時系列上の矛盾、厚真町⑦…「ショロマ3遺跡」に眠る「鎧」の謎

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/06/19/193804

厚真の中世遺跡のシリーズも第7回。

折角「星兜」が出ているので、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/29/165629

甲冑も見てみたいとは思わないか?

実はある。

「ショロマ3遺跡」だ。

このショロマ3遺跡、主な遺構面は3種で、上から

・Ⅲ層bL…擦文文化期の礫や鉄器集中

・Ⅲ層c層…続縄文期の土壙墓

・Ⅴ層…縄文期のT型ピット

となっている。

では、その甲冑に特化して見てみよう。

 

では何時もの基本層序から。

Ⅰ層…表土、10cm程度

Ⅱ層…近世火山灰層、20cm程度

ここでは1667年のTa-bと断定している。

Ⅲ層…黒色土層

aは砂質シルトが混ざり1cm程度、近世土層。

bはシルト混ざりで5cm程度、U,Mが中~近世、Lが古代~中世、その下方に白頭山-苫小牧火山灰層(946年降下)が1~2cm部分的にある。

cは砂質シルト混ざりで15cm程度、遺物らより縄文後期~続縄文~946年迄の土層。

注目している層序はここまでなので、以後割愛する。

この辺は、他の一連の発掘調査報告書と概ねの共通点である。

 

「第4節 鉄器集中

鉄器集中は拡張調査区のⅢ層調査で1ヶ所検出しており、甲冑製品や刀子が出土している。

本集中はⅢb層調査中に板状の金属製品が1点出土し、更にグリッドを掘り下げたところ、倒木痕の窪みに同一個体と思われる金属製品がまとまっていたことによって明らかとなった。本集中は倒木痕の窪みに出土したもので、時期の特定は困難であるが、同遺跡のⅢ層からは擦文文化期及び続縄文文化期の遺構、遺物を検出しており、続縄文文化期は墓坑1基と試掘坑の土器集中のみであることから、擦文文化期に帰属する可能性が高いと考えられる。

IPB-01 (図Ⅱ-7・8・9-1~4・10-5~15・11-16~25  図版4・20・21-1~6・22-7~25)

位置: AT-18  層位:Ⅲb層下位  規模:168×101cm  出土点数:鉄器 129 点、礫 10点

確認・調査:Ⅲb層下位で板状の金属製品が出土した後、周辺を掘り下げるとAT-18グリッドの切株周辺から同様の形態をした金属製品が認められた。切株を切断してプランを確認したところ不整形な倒木痕を確認した。遺物の有無を確認するため、倒木痕を半載したところ多量の板状鉄製品が出土した。当初、金属製品は倒木による撹乱を受け層的に乱れていると考えたため、検出層位からの断面図等は作成していない。 その後、集中範囲の広がりを確認するため金属製品を台状に残しながら掘り進め、全体の写真撮影を行った。

本集中から出土した金属製品は板状で非常に脆弱であり、取り上げ後の接合が困難であると予想されたため、形状を残す個体(ブロック1)についてはバラロイド B72を5%~10%に希釈して、塗布し硬化処理を行っている。平面出土位置の微細図、堆積状態は金属製品を残した台を利用して見通しの断面図を作成し、座標点で取り上げ調査終了とした。取り上げ後、クリーニングと必要に応じて裏打ちの補強を行い保存処理委託を行っている。 (奈良)

出土遺物: 鉄器は、ⅢSB-02出土の刀子柄1点と本集中包含層出土を含め139 点出土している。そのうち129点が本集中から出土し、1点が刃子切先で、この他鋲留めの甲冑製品である。 以下、ブロックごとに掲載したものについて記述する。」

 

「ショロマ3遺跡  -厚幌ダム建設事業に係わる埋蔵文化財発掘調査報告書11-」 厚真町教育委員会 平成26.3.19  より引用…

 

鉄器は3つの塊に分かれ、

ブロック1…40×18cmの範囲

ブロック2…36×23cmの範囲

ブロック3…53×30cmの範囲

で検出、それらを組立ると長方形蚓板鋲留甲になると考えられる。

その他、この集中区からは刀子×1、礫×9が検出されている。

では、まとめの章ではどう扱われているか?

