消えた宗教施設の謎…あってはならぬ事なのです

さて、宗教に絡む項も重なってきた。
ちょっとピックアップしてみる。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/14/185939
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/17/190920
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/18/055912
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/06/01/103621

素朴な疑問が気になる我々だが…
これらをこんな風に並べてみれば、かなりおかしな事に気が付くハズだ。
宗教施設や宗教の痕跡や伝承が消えている。


あれだけ寺伝残す仏教でさえ寺伝不明だったり、かの「有珠善光寺」ですら途中不明な時期がある。
更には、幕府直轄化や三官寺設定時期に集中する妙な全道上げた寺社の建て替え。

キリスト教に至っても、殆どの方は、北海道の幕末,明治のロシア正教が始まりだと思っているだろう。
しかし、実際には江戸初期の千軒岳の大弾圧らや人口インパクトから考えて、全く痕跡が消える事があるのか?、市町村史に、アイヌ潜伏キリシタンの話があるのに…
秋田の例にして、鉱山にキリシタン伝承は残されている。しかし、一定のボーダーラインです消え失せたとしても、それ以前迄「物証」で辿る事が可能なのだ。


以前も書いたが…
後藤寿庵の痕跡を尋ねた「カトリック水沢教会」を訪れた際に伺った話…
イエズス会フランシスコ会に争いは無かったのか?へ頂いた答えは、「布教のやり方で衝突はあった様です」だった。
イエズス会…日本の風習に合わせる…
フランシスコ会…より厳格な原理的な物をしっかり…
実は、この時教えて頂いた話はまだ続きがあった。
司教さん曰く…
カトリックが何故、世界中に伝播したのか?…その理由の一つが、どの修道士会も、教義そのものは変わらないから。
どの修道会間で手法は違えど、布教する教義、祭壇配置、ミサの進め方、讃美歌…それらが全く共通なのがカトリックの特徴。
故に、何処の教会に立ち寄っても、言葉が全く違おうが、手順らが全く同じなのでミサに参加出来るとの事…だから、手法で争いあろうとも教義が変わる事は無い。
この前提が変わる事は有り得ないのだ。
バチカンの許可無くそれを変える…これは邪教を伝導する事になる。

そこで司教さんに、北海道での人口インパクトを伝えて、ご意見を伺った。
結果から鑑みるに、必ず教会があったであろうと。
ミサをやらねば教義を教える事も洗礼も出来ない。教会と祭壇は必須なのだ。
無い方が異常。
尾去沢鉱山に残された、鉱山内礼拝堂、大籠の様に洞窟の教会,神棚を模した祭壇の様に。
教会や教会の痕跡が無い事が如何に異常な事か?理解頂けただろう。


これだけ断片が出ても、古い神社仏閣も教会も無いと言う…
事実だけ並べたら、これだけ異常なのに。
北海道の方には是非とも、古代の神社仏閣,教会も探して戴きたい。
北海道の方は特に、ご先祖が、何を考えて、心の拠り所にしたか?それを知れる事になる。


とはいっても、ヒントが…いや、ヒントはある。
寺社に関しては、1800年の建て替えが鍵になるだろう。勿論、有珠山噴火らで、位置が変わった事もあるが、元々有ったであろう祠らが無いとは言えない。寺伝らからそれを追う…

教会は?
「切支旦」と言うワードに振り回されてはいけない。
当時施政者たる大名藩士が、カトリックをどう呼んだのか?
秋田では、日記や書状にこう残されている…
「大ウス宗」…
当時のバテレン達は、唯一神を天主ゼウスと準えた。
それが訛りデウス→ダイウスと変遷し、禁教令下でのやり取りを誤魔化す為にそう書いた様だ。
「大ウス」…「大臼」…


自ずと辿り着く「仮説」はこうなるだろう。

・北海道には、普通に寺社はあった→
・大量のキリシタン流入により、寺社荒廃や僧侶の追放,教会化が起こる(秀吉書簡や大籠の実績より)→
・黙殺していた松前藩だが、直轄化を見越し片っ端から建て替えを行った…

どうだろう?
これなら、寺伝や各種痕跡が残らない理由も含め「仮説」として成り立つハズだが。
勿論、この「仮説」を立証する「物証」は、更に必要となる。
が、これが立証されれば、北海道史はガラリと変わるハズだが。
昔から住んで居たのは誰か?
どんな信仰でどんな暮らしをしたか?
更には…文字が消え失せた理由のヒントも出来るが。


敢えて踏み込み、我々が立てた「仮説」と、我々が何故種々のアイテムを探すのか?…議論した一端を書いた。
古い寺社が有っただけでは不足。
それを信仰していた人々の痕跡が必要だと言う事。
これならば、そこに「先住」していた人々の持っていた文化が解るハズ。


初めから、たかが半年や一年で追い切れる様なテーマで学んではいない…と、言う事だ。