伊達政宗公の野望のルーツは何処か?…典型的ランドパワー「伊達氏」と海の繋がりの初見は「野辺地」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/08/20/141907
前項をこれとしての備忘録である。
中世を学ぶ内に勝手にピースが組上がれば「儲け物」である。

さて、前項の様に「伊達政宗」公と言えば、独眼竜…何かやらかしてくれそうな所が魅力の一つ。
従兄弟である「天下の律儀者」佐竹義宣公とはある意味対極。

実は、我々グループのディスカッションでも、伊達政宗公と北海道の繋がりは、テーマの一つでもある。
我々は0からスタートしているので、東北史もまっさら。
政宗公と言えば仙台だし、何せ慶長使節団。
直ぐに海に結び付けようとしたくなる。
だが実は、伊達氏は室町~戦国辺りの領地が米沢~会津辺り。
海との接点が無い、典型的ランドパワーなのだ。
それが家康公にネゴして仙台に出る…
いきなりサンファンバウチェスタ号建造…
湊の運用ノウハウは無し…
普通に考えて、幾ら何でも無謀なのだ。
なので、伊達氏と海、そして北海道との接点は何処なのか?
いずれ追い掛ける必要があるのだ。

そんな中、全く関係ない著書からポロリと伊達氏と海,北海道と繋がりそうなピースがこぼれ落ちてきたので記録しておく。
引用しよう…

建武二年(一三三五)二月三十日、北畠顯家は野辺地を伊達宗政に与え、その執行を師行に命じた。資料は残されていないが、師行は宗政に対して、野辺地の領地を受け取るならば代官を派遣するように要請したはずである。結果、宗政は領地を受け取り、代官を派遣することを決め、師行に伝えた。師行は、三月二十四日にその旨を国府に報告している。」

「南部師行-陸奥将軍府で重用された八戸家当主-」 滝尻侑貴 『南北朝武将列伝 南朝編』 亀田敏和/生駒孝臣 戎光祥出版(株) 2021.3.18 より引用…

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/08/17/195055
たまたま北畠顯家と南部師行とは何者なのか?読んでいたら、南部師行の章に伊達氏が登場した。
野辺地…
青森市から東、下北半島の付け根付近。
北海道への玄関に成り得る一つ。
これを見る限りだと、伊達宗政は代官を野辺地に送り、南部師行から飛び地領として受領していた事になる。
今まで伊達氏系の文献を読んだ中では、これが最も古い「最も海に近い場所」かも知れない。
当然ながら、江戸期の伊達家臣団の中には「亘理氏(千葉氏系、後の涌谷伊達氏)」ら海に面した所領を持つ武将も居る訳だが、それはこれより後だろう。


本ブログでも「野辺地」は何度か登場している。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/21/144647
平安(擦文)期に、十和田大噴火により奥入瀬周辺の陸奥エミシは、野辺地周辺に逃れその後製塩らで北海道とは関わりがある事が、発掘で推測されている。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/14/201908
織豊期、三戸南部公が八戸南部公へ宛てた書状。
ここでは、小型船を野辺地で建造している。言わばドッグが野辺地にあった事が示唆される。
①,②共に、北海道との海運に関与する話である。

そしてその中間、これが北海道,千島との薄い接点。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/06/08/070139
15世紀辺りに道東,千島方面に分布する内耳土鍋の製作地は、旧伊達領(米沢~会津辺り)と一致しそうだと言う考古学,食器変遷史的見地。

細く、遡り過ぎるだろうが、北海道と伊達氏を結ぶ接点が全く無かった訳では無さそうだと言うのが解ってくる。
この時、伊達領で作った内耳土鍋を
交易で伝播させた人物は誰?、湊は何処なのか?と言う事になってくる。
南部氏は端から臭い…
浪岡北畠氏も然もあらん…
ここに伊達氏も参入させねばなるまい。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/08/29/200405
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/01/115401
勿論、この様に、施政者ベースではなく、民間ベースでの交流はずーっと続いているであろう事は、間違い無いだろう。
これは記録に残る事はほぼ無い。
が、施政者層が戦略的に北海道との交易を利用しようとしていたら薄く細く記録に残る可能はある。
この場合、北海道~東北は丁度動乱期。
その人物は、北海道中世を混乱させていた元凶の一人になる…と言う訳だ。

さて、政宗公へ話を戻そう。
前述の様に、典型的ランドパワーのハズの政宗公は海に出た瞬間に、サンファンバウチェスタ号建造や石巻湊開港をやってのけた。
更に、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/11/183522
いきなり松前慶広公と好し美を結び、それが三代目片倉小十郎へ。
何の予備知識もなく、海に出た訳ではなくなってくるのではないのか?
これらが繋がった場合、政宗公以前に伊達氏は海に出る野望を持ち、そのチャンスが得られなかったが、政宗公の代で一気に道が開けた事になってくる。
つまり政宗公の海への野望のルーツは、そのまま伊達氏の野望だった事に…

まぁ我々は物証主義。
邪推はここまでだ。
いずれ、東北史を学びながら、北海道史と接続していく過程でまだまだパズルのピースは手に入るだろう。
それらが手に入れば、中央史との接続も出来てくるだろう。

「北海道入植した伊達家は、幕末まで北海道と一切の関係が無かった」…
これは、北海道の研究者から、グループのメンバーが直接言われた言葉。
バカを言うな!
伊達成実公は政宗家臣団の序列三位…と言うより、政宗公の従兄弟且つご意見番
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/02/063246
まだまだ…
ゆっくりじっくり、物証探してやる。
素人をナメるなよ。
ジワジワ追い詰めてやる。