古代~中世にも、環境問題は存在した…東北史のお勉強タイム、その2

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/20/054441

さて、久々に直接北海道~東北の関連史に繋がらないかも知れないネタいってみよう。
昨今、某国会議員が「コンビニ等でのプラスプーン有料化」らの話題で、「国産間伐材の割りばしを探して購入,使用している」とのツイート。
ふと思い出したのが、秋田での古代~中世の環境問題の研究だったので、ちょっと勉強のつもりで引用してみよう。


「洲崎遺跡は13世紀後半から16世紀末までほぼ断絶することなく継続していたとみる、これは出土陶磁器類や遺構変遷から後付けが可能である。その一方で、豊富な木製部材・製品を対象とした年輪年代測定を光谷拓実氏(当時:奈良国立文化財研究所)に依頼した結果、極めて偏った年代が提示された。井戸部材や曲物等51点を測定きたところ、樹皮樹皮または最終形成年代が残るものでは、最古が1285年、最新で1328年とされた。ここから導き出されることとは、測定に耐えうる年輪の目の詰まった良材は14世紀第Ⅰ四半期頃を最後に入手が困難となり、以降は年輪の目の荒い材を使用せざるを得ず、結果とした年輪年代測定が不能となったと推測される。」

森林伐採と環境の変化の問題は、秋田県内陸南部に位置する横手盆地の古代遺跡でも認められる。城柵である払田柵跡(大仙市・美郷町、9世紀初頭~10世紀後半)に隣接する厨川谷地遺跡(美郷町)は、払田柵専用の祭祀場であるがここでは旧河川内から厚さ1m以上もの炭化物を含む粘土堆積層が認められ、微高地でも約0.3mの厚さがある。出土遺物からみた堆積の時期は9世紀後半から10世紀初頭段階に特定された。同時期・同様の事例は払田柵跡内や八卦遺跡(横手市雄物川町)でも確認されている。このことは奥羽山脈西麓一帯ですら大規模な森林伐採と木材の焼却が広範囲で行われ、山地・丘陵部が裸地化した結果と類推される。実際に盆地内では9世紀初頭に払田柵が造られ、莫大な量の木材が奥羽山脈の森林から切り出された。その後も多くの須恵器窯が築かれ、燃料材も大量に消費される。9世紀中頃には払田柵内の建物や外郭材木塀も一新される。いわば大規模な開発行為の代償として耕地が荒廃し、水田稲作などの生産性が不安定となった可能性が考えられる。」

「環境問題の事例は陸奥国にも認められる。胆沢城(岩手県奥州市802年造営)や周辺の関連集落に須恵器や瓦を供給した瀬谷子窯跡群(北東北最大の窯跡群、200基以上)が立地する古代江刺郡内でも森林破壊と土壌の劣悪化が認められるとの指摘もある。また、紫波城(盛岡市、803年造営)でも城からわずか数年が経過したころから付近一帯は水害の常襲地帯に急変した。それは城造営に伴う大規模な森林伐採を主因とするようである。事実、発掘調査の結果、城跡の北側外郭施設が大きく抉られるように消失しており、付近の集落では9世紀初頭から全葉にかけての竪穴建物はほとんど認められなくなる。紫波城は弘仁3年(812)に南の徳丹城に移転することになる。(伊藤 2010)。」

「木の中世-資源・技術・製品-資料集」 考古学と中世史研究会 「木都の誕生-秋田県洲崎遺跡の発掘が及ぼしたこと-」 高橋学 2014年7月5日 より引用…

実際、古代官衙造営と共に、人口増加や須恵器窯,製鉄炉らが作られ、需要が増える。
秋田周辺では、特に鳥海山の爆発による山体崩壊で由利本荘にかほ市、又は山形は真室川町周辺で「古代スギ」と言われる埋没樹が出土するので、古代からスギの森林が豊かであった事は立証されている。
それも、大規模に切ったり燃やしたりすれば、そうなるか…
後の江戸期でも、大量伐採と森林枯渇は久保田藩の古書に残されている。18世紀に山林の再調査や植林らが行われている。
それらが徐々に実り、近現代には、木材積出港の能代は「東洋一の木都」と呼ばれる迄になる。
ご先祖らは、こんな事からも、山が荒れる怖さを知って、持続可能にするにはどうすべきか…実行してきた訳だ。

秋田では、概略スギらの植生で、小氷河期が何時頃だったか推定出来ている。
男鹿半島のマール「一ノ目潟」に堆積する花粉らで解析されてる。
特に、AD1370~1420年とAD1670~1750年は寒冷期。
これ江戸期の飢饉の時期と合致するだろう。
なので、大量伐採だけでなく、気候の影響迄含めた考察での考察だ。
旺盛な木材需要と、飢饉による食べ物不足や燃料、ましてや鉱山の燃料等。
山は荒れた。
御留め山の解放ら含めて、山の管理の必要性か求められた…生活にダイレクトに反映していたと言う事。

この他にも本書には、中世貴重となった良質木材の再利用らに言及する論文,資料らもあるが…それはまたの機会にでも。
手入れだけではない。
大事に使う事や利用方法まで含めて、ご先祖は経験値を積んで我々に伝えてくれている。

そう言えばソーラー発電らで、妙な切り開き方をしているな…と思わせる場所もあるが、それらはもしかしたら、上記の様に我々にしっぺ返ししてくるかも知れない。
歴史を改めて学んでみると、過去の実績上、やってはいけない事はある。
なにより、林業や農業等の一次産業は、国土を守る為の役割も果たしてきた事も考慮すべき点である事は間違いないだろう。


さて、そう言えば…
北海道でも、炭化物を含む黒色土や粘土堆積層はあった記憶…
あれ?
多少含みを持たせなければ、何の為にブログを残しているか解らなくなるので、匂わす程度で…



参考文献:
「木の中世-資源・技術・製品-資料集」 考古学と中世史研究会 「木都の誕生-秋田県洲崎遺跡の発掘が及ぼしたこと-」 高橋学 2014年7月5日