見えなくなった「亘理伊達氏」家臣、あとがき…やはり消えてしまっていた

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/13/083842
これは備忘録として。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/08/22/101835
こんな風にポツポツ登場するなら黙認するのもなんなので、確認を行ったと言う後日談である。
この際なので、北海道行きリストの中に「萱野氏」がいるのか「亘理町郷土資料館」へ照会してみた。

回答は?
①「萱野氏」の存在…
前項にある様に「蕨宍戸家文書」に「萱野氏」の記載はあるとの事。
但し、記載年号は
宝永19年→✕
恐らく寛永19年→○
で、確かに
「馬上衆 萱野左馬之助」
と言う人物が確認出来、
詳細時期不明で
「御徒行 萱野清左衛門」
と言う人物も確認出来るとの事。
二名確認は、前項と一致した。

②では、後代は?
・世臣家譜略記
・後代の分限帳(宝永・文化・文政・慶応)
・北海道移住者名簿
これらを確認戴いた限り、上記二名以外の「萱野氏」は記載無いとの回答を戴いた。
そう…移住者リストにも無い。
寛永19年は、1642年になる。
つまり、江戸初期位しか確認出来ない事に。
勿論、その後は全く不明でどうなったか?は解らない。

③ならば、伊達宗家(仙台)には「萱野氏」は居たのか?
筆者は「私本仙台藩士事典(増訂版)」で確認してみた。
「萱野太郎兵衛」と言う人物が、明和年中で仙台に居た模様。
諸士版籍…「長之丞 一両四人扶持」。
だが、これだけで、亘理の二名との関連らは全く不明。
スポット的には存在が見えるのだが、永続的に家臣団として仕官していたか?全く解らない。

現状はここまで。
「萱野姓」は非常に珍しいのは事実で、その分布は極限られるのもまた事実。
プライベートに触らぬ様、何らかの続報あらばまた報告したい。




参考文献:

「私本仙台藩士事典(増訂版)」坂田啓 今野印刷㈱ 2001.5.20