「錬金術」が「科学」に変わった日−5…中南米で行われた水銀アマルガム法とはどんなものか?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/31/195723
さて、再三出てくるメキシコの銀精錬は「水銀アマルガム」であると…
徳川家康伊達政宗が欲しがったのがこの技術。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/17/162536
しかし、後に紐解こうと思う「デ・レ・メタリカ」も鉛による灰吹法のようだ。
少々フライングであるが、それらのゴツい研究書の前に、予習をしよう。
青木康征著「南米ポトシ銀山」と言う著書がある。
基本この著書は鉱山技術と言うよりむしろ、当時のスペイン,ポルトガルの状況やチリにあった「ポトシ銀山」の経営方法、強制労働と捉えられがちな「ミタ労働」らの鉱山労働の背景がメイン。
なので、あまり技術面には触れてはいないが概要は記されるので、スペイン,ポルトガルのやり方もサラリと学ぶには良いだろう。

では、まず筆者が欲しかった「アマルガム精錬法」とは?、ここから学んでみよう。

まずはポトシ銀山とは?
南米はチリの標高4000mを超すアンデスの高原にあり、ポトシ山そのものは800m位。
が、元がそんな高原なので特異性はある。
当然ながら、アステカやインカを征服した後にこの辺にも進出した事になる。
発見は1545年、現地インディオの「グアルバ」と言う人。
発見経緯は諸説あるが、いずれにしてグアルバが密かに山で産銀し、突然羽振りが良くなった事から仲間に問い詰められ、話してしまった事からスペイン人にバレて、話が広まったと。
そこから、スペイン人もインディオポトシ銀山周辺へ移り住み、あっという間に20000~25000人の鉱山町に発展し、時のスペイン王フェリペ2世から「帝国町ポトシ」の称号が授けられてからは、最大16万人位にまで膨れ上がった様で。
因みに1610年頃の人口は、
マドリッド…15万5千人
セピリア…18万人
ミラノ…29万人
ロンドン…22万5千人
江戸…約15万人
大坂…約20万人
京…約3~40万人
※日本の人口はバテレン推定
だそうで。
日本の人口で驚くかも知れないが、我が国はこの辺で既に大名の居城中心に都市化が進んでいた。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/22/195207
一連、これらを読んだが、スペイン,ポルトガルが日本を攻める事が出来なかったのは、仮に九州の都市を攻めたとしても、隣の都市から援軍が来るのは目に見えている。
ましてや戦国乱世の生き残り。
凶暴だったのはそちらの通り。
なまじ敵対すればフィリピンが危機に訪れるは必至。
出来ようハズもない。

さて、ポトシ銀山町が形成されたが、いきなり水銀アマルガムを始めた訳ではない。
現地インディオは元々インカの末裔で、金銀銅を知っていた。
採銀と精錬はインディオが担う。
スペイン人は?採掘権を得て、人を集め坐す。
と言うより、欧州的な手法では歯が立たなかった模様。
前項らで説明の一度目の焼成工程(鉱石を焼き酸化させ硫黄を抜き「焼鉱」を作る)で、フイゴを使っても全く上手くいかなかった様だ。

インディオはインカ伝来の「グアイラ(風炉)」と言う、あちこち穴の空いた土器製の炉を使ったと言う。
移動式も固定式もあり、移動式で径40cm×高さ100cm位らしい。
で、
①底に石炭を敷く。
②上に鉱石を載せる。
③風が強く吹く場所に山上や斜面に設置。
④燃やす。(夜にはグアイラの明かりが林立)
⑤燃え切り、残った銀を尺八の様な物で不純物を吹き飛ばし、精錬。
以上、インカ式酸化精錬法。
著者の青木氏は、標高の為?鉱石の性質?と推定するが、ハッキリは解らない。
採掘権者はこうやって取り出した銀の1/5を税として、品位鑑定等経費1%を支払った様で。
ただ、かなりの量が闇に消え、どの程度産銀していたかは不明らしい。
税からの量,額は解るが、横流し横行で正確な分は「解らない」。
まぁ現地副王から許可された鉱山主が、採掘権者に権利を貸出し、駆り出されたインディオが掘り精錬をする。
発見当初は、銀品位が高いが、割に合わなくなると鉱夫たるインディオが居なくなるので余計に人不足を起こして衰退していく。
この打開の為に、メキシコで開発された水銀アマルガム法を導入した…となる。


