は相通ス、此中ニ公超霧ヲナス術ヲ伝へ、公遠隠形ノ道フ得タル類モアリ、戦場ニ望ム時ハ丈夫ハ甲冑・弓矢ヲ帯シテ前陣ニ進ミ、婦人ハ後塵ニ随ヒテ木ヲ削テ御幣ノ如クニシテ、天ニ向テ誦呪ノ躰アリ、男女共ニ山叡ヲ経過スト云トモ乗馬ヲ用ス、其身ノ軽キ事飛鳥・走獣ニ同シ、彼等カ用ル所ノ箭ハ遺骨ツ鏃トシテ毒薬ヲヌリ、纔ニ(筆者註:僅かに)皮膚ニ触レハ其人斃スト云事ナシ、根本ハ酋長モナカリシヲ、武家其ノ濫吹ヲ鎮護センタメニ、安東太ト云物ヲ蝦夷ノ管預トス、此ハ上古ニ安倍氏悪事ノ高丸ト云ケル勇士ノ後裔ナリ、其子孫ニ五郎三郎季久、又太郎季長と云ハ従父(兄)従弟也、嫡庶相論ノ事アリテ合戦数年ニ及フ間、両人ヲ関東ニ召テ理非ヲ裁決之処、彼等カ留主ノ士卒数千夷賊ヲ催集之、外ノ浜内末部西浜折曽関ノ城郭ヲ構テ相争フ、両ノ城嶮岨ニヨリテ洪河ヲ隔テ雌雄ニ決シカタシ、因○武将大軍ヲ遣テ征伐スト云ヘトモ、凶徒弥盛シテ、討手宇都宮ノ家人紀・清両党ノ輩多以命ヲ堕キ、漸深雪ノ比ニ及ヌ、貞任追討ノ昔ノ如ク年序ヲヤ累ムト、衆人畏怖ヲ致所ニ、或夜深更ニ、当社宝殿ノ上ヨリ明神大龍ノ形ヲ現テ、黒雲ニ賀(駕也)シテ艮ノ方ヲサシテ向給ケル、諏訪郡ノ内山河・大地・草木・湖水皆光明ニ映徹セリ、同夜同時ニ奥州に現シ給ケルトソ、後日ニハ注進セシ、爰ニ季長カ従人怱ニ城郭ヲ破却シテ甲ヲヌキ、弓ノ弦ヲハツシテ官軍の陣ニ降リヌ、三軍万歳ヲ称シテ即関東に帰ケリ、凡神ノ奇特、三韓征伐以来、延暦桓武ノ御宇ニ将軍ト身ヲ現シテ官兵ノ戦功ヲ扶助、文永・弘安ノ皇朝ニハ大龍ト身ヲ顕シテ蒙古ノ強暴ヲ対治ス、嘉暦近年又以加クノコトシ、本朝擁護ノ神徳、異賊降伏ノ霊威、影響の冥応古今日新ナル者也、」

(筆者註:上記の"○"は、「玄玄」で一文字)

諏訪大明神書詞」 『新編 信濃史料叢書 第三巻』 信濃史料刊行会 昭和46.12.20 より引用…


以上、津軽大乱の章の全文である。
ざっと…
諏訪大社の威神力は(その当時の)現代でも著しい
②鎌倉期末に東夷が奥州で騒乱を起こした事がある
③我が国の東北海上にある蝦夷ヶ千島には日ノ本・唐子・渡党の三種がいて、それが333の島々に群れ住むが一島だけは渡党に混ざらない。
津軽外ヶ浜へ交易に来る
⑤日ノ本・唐子の特徴
・他の外国に連なる
・身体を夜叉の様に変化させる
・人,鳥,獣,魚ら肉食で、五穀農業は知らぬ
・言葉は通じない
⑥渡党の特徴
・身体は本州人とさほど変わらないが毛深い
・粗野な言葉だが大半は通じる
・呪術の類いを使い、男は甲冑と弓矢を用い戦場へ、女は後ろから御幣を振り呪文を唱える
・身軽で、骨角器鏃のへ毒薬を塗って使う
⑦根本、酋長がおらず、その実力を持つ者が居ない為バラバラ。
・③~⑦を踏まえ、安藤(安東)太を蝦夷管領に抜擢した。この安藤は、坂上田村麻呂と戦った「悪事王」の末裔である。
⑧安藤家で従兄弟同士が跡目争いで騒乱になり、調停の為に鎌倉へ向かう。
⑨それぞれが居ない内に、それぞれの一族が蝦夷衆を召集して外ヶ浜に城を構え戦い出した
⑩幕府は鎮圧の為に大軍を派遣。が宇都宮氏中心の幕府軍は苦戦、天候の影響も受ける(積雪ら)
諏訪大明神が巨大な龍と化し、奥州に赴くと、季久方の配下が畏れおののき投降しだし、幕府軍を勝利に導く
坂上田村麻呂元寇の折に、身を換えて助けてきた諏訪大明神の威神力は今も影響している。

と言う感じか…
勿論、筆者は古文を学んではいないので、それぞれ原文を読んで戴ければ。
さて、これが「諏訪大明神書詞」の実態。
出来事そのものを語っているのではない。
如何に諏訪大明神が凄いのか?を記すのだ。
故に、夜叉に変身したり、呪文を使う者、神が龍と化し天候を変えたりする。
こういう物を「近世アイノが古代~中世と繋がる根拠」としている訳だ。
これを根拠とした反証検討したらどうなるのか?
何せ、この「縁起下巻」は「円満院二品親王 御筆」とある。
当然、奥州を見ているとは考え難い。
何らを読むか他人から聞くかしたと言うのが妥当だろう。
一時文書にはならないのは確か。


よしんば百歩譲ったとしても、
日ノ本・唐子…
身体を変化させられるのは何故?の問いや何処の島に住んでいたか?と食人文化を認める必要が出てくる。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/05/12/054834

渡党…
前項で馬の考察をしたが、ここでの記載は、渡党は馬を使わないとある。ここは修正必要。
様子の断片では、極めて擦文文化人に近い。まして、一島はほぼ渡党となる島…これが北海道となるのだろう。
だがこの場合、最大の問題が発生する。親王や朝廷、寺社、そして鎌倉幕府からの視点での「蝦夷管領」の任務は、蝦夷衆を纏め上げる事になるのだ。
さて、擦文期が終わり、アイノ文化期が始まるのは何時なのか?諸説ありだが、擦文土器が消えるのは現状は大体13~14世紀か…
上記タイミングと重ね合わせればどうか?

そう、蝦夷衆の頭たる「蝦夷管領」任命と合致してくるのだ。
かなり古い史書には、北海道の中世は「安東氏時代」と書いていたと思うのだが…
つまり、アイノ文化期こそ、蝦夷管領安東氏に率いられ、幕府体制下に完全に組み込まれた時期とも言えてしまうのだが。

文献は、元の元本迄遡るべき。
わざわざ出展紹介されている。
遡らないから解らない。
読めばこんな考察も可能。

と、言うか…
筆者の本音は「諏訪大明神画詞」を「アイヌが古代~中世に居た根拠」として出す様なこっ恥ずかしい事は止めておけ…である。
諏訪大明神の怒りに触れぬ様に…




参考文献:

諏訪大明神書詞」 『新編 信濃史料叢書 第三巻』 信濃史料刊行会 昭和46.12.20 より引用…