ゴールドラッシュとキリシタン-34…最新キリシタン墓研究と「火山灰直下の墓」の共通点についての備忘録

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/04/26/125931

「ゴールドラッシュとキリシタン-33…「大籠キリシタン資料館」で学ぶ「江戸初期の宗教的状況」と時宗の板碑、そして北海道への検討の為の備忘録」…

さてこちらを前項に、久々の「ゴールドラッシュとキリシタン」のシリーズである。

関連項はこちら。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/12/194837

「ゴールドラッシュとキリシタン16..都市計画事業によるキリシタン墓発掘で出土した副葬は、アイノ墓副葬や伝承品と丸被り」…

二年九ヶ月前にしてはなかなか刺激的かお題をつけたものだが、なかなか東北でのキリシタン墓の発掘事例が見当たらなかったのは確か。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/11/053357

「京に続き、源流を見てみよう…九州のキリシタン墓碑を学んでみる」…

キリシタン墓と言えば墓碑研究が先行で、なかなか発掘事例が解らなかった。

筆者が捉えていたのは、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/10/200512

「ゴールドラッシュとキリシタン15…ガチのキリシタン墓は大阪「高槻城三ノ丸キリシタン墓地」に学べ」…

キリシタン大名高山右近」の高槻城キリシタン墓地。

仙台の事例を見る着前がこれ。

実はこの段階でどうも引っ掛かっていた故に、あんな刺激的なお題にしていた。

それが一気に増幅してきたのは、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/11/08/130357

「北海道中世史を東北から見るたたき台として−4、あとがき…ならその「北海道の中世墓」事例を見てみよう」…

一連の中世墓確認をしたからだ。

北海道で中〜近世墓とされるものは「Ta-a,Ta-b直下」で一気に検出が増える。

確実に中世墓と言えるものは極僅かで、むしろ近世墓に近い時代の恐れもある。

何故、高槻城キリシタン墓で引っ掛かっていたのか?

木棺墓+伸展葬だからだ。

この墓制で仙台の事例を副葬されていたらどうなるか?。

 

さて、つい最近行われた「日本考古学協会2023年度宮城大会」や「季刊考古学第163号」で最新のキリシタン墓研究が紹介されているので、そこから学んでいこう。

 

参考文献にある「東北のキリシタン遺物」と「奥州のキリシタン類族の墓」は遠藤栄一氏の記事で、視点の違いで内容的にはほぼ同様。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/03/080215

「ゴールドラッシュとキリシタン-4-a…「後藤寿庵」と言う武将(増訂版)」…

基本的には、発掘事例の位置的に後藤寿庵が治めた「岩手県水沢市」周辺で見つかったキリシタン墓を中心に解説しているので、要約してみる。

①二本木遺跡…

奥州市胆沢、調査区の南には江戸期の仙北街道が通り、幾つかある岩手と秋田を繋ぐ街道の一つ。

発掘では江戸期の墓が15基検出、墓跡は重複され、長年集落墓域として使われていた事を想像させる。

ここで問題視されたのがその15基の内の1基、SK14。

長さ0.98m,幅0.89m,深さ0.61mの箱型木棺の座葬で人骨は見えず歯のみ。

だが、問題はその副葬。

銅銭(寛永通宝,古寛永銅銭,新寛永銅銭,仙台通宝鉄銭,不明銅銭),煙管,鉄釘,ガラス玉に混じり銅製品が出土。

この銅製品が「メダイ(メダル)状」。

表面は腐食で解らないが突起ら装飾的外観からすると16世紀末〜17世紀初頭のものとして事例がある様で、キリシタン墓であろうとしている様だ。

銅銭より18世紀以降に埋葬されたと考えられ、これを含む14基が箱型座棺、もう一つは桶型座棺との事。

②福原遺跡…

奥州市水沢字福原の所在、それこそ17世紀初に後藤寿庵の知行地だった場所で、墓跡群が検出され等高線に沿い東西方向に直線上に長方形の墓が整然と配置され、その内の一つから表面に「表示に磔刑のキリスト」が、裏面に不鮮明だが「無原罪の聖母」らしきものが鋳出されており、材質は鉛と錫の合金で17世紀より前のものと推定される様だ。

以上。

①,②共、墓碑に関する記載は無い。

この墓の周辺には伝世品として幾つかのメダイが残されていて、東北でのキリシタンの第一人者である後藤寿庵の家臣らの類族がそのまま住み続けた地域なのが解っている。

東北からはこの様な事例が遠藤氏により報告されている。

 