 

「上層の文化層は1667年降下の樽前bテフラ下の層黒色腐植土で、擦文文化期後期と思われる焼土・土器集中・礫集中からなる集中区や時期的には同期と推定される鉄器集中を倒木痕の窪地に検出した。

鉄器集中は分析・調査の結果から古墳時代5世紀以降~奈良時代の短甲または挂甲であり、矧板の湾曲や厚さからは鋲留板物甲であること、堅矧の短甲は珍しいことからも籠手または脛当の可能性もある。 道内の類例は千歳市祝梅川上田遺跡 (道埋文センター 2013)のほか、平取町ポロモイチャシ跡 (道埋文センター 1986) の2カ所である。鋲留短甲またはそれに付随する籠手、脛当は古墳時代以降の所産であり、出土層位・周囲出土土器等の確認からは伝世したものと思われる。 祝梅川上田遺跡やポロモイチャシ跡のものは伝世品であり、 本遺跡出土品もその可能性が高い。 年代については周囲の土器から擦文文化期、12世紀代と思われる。」

 

「ショロマ3遺跡  -厚幌ダム建設事業に係わる埋蔵文化財発掘調査報告書11-」 厚真町教育委員会 平成26.3.19  より引用…

 

おっと、ポロモイチャシと…

「兜あるいは鎧と思われる破片が、ボロモイチャシB郭から出土している。 小札・鋲が確認されているが、形状はつかめない。平取町内では、鎧の出土した遺跡が他に3カ所ある。 アベツチャシ跡、額平川1遺跡、芽生3遺跡がそれで、特にボロモイ・ユオイの両チャシと時期的・距離的に近いアベツチャシからは、Ta-b 火山灰直下から二体分の胴丸が検出されている。ポロモイチャシA郭からは、 一部鍍金のある、鎧兜の銅製縁金 (覆輪)が出土している。 形状や長さから、冠板・鳩尾板・眉庇につくものと思われる。小札もポロモイチャシA郭や、IIIH-1・3・4 や鍋に付けられたもの等が、単独あるいは2点で出土している。形は主に、盛上本小札と呼ばれる片端が斜辺になるもので、室町時代のものとされる。 全道的にみても、兜は比較的みられるが、鎧がまとまった形で出土しているのは、アベツチャシや余市町栄浜遺跡ぐらいで、小さなまとまりを除けば、ほとんどが、小札金具も単独で出土している。おそらく、当初は鎧の形で手に入れたものが、時間的あるいは人為的に分解され、各部分を別目的で使用することになるのだろう。あるいは、初めから、甲冑とは関係のない単品として、交易されるのかもしれない。 その用途については、装飾あるいは鉄片としての利用が考えられるが、当遺跡でも見られるごとく、炉の中から小札が出土することにも注目したい。またⅢH-4か ら出土している鎖は、上ノ国町勝山館跡出土品にみられる、籠手を形成する小札をつなぐ鎖ではない かと思われる。」

 

「ユオイチャシ跡・ポロモイチャシ跡・二風谷遺跡-沙流川総合開発事業(二風谷ダム建設予定地内)埋蔵文化財調査報告書」財団法人北海道埋蔵文化財センター 昭和61年3月26日 より引用…

 

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/11/30/161755

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/02/184205

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201533

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/04/192347

ユオイチャシ跡・ポロモイチャシ跡・二風谷遺跡は以前取り上げているが…

同じ鎧の部品として取り上げたとしても、ポロモイチャシの鎧兜は包含層としてもその形状から室町位のものと考えられている。

想定している時代背景が全く擦り合わない事は留意が必要だろう。

同時代の類例にはならない。

 

さて…

このまとめで終わっては面白いとは言えない。

まだまだ、ここからが本命。

実はこの甲冑部品、産地同定すべく、岩手大学で科学分析を行っている。

引用の通り、この結果については発掘調査報告のまとめでは触れられていない。

では、難しい科学用語よりストレートに表現したこの章のまとめ部分を引用する。

 

「7. まとめ

ショロマ3 遺跡出土鉄器の金属考古学的調査結果について述べてきた。これまでの調査結果を整理すると、以下の4点を指摘できる。

(1)    ショロマ3遺跡の擦文~中世アイヌ文化期に比定される遺構から出土した甲冑製品には炭素量が0.5mass%未満の亜共析鋼が配されていた。

(2)   甲冑製品から摘出された7試料のうち6試料はNi含有量が低くCo含有量がきわめて高いという点で特徴的であり、これまでに実施した出土鉄器の調査結果をふまえると、列島内に加え北方大陸からの搬入を考える必要がある。

(3)   甲冑製品から摘出した7試料のうち1試料はAsおよびS含有量が他の6試料に比べ高いという点で化学組成が異なっていた。甲冑製品を製作した地域で組成の異なる地金を調達し、製作活動が行われていた可能性がある。

(4)    金属考古学的調査を実施した甲冑製品および刀子はいずれも外観形状が大きく損なわれた状態で検出されている。ショロマ3 遺跡内ではそれらを鉄素材として再利用していた可能性がある。」

 

「ショロマ3遺跡  -厚幌ダム建設事業に係わる埋蔵文化財発掘調査報告書11-」 厚真町教育委員会 平成26.3.19  より引用…

 

この分析から解った事は、

①7点の甲冑部品の内、1点と6点で組成が大きく異なり、6点の組成はNiよりCoの含有率が極めて高い特徴がある

②今迄の分析結果からすると、この6点と近い組成を持つのは枝幸目梨泊遺跡の曲手刀子ら数点のみで東北以南では見つかっていない為に大陸産の鉄を使っているのではないか?

