「アイヌブリな葬送」は虐待ではない…藤本英夫氏が記した「家送り」と、当時のマスコミの世論操作

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/12/203509
前項はこちら。
何故、吉田菊太郎翁は「今のアイノは昔のアイノではない」と訴えなければならなかったのか?
一つは、彼が著した「アイヌ文化史」にあるように、「未開、滅びゆく民族」と言う変なイメージを植え付けられ、それを嫌ったから。
では、そんなイメージを作ったのは誰?
一つの事例がある。

さて、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/05/180013
藤本英夫氏…
シベチャリを発掘した本人の一人。
考古学の方だが、アイノ文化や風習を知らねば、遺物の意味合いを推定不能なので、河野氏らも含めこれらへの調査も行ったのだろう。
藤本氏は「アイヌの墓」に於いて、その当時にアイノ文化での葬送のし方を、現地取材しながら著している。
当時まだ「アイヌブリ(アイノらしい)」な方法で葬式をして欲しいと願うお年寄りは居たと言う。
昭和2〜30年代でも、そんな事例は新聞らで報道されていた様だ。
中でも各史書らで、アイノ文化の葬送では「住んでいた家を焼く」…こんな記事は目にするが、藤本氏が調査した事例では少々ニュアンスが違う様だ。
その一連のプロセスを要約すると…

1, 年老いて死期を悟る…
2, 「死後の家」を建てて貰い、そこに住み馴染む…
3, 自分の死装束(新品)を準備する…
4, 亡くなる…
5, 亡骸を浄め、装束を着せる…
6, 弔いの告知&弔問…
7, 最後の会食…
8, 墓標の伐り出し…
9, 引導渡し…
10, 亡骸包装…
11, 玄関以外から亡骸を出し、墓に埋葬…
12, 「死後の家」を焼く…

ここで特筆すべきは、
①新築する。
2と12は絡む。
死後の世界で住む家を新築し、それを燃やす事で「先祖の世界へ送り届ける」のが目的。なので、予め住み出して馴染む必要があると言う。
②死装束は必須。
家同様にこれを忘れてはいけない。
理由は「家も死装束もない」アイノメノコ(アイノ女性)はだらしないと先祖に叱られるから、だそうだ。
ここで一つ…「貞操帯」。
生理らで使うものと言うニュアンスの様だが、これを男性は見たり触ったりするのはタブー。
母系の女性以外は触ったり、作る手伝いをしたり、着せたりはNG。
「死後の家」で着せる作業は行われる。
故に「母系文化」の一つとして継承される。
「父系文化」の一つとして、イクパスィのシロシが継承される場を女性が見る事を許されぬ様に、貞操帯は基本的に見られない。
つまり、女系統が解るそうだ。
父系,母系共に、元々その系譜は追う事が可能だった事になる。
③黄泉帰りを嫌い、墓参をしない。
非常に死後の世界を忌み嫌うのは割と知られているが、9や11の様に「行き先は死後の世界」、迷って家に戻っても家に入らせない為に壁を壊したりするそうで。
墓に埋葬した後も、振り返ってはいけない等、ルールがある。
筆者の住む秋田でも「火葬後に同じ道を通ってはいけない」と言われるが、似た風習なのだろう。
藤本氏は、この家送りの意味合いを、「まるでピラミッドや前方後円墳の様だ」と感じたと言っている。
当然ながら、現在やろうとしても、茅葺き屋根のチセ建築や防火の観念、何よりわざわざ寒い家に一人暮らすetc…実現は難しい要因があるのは否めず。
だが、事例があると言う事はそれを望めば、申請で許可が下りたと言う事だろう。
尚、細かい地域柄はあり、全て一様では無いと藤本氏は記事する。
その地域柄をアイノ古老は「禅宗法華宗の違いの様なもの」と言ったそうで。