では、詳細は別書でも確認を並行していくが、まずは簡単な手法を。

①鉱石をハンマーで砕く。
②水車を回し、鉄先を付けた杵で鉱石を粉砕する。
③粉砕した鉱石を篩にかける。
④容器に移し、鉱石に塩水と水銀を加える。
⑤泥状になるまでよく撹拌(アマルガム生成)する。
⑥流水で泥を流し沈殿物抽出。
⑦抽出物を布で包み、水分を取る。
⑧加熱し水銀を飛ばし、銀を分離。
以上。

ここでの特徴。
キモ…
・粉砕,選鉱する事で低品位の鉱石が使える。
・常温でアマルガム生成すれば燃料不要。
・非熟練者でも作業可能。
問題…
・水銀が安価で入手可能か?。
・粉塵や蒸気水銀の健康被害
アマルガム生成に2~3週間要す。

実は、品位が低下してきた時に、それまでは廃棄物として山と積まれた鉱石がかなりストックされていたそうで、それを精錬する事で打開しようとした様だ。
この技術はメキシコ「パチュカ銀山」でスペイン人パルトロメ・デ・メディーナが1555年に完成させている。
グアイラより精錬精度が高く、標高が高くても高温を必要とはしない…これはメリットが大きい。
反して、水銀の入手の必要と、日数が掛かると言うデメリットが発生する。

さて、デメリットに対する策は?
・水銀鉱山開発
メキシコの「パチュカ銀山」の水銀は、スペインの「アマルデン水銀鉱山」から供給したとの事。
メキシコでの成功を元にスペインより中南米での水銀鉱山開発の話が出ていた。
そこへアマルデン水銀鉱山で火災事故発生で水銀生産が麻痺し、開発の必然的になる。
ここでペルー「ウアンカベリカ水銀鉱山」が発見される。
これ、割と簡単だったのかも知れない。
当時首都リマのインディオ女性の間で、頬に紅をさす事が流行していたそうで。
インカ一地方の風習で、戦地に赴く男は顔を赤く染め、王家の女性は祭の時に、目元から額に赤線を引いたと。
探索技師はそんな紅を見て、一発で解ったそうで…「辰砂」だと。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/17/162536
以上でスペイン,チリ共に水銀の安定供給が可能となったと。

アマルガム反応時間短縮
これは後の鉱山技師の研究によるものらしい。
アマルガム精錬⑤の工程で、
1.鉄粉を加える。
2.釜で低温加熱する。
この後の工程改善で、
水銀の量は1/10になり、反応そのものが4~5日で可能となった様だ。
ここ迄が、概ね1580年代で完成に至り、これが19世紀に「シアン化法」が開発されるまで、中南米での銀精錬の主流として続けられた。
敢えて続ければ…
やはり、周囲の木々が切られ、燃やされ、環境負荷は上がった様だ。


ここまでが大体の工程。
各部材の量らは、ここにはない。
後に、佐渡でこの方法が試された話はあるので、そちらの文献にあるか?確認していく。
鉱石を粉砕したり選鉱する辺りは、院内や阿仁、尾去沢らと技術的には変わらない。
また、水銀アマルガムを取り出すのに紙を使ったりするところは、奈良の大仏建立らの記事と似たような感じではある。
正直、酸化鉄を添加&加熱以外の部分では、あまり変わってはいない様だ。
我が国であまり進まなかったのは、水銀の調達であろうか?
その辺はおいおい、専門書で。

技術論以外は、敢えて割愛する。
実際、巷では過酷な労働や強制労働的な部分がクローズアップされているが、どうも微妙に違うところがある。
この辺は、我が国における鉱山やキリシタンの話で過酷な部分がことに強調されるのと同様な気もする。
例えば…
スペイン王が命令してやらせた、と言うよりは「バチカンに裏打ちさせた上で、渡航や採掘を「承認」する立場」で、渡航者のリスクが大きい…
中南米インディオは、基本的には市民権を持っていた…
・メキシコでは基本的に自己選択で就職した形…
・強制とされる「ミタ労働」も、宣教師の反対らで極一部対象に限定されるし、通貨で租税すれば逃れる事は可能(最大半数がその手で鉱山へは行かなかった)。
・当時の周辺の人口減少と鉱山での事故や過労,健康被害らに明確な因果関係が立証出来ない。むしろ、感染症まん延や割の良い場所への移住のインパクトが無視出来ない。
etc…
なかなか人を集められない副王は、インディアス審議院宛でこう嘆いたという。

「貴方方は、勘違いをしている。
インディオは怠け者で、働くくらいなら餓死を選ぶ。
エスパーニャは誇り高く、ツルハシを持つくらいなら餓死を選ぶ。
アフリカ奴隷は、高地と寒さで役には立たない。」

なかなかである。
興味が出た方は、それぞれ学んで戴きたい。




参考文献:

「南米ポトシ銀山」 青木康征 中央公論新社 2000.7.25