③この場合、

・ベースとして大陸産の鉄を使った甲冑を、国内産の鉄の部品で補修した…

・出土状況から、初めからバラバラの部品を集めて鉄を再加工する目的で集めた…

このどちらかではないか?と推測している。

どちらかと言えば、まとめのニュアンスとしては後者を考えているのか?

以上である。

これを、発掘調査結果と合わせると、平安(擦文)後~末期の北海道に於いて、鎧兜の再加工を行っていたか?鋳直すか鍛え直す目的で廃品回収的に部品を集めたか?をしていた事になる。

非常に興味深いではないか。

ただ、何れにしても分析を行った結果点数が少な過ぎて同定出来ないのが実情だろう。

土器堆土や金製品らの組成もそうだろうが、同一分析でデータバンク化されている訳ではないであろうから、それぞれ対象間での比較をするしかないであろうから。

さて、ちょっと考察を入れてみる。

先のポロモイチャシでの類例。

形状からの特徴は室町位と考えられており、それはTa-b直下の層序とは一致している。

同一時代、南部氏方の居城らで小札らが出土しており、出羽側、陸奥側双方から北海道へ持ち込む事は可能だったであろう事は解っている。

これ二戸城の出土品。

さて、この辺の時代の製鉄事情は?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/03/07/202638

中世途中迄盛んに行われた国内での製鉄は室町途中から途絶え始める。

理由は旺盛な需要に対して生産が追い付かなくなり、特に大都市圏を中心に大陸らから粗鉄を購入し鍛冶を行う方に変化したから。

結果、大鍛冶を伴うズク押し法での製鉄は一度廃れる。

確かに、秋田でも中世遺跡の何処にでもあった様な製鉄遺構は消え去っていく。

鋼を一発で取り出すケラ押し法での製鉄が復活発展したのは江戸時代、近世製鉄でのの復興。

ハッキリ明確に断定は出来ていないだろうが、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/04/26/125931

大籠は先陣をきっている方なのかも。

これらを組み合わせると、ポロモイチャシの甲冑部品と同一時代と仮定すれば、場合によりそれは海外からの粗鉄購入時代と一致してくる可能性はないだろうか?

なら組成は大陸側の物に近付いていくだろう。

この場合は、発掘前に切株らによる撹乱を受けた事になって来る。

何せⅢ層は5cm…

擦文~中世を期待しつつも、難しい位置ではあるだろう。

そして発掘結果通り、仮に平安(擦文)末期と仮定しても、丁度源平の戦いや鎌倉幕府の成立や承久の乱ら、戦乱が続く時代である事を考えれば、鉄の需要は旺盛で一部粗鉄購入はあるかも知れない。

ただ、東北以南への類例がない事を鑑みれば少々厳しいかも知れない…

なんて事も成り立ち得るかも。

単に、こんな物が出た…これだけ論じるのではなく、アマチュアは背景との整合で楽しむのも良いのではないだろうか?

 

こう考えると、もう組成分析も製鉄事情らを考慮する時期なのだろう。

・製品搬入期

・製鉄開始期

元慶の乱後の拡散期

・古代製鉄完成期

・海外粗鉄購入期

・ケラ押し法による復興期

・高炉稼働期…

学んできたポイントだけでもこんな感じだろうか。

これらと今迄の形状による分類と合わせて積層型のデータバンクが出来れば、編年指標化出来てくるとはおもうのだが…

もっとも、非破壊検査でこんな事が出来る様になれば、刀剣市場は混乱してくるかも…

何せ贋作を掴ませられる事は絶対的になくなってくる訳で、価格への影響は否めないだろう。

美術的価値と学術的価値は違う。

まぁその辺は、我々グループが考える様な事ではない。

 

さて、如何だろうか?

厚真の遺跡は余市同様に、色々な事を学ばせ考えさせてくれる貴重な遺跡。

折角なのだ。

思考の迷路に入って楽しむのもまた一興。

但し、無根拠ではいけないし、過去に起こった事実は「たった一つ」しかないのも、忘れてはいけない。

 

 

 

参考文献:

 

「ショロマ3遺跡  -厚幌ダム建設事業に係わる埋蔵文化財発掘調査報告書11-」 厚真町教育委員会 平成26.3.19

 

「ユオイチャシ跡・ポロモイチャシ跡・二風谷遺跡-沙流川総合開発事業(二風谷ダム建設予定地内)埋蔵文化財調査報告書」財団法人北海道埋蔵文化財センター 昭和61年3月26日