https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/17/201849
ちょっと変わった備忘録をこれに繋ごう。
関連項はこちら。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/06/08/070139
食器の文化圏は、案外いびつだったりする。
何せ、平安での都の鉄鍋+漆器椀ら…
これ、周囲と合致せず、東北と合致したりしている所が興味深い。
さて、先日相互フォロワーさんと県南を回った時に見つけた展示…
これが「キタ~!」級だったので、備忘録とする。
「川連漆器」をご存知だろうか?
これは、岩手の「一関市民俗資料館」の展示。
近代では販路を県外にも広げていたのが解る。
こちらは「稲庭城」の展示パネル。
佐竹義和の代、寛政年間に久保田藩の奨励品となり保護される。
で…その起源は伝承では、佐竹氏入部より遥か前、中世この周辺を治めた雄勝屋形「小野寺氏」が甲冑や刀剣の拵らを充実させる為に奨励…とはあるが、ここに至る為の物証らは見つかってない。
何せ小野寺氏は関ヶ原で上杉に加勢したと見做され、戦国武将たる宗家は改易の憂き目を見ている。
仮にそうであっても、佐竹氏が藩奨励品として「刈り取った」としてもそれも事実。
この辺が、起源を辿る難しさ。
ましてや「漆器」は、縄文期で既に行なわれているのは、数々の遺跡が物語るが、途中から欠落していて明確ではない。
と、言う訳で本題。
「川連漆器」らの起源を探るには、古書らでは現状限界がある。
なら、最新の考古学知見では?
と、言うのが前述した県南の話。
雄物川町歴史民俗資料館で「発掘された横手」と言う特別展をやっていて、二人共「キタ~!」と盛り上がった展示がこれ。
「大清水遺跡群」で検出された「漆器工房」を示唆させる結果が得られた様だ。
雄物川町は古代城柵「雄勝城」があるのではないかと比定されている地域。
そして、中世は「小野寺氏」の所領である仙北三郡の一部。
勿論、まだ決定ではないものの、こんな研究結果の累積で秋田県の漆器の起源が解明されてくる可能性が出てきた事になる。
文献にない、民俗では途切れる、しかし考古学でその間を繋げれば、可能性は出てくるのだ。
これが、現物を検出する破壊力。
これで、こんな推測も可能なのでは?
①平安期以降にも「漆器」は利用価値が認められ、「公」又は「民」で技術伝承されていた。
②中世に小野寺氏が殖産として、武具や民需らの用途で家内手工業として種蒔きをした。
③近世に佐竹氏が、藩奨励品として他所技術らも取り入れて工房「拡大」し、産業として育てた。
元々古代〜中世は、実用品として伝承されてきた為にあまり陽の目を見なかったのは想像出来てくる。
そんな技術ベースを持っていたので、他所技術での洗練化も短時間で済む訳だ。
この辺が立証されてくれば、恐らくそれは他の工芸品や刀剣でも同様なのではないかと考える事が出来る様になってくる。
河野常吉氏曰く「秋田や檜山打ちのナマクラ刀」…これは裏を返せば、美的感覚を考えない消耗品としての「実用する武器」を貫いていたとも取れる訳だ。
場合によっては、地の食文化に結び付き、独自の形を残していく事も考えられてくる。
これだ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/06/04/104748
筆者が追い続ける「中世に竈はあるか?」…答えの一つは「移動式竈」ではないか?だ。
当然、継承されるベースには地の風習や宗教的背景があり、受け継がれる必然があったであろう。
文献、民俗、考古、これらの複合が、蓋然性を飛躍的に高める。
だから言う。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/11/054103
北海道も同じ。
文献も民俗資料も少ない。
考古学でアップデートして行かなければ、謎なぞ解けるハズ無し。
厚真でご教示戴いた、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/07/27/210830
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/07/06/201803
源流に修験系信仰がある…こんな話は「極当然」の解釈だと思うが。
従来の解釈の延長線上でも、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/08/07/201518
別に極普通に解釈可能なのだから。
まぁ、文献として残される部分は殆どが施政者層の話。
だが、物を作り、田畑を耕し、魚や獣を狩り、経済を回していたのは「民」。
圧倒的多数の記名無き殆どの日本人の先祖達だと言う事を忘れてはいけない。
我々は自らの直系の先祖の事を「知らない」のだ。
それは「現物」としてしか見る事は出来ない。