では、本題。
藤本氏が取材中に、一つの新聞記事が出て、藤本氏は遺憾に思った様だ。
その一節は「間違った新聞報道」と言う題がつけられる。
引用しよう。

「それから間もなくのある年の冬、ある新聞に次のようなことが社会面のトップに載せられたことがあった。Mというアイヌ部落のことで、「アイヌの若夫婦、老婆を虐待」という見出しに続けて、そのようすが説明されてあった。「−胆振国のM町では、アイヌの若夫婦が老衰の老婆を自宅の裏につくった ワラ家に住まわせている。ワラ家はすき間だらけであって、雪が吹き込み、老婆は毎日寒さにこごえてふるえている…」。その後、新聞の投書欄ではアイヌのこの風習についての賛否両論がたたかわされた。しかし、H家の老いた娘はこのようにいっていた。
「シャモ(日本人)から見れば、親を大事にしない不幸ものと思われるかもしれない。だが、お婆さんにしてみると、やっと自分の住む家をつくってもらって、喜んでいる」と。

アイヌの墓」 藤本英夫 日本経済新聞社 昭和39.9.10 より引用…

お婆さんは「アイヌブリで葬式を出して欲しい」と望み、それを実現させた若夫婦、それを取材中の著者が、その過程で他のアイノ式葬送を望んだ家族を「叩く」記事が出て、藤本氏も若夫婦も困惑した様だ。
眼前には、これで旅立てると喜ぶ母がいて、自分達も何とか家の新築迄した訳だ。
だが、新聞は「アイノは老婆虐待をする」…これだ。
恐らく、文化面で風習として報道されていれば当時も「そんな風習なのか」…で、済んだだろう。
だが、そんな風習に「老婆虐待」の冠をかけて事もあろうに「社会面トップ」で報道したのはマスコミで、それも投書欄で侃々諤々賛否両論で世論を操作した訳だ。
こんな風にして、既に同化終了していた人々へ「未開のイメージ」を垂れ流していた。
本人達にすれば、そんな風に誤解されるのはいたたまれないだろう。

吉田翁が「アイヌ文化史」で、「既に古いアイヌは居ない」と訴えた理由はこんな事だろう。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/28/203440
教育水準が上がり、貧困からの脱出準備は終了した。
故に、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/11/115652
民族問題で「もう保護法は不要」と叫びを上げたのだから。
再び前項…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/12/203509
故に吉田翁はこう言う。
マスコミは、吉田翁達の言い分なぞ聞いていなかったのでは無いのか?
筆者はこれを、世論誘導の事例と捉えている。
一つの断片でしかないが、一般人は騙され、アイノの人々は汚名を着せられていたって事だろう。
我々は、こんな風にして、マスコミに世論誘導され、民族分断工作を受けたのかも知れない。
現実、マスコミは企業であり、記事を売るのが至上命題、そして選挙で権限付託された存在でも、医師や教師の様に免許を持つ訳でもない。
未だ誤報の話はSNSでも飛び交い、仮に誤報したとしても、小さな謝罪記事かアナウンサーに頭を下げさせるのが殆ど。
ちゃんとした記事を書く者もいれば、売れれば良い記事を書く者も居ただろう。
これも実態を示す事例の一つと考える。


どうだろう?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/10/114329
アイノ問題は、なにも今始まった訳ではない。
学問創成期も、民族問題開始時も、問題提起の先には、火に油を注ぐ様な事が行われ、本人達の思惑とは別の方向に進んだりしてきたのだから。
現在の「コロナ禍」らも、専門家でも無いコメンテーター達が訳の解らない方向に誘導し、当初言われた「どうやって収束させるのか?」なんぞと言う話を報じようとはしなくなった。
正に「火に油を注ぎ」販売部数や視聴率を上げるだけに筆者に見えるのは、筆者が捻くれ者だからだろうか?

報道や代弁者の話を聞く前にまず、本人や調査結果を学ぶべきではないだろうか?
問題提起までは良いとしても、報道が全て真実を語ってきたか?は、解らない…我々はそう考えるので、スタートまで遡るのだ。
マスコミや活動家に踊らされるのは、アホらしいと考えるからだ。






参考文献:

アイヌの墓」 藤本英夫 日本経済新聞社 昭和39.9.10