さて、墓制に関して本州は火葬と思われがちだが、これまで中世墓資料集成を見てきた限り、そんな事はない。

むしろ、江戸期に入り、江戸ら都会を中心に座葬の土葬墓が増えたのが実態。

ここで、福原の事例を含みキリシタン墓の特徴を確認してみよう。

関連項にあるように、九州や畿内では石造キリシタン墓碑が確認されているが大石一久氏によれば、中国,四国,中部,関東以北では明確な石造墓碑は確認されていない様で、分布は西へ偏在する。

また、その石造墓碑も柱状伏碑は九州,畿内にはあるが、板状伏碑は九州だけで、概ね17世紀から出現する。

墓碑は伝搬タイミングで形が変わる様だ。

それもそうで、バテレン排除や禁教令に至れば、大っぴらな墓碑は排除されたりしている。

潜伏すれば「仕込みのある墓」らに以降していくのだろう。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/11/174246

「ゴールドラッシュとキリシタン8…改めて、秋田のキリシタンはどんな人々だったのか」…

こんな話や墓碑が見当たらない様なパターンもこれから研究が進み、事例が増えれば解明されてくるかも知れない。

発掘によるキリシタン墓検出例が増えた事により何が解ってきたか?、気になる点を幾つか引用してみよう。

 

キリシタン墓=長墓(伸展葬) であることを目視できる垣内キリシタン墓地において、近世の村人たちはなぜここに葬られることができたのか。それは、この地が厳しい禁教をおこなっていた大村藩領の間に割り込むように設定された佐賀藩深溝領の飛地の村だったことによる。外海の地域を歩いてみると、大村藩領の村の墓地と深溝領に属する村の墓地の違いは明確である。深溝領において、潜伏キリシタンの存在は寛容に黙認されていた感がある。深溝領の村には、 潜伏キリシタンの時期の墓地が散見される。

垣内キリシタン墓地の発見を契機として、熊本県天草や大分県臼杵市豊後大野市などにおいても同様な形態のキリシタン墓地が確認されている。これらの遺跡は潜伏キリシタンが多く存在した九州地方では、キリシタン禁制のあり方が地域により、またその地を支配している領主によってかなりの差異があることを示している。このことを明確に確認できたことが、潜伏期の キリシタン墓地発見の最大の意義である。」

キリシタン墓研究の最前線」 小林義隆  『季刊考古学第163号』 雄山閣  2023.8.1  より引用…

 

「研究状況が大きく変化するのは、1990年代からである。それ以前に長崎県平戸市キリシタン遺跡の現地調査を考古学的手法を用いて計画的におこなったが、ウシワキ墓地などの一部の成果に留まった(18)。その後事態が大きく動くのは, 1998 (平成10)年の大阪府高槻市の調査からである。」

高槻城内の 三の丸北郭に位置する野見神社は、かつて高山右近時代の教会堂の跡と伝承されていた。その場所の東側から、高山右近時代 (1570年代)のキリシタ ン墓地の一角が明らかとなった。区画施設を伴って南北方向に揃えた26基の木棺墓が発見され, 木棺材、人骨、副葬品が良好な状態で残されてい た。キリスト教を裏付ける十字の墨書,、木製の珠からなるロザリオの発見により、キリシタン墓地 であることが確実になり、伸展葬による長方形木棺の利用, 並列する埋葬など, キリスト教特有の埋葬構造, 墓地構造が明らかとなった(19)。この高槻城キリシタン墓地の契機に, 2000(平成12)年に東京駅八重洲北口遺跡(20)、2001 (同13) 年に大分市豊後府内10次調査区(21)とキリシタン墓地の発見が相次ぎ、高槻、 江戸、豊後府内で ほぼ同じ特徴をもつ埋葬施設と墓地が発見され、1614(慶長19)年の禁教令以前のキリシタン墓地が、 全国共通の特徴をもっていたことが明らかになった。この3遺跡の調査を受けて、2004(平成16)年には、今野春樹によってキリシタン墓地の総括が なされた(22)。こうして停滞していたキリシタン墓への関心が一気に復活し、同じころから大石一久・ 田中裕介らによって、九州と関西の墓碑の悉皆的 な調査が始まった(23)。」

キリシタン墓研究の歩み」 田中裕介  『季刊考古学第163号』 雄山閣  2023.8.1  より引用…

 

最新の研究結果からすれば、石積配石しようが木棺の土壙墓であろうが、「埋葬姿勢が仰臥(又は顔を横に向けた)伸展葬」だと言う共通点があるそうだ。

では前述した、

「何故、高槻城キリシタン墓で引っ掛かっていたのか?

木棺墓+伸展葬だからだ。

この墓制で仙台の事例を副葬されていたらどうなるか?。」…この素朴な疑問とは?

