https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/06/17/060823
さて「石積みシリーズ」のある意味本命である。
北海道の中世城館に石積み,石垣はあるのか、気にはならないか?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/09/07/112501
「北海道弾丸ツアー第四段、「中世城館編」…現物を見た率直な疑問、「勝山館は中世城館ではないのでは?」」…
この通り、道南には中世城館はあるが、石積みらしきものを確認出来たのは上ノ国の「勝山館の館神八幡神社の基壇部」のみ。
中世城館調査は各県毎に行われているが、北海道版が探せていなかった。
筆者の拙い検索能力ではこれが探せていなかったのだが…
実は北海道版は「北海道のチャシ」と言う事で発行されていた。
それも、渡島半島の中世城館は含まれておらず。
まぁ愚痴言ってもしょうがないので、この際チャシの中にその記載がないものか?探してみようではないか。
これが同書にあるチャシの分布。
で、ここで先に結論を言おう。
「無い」…
以上。
厳密には、確認してきた北東北の中世城館調査結果の様に、縄張りと詳細が載っている訳ではなく、単に一覧表と代表事例の地形図が載っているだけ。
一覧表内に「石積み,石塁,石垣」の記載が無い以上、従来基準で言えば無いものとせざるを得ない。
と言う訳で予測通り、最北を秋田にして、青森,岩手の延長線上の北海道のチャシには石積みは無い事になる。
終了…
って、ここで終わっては、何の為に資料とニラメッコしたか?何の意味も無いので、折角なのでデータを捏ね繰り回してみよう。
チャシは明治から調査が始められているが、昭和33年の「網走市史」上で河野広道博士がその立地条件より、
・丘先式
・面崖式
・丘頂式
・孤島式
この四種類に分類する事を提唱し、現在は
・繰を持たないもの…Ⅰ
・丘頂式・孤島式…Ⅱ
・丘先式…Ⅲ、Ⅳ
・面崖式…Ⅴ、Ⅵ
と、4式6類に大きく分類される様だ。
この際、詳細が解らないので現状の4式に分けて道南、西蝦夷地、東蝦夷地の分類を比較してみようではないか。
定義は、
①地域
・道南…
渡島,桧山
・西蝦夷地…
後志,石狩,空知,上川,留萌,宗谷
・東蝦夷地…
だ。
これで概ね、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/03/09/204601
「枝幸の湊は何時からか?…「枝幸町史」との整合と「湊,津」の特定の為の備忘録」…
江戸初〜中期の認識なのではないだろうか。
②カウント数…
10年に渡る調査で記載された総数は483箇所だが、その内チャシではない?と記載された4箇所と不明の1箇所はデータから抜いた。
これを、
・繰を持たないもの…Ⅰ→A
類例…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/05/02/070949
「時系列上の矛盾…瀬棚町「瀬田内チャシ」は江戸期の物、中世迄遡るのは難しいと報告されていた」…
瀬田内チャシは4段の段構造で、明確な空堀,土塁を施さないのでこれになるのだろう。
・丘頂式・孤島式…Ⅱ→B
類例は…
伊達市「ポンチャシ」。
これが丘頂式。
丘一つ使い、その頂頭部を平滑し、周囲に空堀や土塁を施す。
・丘先式…Ⅲ、Ⅳ→C
類例…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/07/07/205357
「北海道弾丸ツアー第三段、「静内篇」…どうせ見るなら本命級「シベチャリチャシ」!だが、本当に砦なのか?」…
ご存知「シベチャリチャシ」がこの丘先式。
舌状台地の先端を平滑、根元部分に空堀を施し切り離す。
・面崖式…Ⅴ、Ⅵ→D
類例…
「https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/04/20/193208」…
「時系列上の矛盾&生きていた証、続報39…ユクエピラチャシから出土した鉄器、これ「馬具」では?」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/04/19/202122
「北海道には文字がある、続報8&時系列上の矛盾…最大級「史跡ユクエピラチャシ跡」とは?、そして消えた「墨書礫」」…
「ユクエピラチャシ」が面崖式だろう。
…として分類した。
尚、複数の特徴を持つものは先に記載される方式を優先、分類空欄のものは「段丘先端→丘先式」、「段丘(のみ)→面崖式」としてカウントしている。
詳細図が記載されないのでやむを得ず。
故に現状迄の研究とは若干差はあるものと考えて戴きたい。
まぁ我々的には傾向さえ見えれば良いのだ。
予測としては、東蝦夷地→丘先式や面崖式の比率が高く、西蝦夷地→丘頂式,孤島式の比率が若干上がる…だ。
ではその分布はざっとこうなる。
道南の数に関しては、「砦の一種」と考えれば中世城館が別途カウントされるので、このままにはならないだろうが、総数に対しては、
・道南…2.5%
・西蝦夷地…16.6%
・東蝦夷地…80.9%
と、本文や従来言われているようにチャシ分布的には西<東なのはハッキリ出ている。
丘頂式,孤島式の比率は、道南では幾分多い印象だが、あまり顕著な差は出ていない様だ。
むしろ、東蝦夷地側に向かい面崖式が顕著に多くなる感。
恐らく、一河川系においてまるで河川を監視するが如く、丘先式と面崖式が分布する為ではなかろうか。
又、海岸揃いの丘陵に面崖式が並ぶケースも多く、一地域で複数のチャシがありカウント数が伸びる傾向も合わせて書いておく。
では、これが北海道固有か?
