「錬金術」が「科学」に変わった時-4、あとがき…阿仁銅山にキリシタンは居たのか?、阿仁合を訪ねる

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/31/195723
さて、あとがき…
「阿仁文化保存伝承館・異人館」の訪問時に尋ねた「キリシタン伝承は?」に対して、「聞いた事は無い」との話だった事は報告済。
だが、同じ久保田藩で、同系列と思われる「院内銀山」にその伝承があって、阿仁銅山に無いのも引っ掛かる。
勿論、荒川鉱山の様に1700年以降であればそれなりに納得だが、阿仁は古い。
と、言うわけで、折角なので改めてフィールドワークしてみた。
今実は、阿仁合駅を起点として約4kmの「阿仁街歩き」というお寺巡りの企画をやっている。
なら、お寺に話を聞けば…
この阿仁合の町、何故かこの周囲4kmの中にお寺が六ヶ所もある。
善導寺(浄土宗)
・専念寺(浄土宗)
・善勝寺(浄土真宗)
法華寺(日蓮宗)
・長福院(真言宗)
・福厳寺(曹洞宗)…
この内、中世にこの周辺を治めた加成氏と縁ある福厳寺は室町期からあるが、他は概ね開山は江戸初期以降。
現在、長福院以外の5箇所のお寺には御住職が居られるので、挨拶に合わせ「キリシタン伝承はあるか?」尋ね、境内散策させて戴いた。
一応…
・古い採掘,精錬方法を知りたい
・仮に西洋技術が入るとしたら、それをもたらしたのはバテレンキリシタンとなる
キリシタン伝承で確認する
・院内や尾去沢には存在する…
これを説明した上で、伝承有無を尋ねた。
では報告。

キリシタン伝承の有無…
各寺共に聞いた事は無いとの事。
但し、5寺中2寺でそれぞれ一基ずつ、例の「円空の位置に「心」がある」お墓があった。

紀年は明治,大正の様なので、江戸期禁教令下の話とは合致しない。
と言うか、禅宗のお寺ですらなかった。
一部風習として溶け込んでいたものなのか?
勿論、筆者は専門家ではないので、断定のしようもない。
他の内容と合わせ、今後も追っていく。
各お寺でも、聞いた事は無いが、無い事もないだろう…と言う感じ。
実は、寺院巡りの前に立ち寄った阿仁合駅前の「内陸線資料館」でも、たまたま展示入替えに来ていた方に聞いてみたが、「そういえば飲み会の折にそんな話を年寄りが話していたような…」こんな感じだった。
明確に伝承されている感じではないか。
因みに、ここには「へっつい」の展示は無い。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/11/08/081429
が、阿仁合と七輪の里「浦田」は結構近く、

実は阿仁方面に来る際、何度か浦田を通過していたと言うオオボケをかましてしまっていた。
解りにくいが、今でも珪藻土を掘っている場所が、写真の山だろう。
なんたる事…
勿論、浦田から比内方向に向かえば、七輪を売ったという「扇田」がある。
この辺は大館「へっついの里」、軽井沢らも割と近い事も備忘録として記述しておく。

②山中の不思議な墓石…
これは、
・某お寺の御住職
・別のお寺の御住職の知人のご近所の方
お二方からの聞き取り。
熊撃ちや山菜採り、お務めらで山の中に入ると、時々全く墓所と離れた所にポツリと墓石がある事があるそうで。
特に前者の御住職は、そんなお墓を探し経をあげ供養するもお務めの一つと、山中に入るそうだ。
御住職曰く、「ルーツ探しをする方はおり、問い合わせが来る。その中に山中のお墓と合致した事がある。」とこ話を聞けた。
因みに北海道の方だったそうで。
又、ご近所の方曰く、「熊撃ちは一発で仕留めないとダメ。手負いのままにすると後で凶暴化する。当然仕留めに掛かるが、あちこちある穴に逃げ込む事がある。昔、試掘した穴はあちこちある。」との事。
未だ砂金が出る沢はあるようだが、労力を考えるとやってられないそうで。
銅山以前に金山として始まったと言う阿仁鉱山の片鱗はある訳だ。

