一つの前提…「施政者層」の文化と「民」の文化の解離

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/08/24/203100
歴史を通史で学びつつ、同時に民俗,文化を博物館,資料館で触れると面白いと思う事がある。
割とこの事は話される事が無いのだが、それを見事に表現した文書を見つけたので紹介しよう。
いきなり引用を…

「日本人は世界一お人好しである。その日本人の中で秋田人は一番のお人好しである。それは戊辰の役このかたの秋田人を見れば一目瞭然である。と、すれば、秋田人は世界一お人好しである。
中世の秋田は隣国豪族の草刈り場だった。そこに育った領民の事なかれ主義はその風土性とあいまって楽天的な人間になってしまった。決して裕福ではないが、争わず、騙さず、信用し、面倒をみ、威張らず、恨まずにどうにか暮らしてきた温和な領国に領民は慣れていた。
この土壌に培った好人物達の世界が常陸からやってきた戦国の猛者佐竹家臣団をも同化してしまった。だから秋田の人間は他人を蹴落として偉くなったり金持ちになったりする必要がなかった。考え方だが、これが最も理想的な人間社会の営みかもしれない。」

「佐竹史料館学習講座 佐竹氏入部のころ」 土居輝雄 秋田市立佐竹史料館 より引用…

まぁ筆者的にはよく解る。
当然ながら美談としては捉えていない。

歴史的にも戦いは好まずは見える。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/29/121957
だが、裏返せば事なかれ主義で優柔不断だとも言える。

だからといって、怒ったりキレたりする事もない。
特に食い物と酒を止められたらいきなりぶちギレし…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/02/121137
そのキレ方は相対的に、粘り強いと言う東北人共通として、非常にエゲツないとも言える。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/18/074550
手段なぞ選ばない。
見方を変えれば、決して美しいものじゃない。

さて、本題は別である。
引用で着目戴きたいのは二点。
①隣国豪族の草刈り場
②戦国の猛者、佐竹家臣団をも同化させた
ここである。
実際、鎌倉方との奥州合戦奥州藤原氏の時代を終え、鎌倉御家人達が入ってくる。
但し、初期は代官又は子孫へ分け与えた所領で、当主は本領や鎌倉に居る事が多かった様だ。
この辺が変わってくるのが、鎌倉末~南北朝期。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/08/17/195055
秋田ではこれに先駆け、比内の浅利氏や雄勝の小野寺氏らが本領から秋田へ入ったと考えられている。
勿論、郷単位で小分けに領有しているので、手勢は少ない。
主に住んで居たのは元々ここに住む「民」で、ごっそり入れ替わるなんて事は有り得ない。
それに中世迄は、半農半士も当たり前だし、領主と家臣の関係も絶対的な主従関係と言う訳でもないので、状況で寝返るなどは普通にあるのは知られた話。
儲けさせる領主の元に力が結集していき大名化していくプロセスは見える。
ここで…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/11/15/141716
この様な地方の民俗,文化は元々在地の「民」の文化で、後に入る御家人衆や地頭,守護らはエッセンスを加えたり振興する事はあっても、ベースは「民」が持っていた文化であろう…と言うのはどうだろう?
それぞれ元々持つ民俗,文化の差は、武家で伝承された部分を除き、基本的には絶対的多数の「民」が持つ文化への同化が進んで行くのではないか?…と言う事だ。

言ってみれば、施政者層の文化と民の文化は解離していて、施政者層が独自に残した部分を除き、多数派である民の文化に傾き同化吸収されていく。
これは、朝廷と武家らでも発生するだろう。

とすれば、佐竹公骨抜き化作戦は、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/03/24/152415
元々中世で飯を食べていた民の文化を継続させる為の戦略とも言えるのかなと。
まぁそれは置いておいて…
確かに、南東北~関東での血走る様な争いを繰り広げていた佐竹公や家臣団にとって、脳天気な秋田の民の気風に入れば気が抜けそうな気もする。
秋田民の酒席での行動を知る筆者的には、その姿が想像出来てしまうのが恐ろしい。
筆者的には、一番先にこの気風に馴染んだのは、藩主義宣公や家臣団ではなく、最も勇猛果敢で「鬼」と恐れられた父義重公なのではないか?と昨今思ってしまう。

施政者層と民の文化の解離…
これはまた、登場してくる。
筆者的には重要な「一つの前提」。
そして…
「お上」と「下々」の考える事は、現代でも割と解離しているのではないだろうか?



参考文献:

「佐竹史料館学習講座 佐竹氏入部のころ」 土居輝雄 秋田市立佐竹史料館