生きてきた証、続報38…慶長遣欧使節団船「サン・ファン・バウティスタ号」に竈はあるか?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/13/053204
竈探しの続報である。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/10/180435
先日、遠野訪問時の主目的は実は、石巻へ「サン・ファン・バウティスタ号」を見に行く事だった。
11/15日より老朽化による解体作業が始まる為、最後のチャンスになるであろうと思ったからだ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/08/20/141907
サン・ファン・バウティスタ号」とは、伊達政宗公が大御所家康公から許可を取り付けメキシコとの通商を目指し、メキシコ経由しスペイン王ローマ教皇謁見を果たす為送られた使節団の太平洋横断に使われた船。
後にフィリピンでスペイン艦隊に売却され、その後は消息不明。
現物も設計図が残る訳ではない。
石巻にあるのは、当時のガレオン船(外洋船)のデータ,日本にあった商船や当時の記録を基に出来るだけ正確にその姿を復元した物になる。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/20/192432
最も石竈「へっつい」の需要層は船乗りだろうと予想している我々としては、見逃す訳にはいかない。

結論から言おう。
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既に内部どころか、近くからの見学も終了しており、遠目で見ることしか出来なかった。
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1457292100853137408?t=tkWGB7nxDwCEqPAQVaf8uw&s=19
レポートはこちら。

さて、見られない…
とは言うものの、そのままで終わる訳にはいかない。
復元するからには、当然記録が残される。
「復元船 サン・ファン・バウティスタ号 大図鑑 1990-2021」と言う書籍になっており、その中に復元過程や3.11での破損らがかなり詳細に記録されていた。
では、そこから引用してみよう。
「遮浪甲板(船首側)」の頁である。

「ギャレー(台所)
約180人の乗員の食事は船首に設けられたかまどで調理された。構造は単純で焚き口の縁が広く手入れがしやすい。耐久性の高い漆喰で作られた。船首部にかまどがもうけられたのは、万が一の失火で火災が起きても風下の船首側なら船全体への延焼時間を送らせられることができ、避難時間を稼ぐことができるためである。」
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「復元船 サン・ファン・バウティスタ号 大図鑑 1990-2021」 (公)慶長遣欧使節団船協会 河北新報出版センター 2021.3.28 より引用…

この部分の復元が何の文書を元なのかまでは記載ないが、片道3ヶ月の航海で何も食事をしない訳にはいかない。
最上段の甲板の真下,船首に漆喰で築いたと考えられている。
また、最下層倉庫には、大量の味噌を積み込んだとある。
考えてみれば、ついこの間迄戦国乱世…野戦食開発は進んでいた。
この味噌や保存食としての野戦食で、サン・ファン・バウティスタでは、大航海時代に船乗りを悩ませた「壊血病」発症者が居なかったとされ、その最大の功労者は発酵食品「味噌」ではないかと考えられている記載がある。
仙台味噌恐るべし…
乾物や糒がメインとなったとしても、お湯さえ竈で沸かせれば、味噌汁で身体を温める事は可能だったであろう。
これは有り難かっただろう。

前項にあるように、都では軒先に竈を構築し、一杯飯屋を営んだ記録がある。
秀吉公の人質として京屋敷に妻子を暮らさせた大名達はそれを見ていた訳で、既にこんな形の竈が船に設置されても違和感は無いとも言える。

一応参考ではあるが、船に竈が設置された事例として上げておく。





参考文献:

「復元船 サン・ファン・バウティスタ号 大図鑑 1990-2021」 (公)慶長遣欧使節団船協会 河北新報出版センター 2021.3.28