時系列上の矛盾…縄文晩期で木棺に伸展葬?余市「大川遺跡 」の怪

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/26/205914
「時系列上の矛盾」、継続である。
それもホットスポット余市は「大川遺跡」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/01/164447
余市と言えば、我々が初期から眼を付けていた茂入山…
その対岸の「大川遺跡」は、その遺物の多さから、ホットスポットの中心的存在。
我々も数多く取り上げてきた。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/11/05/191915
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/13/062742
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/09/201054
なるべく知りたい筆者は、大川遺跡の発掘調査報告書を収集しようかと、数冊手に入れている。
その中、1998年度版に奇々怪々な記述があるので紹介しよう。

基本層序は、
①表土…
②黒色土(続縄文,擦文遺跡が普通ある)…
③砂層(縄文晩期遺跡がある)…
④砂層(無遺物層)…
と、なっている。
で、その縄文遺構(墓坑)とされる所での話で、縄文で木棺があるとの記述があるのだ。
引用する。


「(1)墓坑について 遺跡の項で記したように撹乱が激しいことや砂質のため墓坑の上部構造を見落としていることもあり、すべての墓を個々に把握することができなかった。」

「長軸は約1.4m、短軸約1mほどの明確な楕円形を呈しており、深さは約1mほどである。」

「墓底にベンガラを敷く場合が多く見られ、P-14のようにベンガラの周辺が厚くなってあることがあり何かに遺体を包んでいる場合、P-15のように木枠などで遺体を囲んでいた可能性も考えられる。」

「墓の埋め戻しにも特徴を見いだすことができる。それはP-1、2、9、11、20、53のように 墓の上部に砂質凝灰岩粗粒が封土として用いられていることである。」

「P-14(筆者註:表中副葬品の記載)ヒスイ勾玉1ヶ、胴部に繊維質の帯状のもの出土、材質は不明(漆製品?)」
「P-15(筆者註:表中副葬品の記載)覆土遺物のみ、木棺痕跡 頭蓋骨残存、木棺痕跡有り」

「「P-20(筆者註:表中副葬品の記載) ヒスイ玉1ヶ 遺体の10cm直上に棺あるいは遺体を包んだと思われる有機物痕跡」


「大川遺跡発掘調査報告書-大川橋線街道路事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」 余市町教育委員会 平成12年3月25日 より引用…

巻頭のカラー写真でP-14の帯状繊維質は掲載だが、P-15については、後ろの写真にも無し。
それどころか、ピット遺構の覆土の層序記載すらない。
で、P-15イラストには、木棺らしき木製品と木柱の記載があるのに、ピット内遺物含む全遺物リストには木製品の記載が無い。
勿論、P-20の有機物についても、後記述無し。
現状見ている限りでは、縄文晩期で有機物で遺体を包るむ、ましてや木棺に納めた話は聞いた事が無い。

更にこのP-15、長軸で約180cm、木棺も楕円穴ギリギリ近い図なので、ほぼ伸展葬されている。
P-14らも近いsizeで、他は1m前後が主。
まるで縄文晩期→(続縄文抜き)→擦文期…の埋葬方法なのだ。
これだけ、センセーショナルな話題なのに、詳しい記載が無いのは…何故だ?
縄文の埋葬なら奇抜…
擦文の埋葬なら編年経過の見直し要。
何らか間違いなら「正誤表」だが、添付なし。
正に「謎」…

ただ、これが、川の氾濫らで、剥き出しになった縄文遺構を利用し、擦文文化人が墓坑を作った…と言えば、そんな気もしない訳でもない。
と、なると…
北海道には、中世遺跡が無いのではなく、無くなっているのか入植や開発で遺構として上の時代と下の時代がくっついている様に「見える」ってのもあると言う事になる。
確かに、包含層遺物がごちゃ混ぜになっている事が多い印象。
断片で証明するしかないんだな…

実際、遺構は…
住居跡×3
焚き火跡×2
土坑×52(墓坑51、土坑1)
集合墓×2
貝塚×4 等々に及ぶ

因みに貝塚は、近世~近代の物で(貝や骨の他酒便らが含まれる)、アイノ文化の貝塚は、幕末頃からしかない。
中世~江戸中期には全く貝塚は無いのだ。

まぁ、良くて続縄文、遡って縄文晩期と言っておけば、安全牌と言う事か?
少々勘繰りたくなる。

どう考えても奇々怪々…
おかしいのだ。



参考文献:
「大川遺跡発掘調査報告書-大川橋線街道路事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」 余市町教育委員会 平成12年3月25日