そう、高槻城と仙台の事例を見た段階で、火山灰直下の墓制とそっくりだな、何故?…だ。

勿論、古代,中世を通じて周溝を伴う伸展葬の墓制は存在するのだが、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/11/08/130357

「北海道中世史を東北から見るたたき台として−4、あとがき…ならその「北海道の中世墓」事例を見てみよう」…

Ta-a,Ta-bら火山灰直下から、それまで検出数が少なかった墓の検出事例がやたら目に付く様になる事で、実はこれらの中に「キリシタン墓が混じっている」可能性は無いか?と言う疑問が湧いてきている。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/07/01/061623

まだ西廻航路が出来る前から、九州→北海道の航路が設定されていたのは確認済。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/09/20/202558

「ゴールドラッシュとキリシタン-32…この際アンジェリス&カルバリオ神父報告書を読んでみる③&まとめ」…

そうでなければ、彼等バテレンが秋田湊から北海道に辿り着く事も無いし、何せ象潟の人々が自前の船で北海道迄商売に行く位実はオープンだ。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/22/095523

「この時点での公式見解④…新北海道史の「シャクシャイン像」」…

越後の庄太夫

庄内の作右衛門…

尾張の市左衛門…

最上の助之丞…

東北だけではないのだ。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/15/203519

「ゴールドラッシュとキリシタン-26…「院内銀山」は全国区、そしてそれを支えるネットワークが出来るのは必然」…

そうでなくても鉱山は全国区。

友子制度らに支えられ、あちこちの鉱山を渡り歩くは可能だった。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/08/22/101835

「ゴールドラッシュとキリシタン-25…キリスト教史「古典」にある「カトリック教会の痕跡」、「蝦夷衆の切支丹的断片」と「亘理伊達家家臣の登場」」…

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/07/24/111811

「ゴールドラッシュとキリシタン-23…様似町に伝わるキリシタンが居た街「キリシタナイ伝説」とは」…

金掘衆やキリシタンが実際に活動しなければ、こんな伝承も残るまい。

で、火山灰直下の墓で顕著と言われるのが「墓標穴」。

だが、記録される内で最古級なのはこれでは?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/17/202544

「「1643年」の北海道〜千島〜樺太の姿…改めて「フリース船隊航海記録」を読んでみる②「十勝,千島編」…」

西洋人が見間違いする程の「十字架の墓標」。

記録や伝承、ここに来て墓制迄共通点があるのが解った。

まぁTa-b直下であれば北海道は「ゴールドラッシュの真っ最中」。

ついでに言えば、多くは「牢人」だろう。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/03/074515

「ゴールドラッシュとキリシタン…無視出来るハズが無い人口インパクト」…

だから当初から言っていた。

それだけの人口インパクトがあるにも関わらず、墓が無いハズはないと。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/21/050255

「ゴールドラッシュとキリシタン7…17世紀に金掘衆が伝えた物」…

もたらされたものや文化がある以上、否定するのはムリ。

 

如何であろうか?

筆者は和尚からこんな話をされた事がある。

「法事らで食事をしながら故人を語るのは大事な供養だ。忘れ去られた時が本当の死だ」…と。

まだキリシタン遺物の話は聞かないが、状況証拠と伝承は確実にある。

墓碑まで残し、復活の日を願った彼等。

忘れ去って良いものか?

北海道の墓制は、巷で言われる以上に多様で且つそれは、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/25/105821

「北海道中世史を東北から見るたたき台として−4…本命「北海道の中世墓」、だが何故か「長方形墓と楕円墓が併用」されている、そして…」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/07/11/123006

「これが「近現代アイノ墓」…盗掘ではない発掘事例は有る」

近世どころか、近現代迄続く。

今、問おう。

「その墓は誰の墓?」

 

 

参考文献:

「東北のキリシタン遺物−キリシタン武士後藤寿庵の関連地を中心に−」  遠藤栄一  『日本考古学協会2023年度宮城大会「災害と境界の考古学」研究発表資料集』日本考古学協会2023年度宮城大会実行委員会 2023.10.28

 

「奥州のキリシタン類族の墓」  遠藤栄一  『季刊考古学第163号』 雄山閣  2023.8.1

 

キリシタン墓碑の布教期から潜伏期への移行」  大石一久  『季刊考古学第163号』 雄山閣  2023.8.1

 

キリシタン墓研究の最前線」 小林義隆  『季刊考古学第163号』 雄山閣  2023.8.1

 

キリシタン墓研究の歩み」 田中裕介  『季刊考古学第163号』 雄山閣  2023.8.1  より