コイル状鉄製品のルーツとなり得るのか?−2…螺旋形状をした事例3点の備忘録

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/08/16/182820

本年最初のブログは、コイル状,螺旋状の物の第2報とする。

何気に買っていた文献やふらりと訪れた資料館,博物館、そして埋文にもポツポツそんな特徴を持ったものはあったりする。

勿論、関連性らは何も解らないが、そんな事例を増やしていけばいずれ共通の風習や宗教らに辿り着く可能性が無い訳ではない…故に「備忘録」。

今回は各時代の3点についてそれぞれ報告しよう。

 

①馬具…

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/12/16/211012

「「牧」を示す「黒ぼく土」…「尾駮の牧」研究から中世北海道に馬がいたか?の検証の為の備忘録」…

ここで参考にした「尾駮の駒・牧の背景を探る」に記載された内容である。

「東北北部で出土した馬具類のいくつかを図示しました(第2図)。図の1~4は轡です。1・2は八戸市丹後平古墳群出土のもの、3・4はおいらせ町阿光坊古墳群出土のものです。どれも七~八世紀の墓から出土していますが、2や3は六世紀の朝 鮮半島で製作されたものと推定されています。5・6は杏葉といって馬に着せた飾りの一部です。7~10も、馬に着せる飾りに用いられていた金具です。このような飾りを着せた馬が七~八世紀の東北北部にいたのです。」…

とある。

阿光坊古墳群と言えば、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/06/10/210140

「「阿光坊古墳群」に残される墓参と思われる痕跡…末期古墳を作った人々の断片と製鉄ルート」…

訪問済。

実は筆者は見ていたりする。

ワイヤー状に「寄り」を入れている物が半島系や渡来系と捉えられている訳だ。

 

②鑷子状鉄製品…

今年最初の遠征より一件。

昨年最後の遠征は新潟であった。

そこから北陸方面へ展開してみたいと思っていたが、元旦の「能登半島地震」から落ち着く迄は控えるべきと判断。

で、今年最初はいきなり関東へ。

群馬県渋川市である。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/01/11/063157

「生きてきた証、続報42…これが平地住居の「煙道無し竈」、驚愕の黒井峯遺跡」…

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/01/15/193659

「これが東日本最古級とされる「古代精錬遺跡」…黒井峯遺跡を支配したであろう豪族居館「三ツ寺Ⅰ遺跡」」…

黒井峯遺跡らの遺物や特に「平地住居の煙道無し竈」を見てみたいと常々思っていたので、「渋川市埋蔵文化財センター」「群馬県埋蔵文化財センター」を訪れてみたが、その中で目についたのがこちら。

展示パネルより。

「石で囲って作られた棺(箱式石棺)の中には、古墳に葬られた人(被葬者)が生前に所有していた鉄製の剣が3振、そして鑷子状鉄製品と呼ばれる毛抜きに似た鉄製品1点が副葬されていました。これは剣や刀を腰から下げる時に使われた道具と考えられます。

この古墳がつくられたのは、古墳時代中期(5世紀後葉)です。すぐ東側に「甲を着た古墳人」が出土した金井東裏遺跡があり、その関連が注目されています。」

筆者が気になったのは左側の鑷(毛抜)部分ではなく、中央〜右にある接続金具。

これ、ワイヤー状に拠りが入ってる様に見えたから。

検索してみるとやはり①の様に渡来系との関連の記述があるものもある様で。

現物展示をしておらず、対応戴いた学芸員さんも現物は見た事がない(多分防錆処理上)との事だが、やはり拠りが入ってる様な感じの認識の模様。

何に使われたものか詳細は不明の様で。

因みに、群馬県埋文でうかがったが、群馬で現状確認されている「製鉄炉遺構」は7世紀の「箱型炉」だそうだ。

その辺も含め、「この辺の古墳期のワイヤー状の遺物」は大陸や渡来系からの移入品と判断されるのだろう。

 

③縄文の「糸玉」…

先述の去年最後の遠征で、新潟県埋蔵文化財センターで、

初めて見た時に「あれ?」と思ったものだ。

展示パネルより。

縄文時代の漆利用は、約9,000年前にさかのぼり、世界最古の歴史がありました。新発田市青田遺跡では竪櫛や腕輪のほか、この製作に使われた漆容器がみつかりました。赤漆塗り糸玉は、植物の繊維を撚った糸に赤漆を塗り重ねてから、数千本を束ねて結び目をつけたものです。アクセサリーのほかに、結び目の数 や配置などで意思を伝える道具の可能性があります。同様の糸玉は福島県奈良県でもみつかっており、広範囲で糸玉が使われていたようです。」

何故「あれ?」と思ったのか?

瞬間的に思い出したのがこの「垂飾」。

勿論、単なる思い付き。

ただ、引っかかるのは「繊維を紡いだもの」だ。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/11/30/121516

「「樹皮繊維も特別な物でなかった」あとがき…紡績技術の継承が無い!」…

こんな話である。

糸玉は別称「つぐり」と言うのだそうだ。

「つぐり」は「松ぼっくり」や「髪を束ねて後頭部で球形に丸めた結髪方」の事でもある様だ。

これが古来からの養蚕ら繊維に纏わる「信仰具」に有れば…ふと考えたのはそれ。

養蚕の「絹」にして、苧,麻にして、古来から衣服らで使われ租税対象だったのは言うまでもない。

勿論、養蚕に関しては独自の信仰もあるかと。

この辺は今後の展開になるだろう。

昨今、修験らを追い掛けているので、血相変えて探し回らずとも仮に繋がりや近似の信仰具が出てくれば勝手にぶち当たる…こんなお気楽モードで待ちをかけるのも悪くは無い。

②にして③にして、ふらり思い付き遠征で見つけたもの。

単に「大陸に似たものがある」ではなく、「信仰対象である」とでどちらが蓋然性が高いか?…筆者は後者と考えている。

問題はむしろ、時代背景かも知れない。

 

我々グループのモットーは「楽しむ」。

こんな妄想から裏がとれたら儲け物。

とはいえ、それらは捨てたもんじゃない。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/01/164447

余市町茂入山…冗談とチームワークと執念」…

現に「ここなら城の条件ピッタリじゃね?」が、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/10/27/212200

「これが「余市の石垣」…現存している石垣を確認」…

石積み,石塁,石垣の現存確認に至り、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/21/204519

余市の石積みの源流候補としての備忘録-8…中世城館資料の北海道版「北海道のチャシ」に石垣はあるか?、そして…」…

石工の活動や、技術を伝えたであろう修験者らに至り、こんな話迄に膨らんでいる。

発想は自由で良い。

後は、それが仮説として成り立つか?を何処まで追い掛けるか?だけの話…筆者はそう思う。

故に「楽しむ」。

「子曰く

之れを知る者は之れを好む者に如かず。 之れを好む者は之れを楽しむ者に如かず」…

片道470kmの遠征も楽しくてしょうがない。

 

参考文献:

「尾駮の駒・牧の背景を探る」 六ヶ所村「尾駮の牧」歴史研究会 2018.7.30

 

「丸山古墳」 渋川市教育委員会  昭和53.3.31