生きてきた証、続報39…古より伝承される「霜月神楽」に竈はあるか?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/15/105131

久々に「竈探し」である。

関連項はこちら。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/06/17/190904

 

秋田県には古代から続くと伝承される伝統芸能は、知る限り3つ。

・鹿角の「大日堂舞楽

・にかほの「チョウクライロ舞」

・横手の「霜月神楽

それぞれ全く違う起源説だが概ね8~9世紀に始まったとされ、千年を超え受け継がれるという。

特に「霜月神楽」は湯立神楽

全く関係ないフィールドワーク中、ふと思い出す。

https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1288778847261876224?t=eTHaU0-Yk_HklCf7GFYtXA&s=19

大化の改新、もとい…秋田物部氏宮司を務めてきた「唐松神社」でも屋外の大竈で湯を沸かし、湯立神楽をやっていた話を思い出し、

https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1565664704865136640?t=9lnQWw9s5L_edvu9bg7KpA&s=19

戻りしなに、横手市大森の「波宇志別神社神楽殿」と「ほろわの里資料館」、「波宇志別神社里宮」を訪問した。

詳細はこちらのSNSをご覧戴きたい。

 

ざっと…

まずはここ、「はうしわけ神社」であり「ハウシベツ」ではない。

この「波宇志別神社」は延喜式に記載され、地元で「はうしわけ神社」と伝承される。

ナイだのベツだのと巷の話はあるが、「別」の字であっても「わけ」とも読む。読みではなく漢字が先行していれば、「わけ」も有りだと言う事を覚えておこう。

社伝はこちら。

奈良期から代々、大友家と守屋家が守ってきたとされるが、途中から大友家が主に守り、里宮は大友家と隣接、江戸期からはこちらで「霜月神楽」が行われている。

社殿はこちら

こちらが「神楽殿」。

室町後期の様式で、平成に行った大改修時に発掘らが行われ「ほろわの里資料館」にその状況が展示されている。

 

さて本題。

霜月神楽で竈は?」

この際、里宮で大友様に尋ねてみた。

まずはこれが現在の神楽殿

これが以前行われた神楽の写真。

では…

①神楽殿拝殿に畳が敷かれているのが解るが、当日はこの畳を外す。

畳の面より下に「地炉」がある。

又、畳面と同じ高さに「井型」に梁が張られているそうだ。

②当日は、地炉の周りに御幣を並べ結界を張り、地炉に火を焚く。

③井型に組んだ梁に「釜」を掛け、それで沸かしたお湯を振り掛け清めながら神楽を執り行う。

ほぼ一晩夜通しだそうだ。

④釜は羽釜で鍋ではない。

但し、羽の上の部分が立っていないとの事。

要は井型の中に釜を入れ、羽で固定される。地炉と梁の高低差を利用し炎を釜に集中させている。

純然と「釜」であり、脚の付いた「鼎(かなえ)」ではない。

 

以上をご教示戴いた。

この場を借りて改めて…

大友様、ありがとうございました🙇

 

纏めれば…

・他の地域で外で行われる時に使われる「鼎」は使っていない。

「鍋」ではなく、「釜」である。

・熱源は「竈」ではなく「地炉」

・五徳や自在鉤ではなく、梁で羽釜を固定する。熱の遮蔽壁はないが竈に近い形で釜に熱を加えている。

以上。

残念ながら似たような構造ではあるが、「中世の竈」に至る事は出来なかった。

大友様も現状解る事はここまでで、昔竈を使ったらは解らなかった。

だが、ためになる学びになった。

この構造なら餅を突くための大きな「甑・蒸籠」をかけてなお、釜を固定可能な訳だ。

囲炉裏ではムリだが、高低差がある地炉ならば…

 

さて、まだまだ「釜探し」の旅は続く。

まだまだである。