③謎の移設…
最低2寺で、お寺を移設した伝承があるが、何故か細かい移設理由らが解らないとの事。
某御住職によると、そちらは開基より400年で一度別箇所へ移転しているが、他地方なら寺伝の欠落を郷土史らで補い纏められる事が多いが、なかなか進まないとの話だ。
更に、現在の場所に戻った時、元々は鉱山資材置き場だった場所へ再移築したと言う伝承だったが、直近の本堂建替えによる発掘ではそれらしい痕跡はなかったと言う。
こちらのお寺は、火災ら災害が全く無く、過去帳らが揃っているとの事(かなりレアらしい)なのだが、移設と再移設が何故行われたか(理由や必要性)?が、謎らしい。
一度、改宗が行われたとの事だが、どうもそれと移設らの関連がないニュアンスで聞いていた。
関連すれば…
①の通り、各お寺の境内のお墓は一通り学ばせて戴いたのだが、筆者が見た感じ(専門家でないので確定ではない)、戒名らをみると宗派が入り混じっている気もしたのだが…
この辺が、日本全国から人が集まった鉱山の特異性なのだろうか?
勿論、現在も御先祖が眠る宗教の場。
ちゃんと拝ませて戴いた。
非常に勉強になった。

④カラミ及びカラミレンガ…
鉱山街ならではの話。
先の報告でも書いたが、精錬過程で発生するカラミ(銅以外の酸化鉄,珪素主体の不純物)はレンガとしても使われた。

実はお墓の基礎部分でも使われていた。
基礎以外でも、破片がポロポロと石の様に転がっており、先の某お寺の御住職とご近所さんにカラミ片について話したところ、至るところにあるとの事。何せ酸化鉄の比率が高いので、まるで「鉄塊」の様に重くてよせていられず、何かで出てこようものなら最悪だと苦笑されていた。
当然ながら、草鞋や雪駄の類いで蹴飛ばそうものなら、足の方が怪我しそうなもの。
カラミレンガもこれまた丈夫で、石やレンガより壊れにくそうな代物。
これ以上錆びにくい成分だろうから、風化している様子がまるで無かった。
このカラミも鉱山での廃棄物の応用ではあるか、非常に興味深い様が見れた。

⑤この際、疑問をぶつけてみる…
こんなチャンスはなかなかないので、法華寺の御住職に疑問をぶつけてみた。
法華寺さんは、秋田最古の日蓮宗のお寺から分かれたとの事。
これがどうも、秋田をスルーして北海道に向かってる様だ。
一応、史実と古書らによる伝承は別で、各研究者が論文らで検討しているのは前提だが…
北海道における日蓮宗伝播伝承は、1295年、日蓮の高弟「日持」の蝦夷島への渡道からと伝わる。
秋田では、これより遅れるらしい。
御住職も疑問に思われていたそうで、そんな話をしたりするそうだ。
そんな話の中では、陸奥から奥大道を北上した為では?と言う話にはなるが、御住職はしっくりきていなかった模様。
せっかくなので…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/07/19/112656
・比較的秋田沖は船の航行がし易い事。
・考古学上、秋田における技術,文化伝播は秋田城を起点に、雄物川,米代川,小吉川を遡る事。
・十三湊における「安東氏」の隆盛。
・織豊期では九州→佐渡→秋田湊→北海道の定期航路があり、アンジェリス&カルバリオ神父が計4回渡道している事。
らを伝えた。
船で一気に北海道へ向かえば、目的地が北海道なら風待以外で長期に留まる事もないかも知れない可能性を少々説明させて戴いた。
拙い筆者の話が如何程役に立つのか不明ではあるが。
御住職も、船を考えてはいた様だが、想像より日本海ルートが開けていた事までは考えていなかった様で、興味を持って聞いて戴けた。


ざっとではあるが、阿仁合を歩き回った一部の報告である。
コースは先の訪問で、阿仁文化保存伝承館・異人館で戴いた寺院巡りのリーフレットを参考にブラブラ歩き回った感じ。

突然の訪問に、対応戴いた各お寺には感謝しかない。
この場を借りて…
ありがとう御座いました。
勉強になりました。