従来言われているように「16~18世紀、遡って14世紀」…こう言うなれば、そのモデルとなりそうな事例は既に11世紀の東北で確立されている。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/11/24/204137
「防御性環濠集落の行き着く先−2…陸奥安倍氏の居館「鳥海柵」とは?」…
「鳥海柵」を中心とした「俘囚長安倍氏」の安倍十二館、これらは北上川や並行する街道筋をその台地両岸から監視する様、複数の城館を築く。
まして一つの館自体が空堀で仕切られた複数の「郭」を持つ。
謂わば複数の丘頂式,面崖式チャシを一箇所に纏めて巨大化させた様な形。
河川や低地(街道)を挟み台地が迫る地形なら、そんな風に複数の拠点で監視して当然だろう。
陸奥側の中世城館は、こと平城や平山城に関して言えばこの様に空堀で複数の郭を築き、それぞれの郭に役割を持たせた様な構造は多い。
根城、浪岡城らがそうなのではないだろうか。
対して日本海側、出羽では、平野,盆地が比較的にだだっ広く、そこにある丘一つを城館として利用すれば、四方を見渡せる訳だ。
これが同時期なら、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/11/23/192410
「防御性環濠集落の行き着く先−1…出羽清原氏の居館「大鳥井山柵」とは?」…
「俘囚主清原氏」の「大鳥井山柵」。
ここはそれだけでなく、街道を挟み独立した丘と丘をそれぞれ要塞化した抜群の監視力。
これは丘頂式,孤島式のベースととれば、時間軸で二百年は遡るので、ここからの系譜と説明出来てくる。
まして「鳥海柵」も「大鳥井山柵」も防御性環壕集落の行き着いた先。
道内にも防御性環壕集落は存在するのだから、それぞれが系譜の元祖だとしても否定する材料もないのではないか?
もっとも、元祖の方が数倍巨大な規模を持つが。
そこは構築者の勢力差,戦力差で説明はつくだろう。
さて、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/06/20/122947
「何故、十三湊や秋田湊である必要があったのか?…「津軽海峡」を渡る為の拙い記憶の備忘録」…
海流を考慮すると、より松前より遠いところ、より本州でも南側からのアクセスが考えられる。
特に釧路周辺(124箇所)は他所でも多い地域(十勝70,根室69)の倍位集中している。
その周辺にチャシを築く必然的理由があったであろう事は想像に優しい。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/19/170920
「「1643年」の北海道〜千島〜樺太の姿…改めて「フリース船隊航海記録」を読んでみる④「厚岸編・まとめ」」…
短絡的に結びつけてはいけないが、1643年段階でノイアサックもオリも、金銀が採れるのは「シラルカ(白糠)」だとハッキリ言明している。
現状ヒントになりそうな記述はまだ巡り合っていない。
備忘録である。
また、これら分布はかなり地形的には必然なのだろう。
実際、北海道をレンタカーで走ってみると、海岸まで丘陵が迫り、特定大河川を除けば河川が細く、且つその大河川周辺は低湿地が広がる。
なら、出羽型の丘頂式,孤島式よりも、陸奥型の丘頂式,面崖式を多数並べた方が成立させ易いだろうなとは漠然と考えていた。
こと、昨今こんな事を知ってしまえば、陸奥側の影響が強そうだなと予想も出来る。
陸奥側の系譜が強いだろうな…こんな事から、最初の予測を立てた訳だ。
まぁこれらは、敢えて東北の中世城館を北海道の分類に当て嵌めて、その年代や分布比較を行えば自ずと系譜は見えてくるであろう。
さて、ちょっと気になる事を…
実際、伝承を伴うチャシはそれほど多くなく、伝承上の話との整合がとれているものは殆ど無いようだ。
で、伝承を纏めるとこうなるそうで。
(カ)にある「観光用に製作」…これはなんだ?
確かに、本州でも観光施設として「城風建物」は作られている。
これは、その時代には有り得ない天守閣風建物を建てて中は資料館や展望台として利用しているパターンだ。
中世城館跡付近に建てても、端から観光施設だと解る様になっている。
なら北海道は?
まさかこの中に、そんなものが混ざっている事はないだろうな?と言う事だ。
実際、こんな前例は存在する。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/07/19/204031
「建築系論文に見られる「時空のシャッフル」…「学術」と「観光」の区別はあるのか? ※追記有り」…
大型の古潭は、開拓使の呼びかけに周囲の人々が応じ、農業への転換や土地給与も含めたパッケージで作られた人造の物が主。
中には観光古潭として施設化したパターンもあるので、観光要素が混じり兼ねない。
この(カ)が、この一覧から削除されていれば問題無いが、そんな詳細は記載なしだし、そもそも発掘どころか実態計測だけで地権者との調整に手間どり、予定より調査期間が伸びた記述がある。
更に言えば、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/19/203842
「時系列上の矛盾…「十勝太海岸段丘遺跡」にある浦幌アイノの痕跡と火山灰の壁」…
こんな事例の様に、伝承があっても自然地形や別物だったりするケースはある。
伝承そのものですら、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/13/210459
「時系列上の矛盾…城柵,環濠集落,チャシ、ならば十二館もみてみよう、でも「?」 ※追記あり」…
道南十二館ですらこの有り様。
これに至っては、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/19/170920
「「1643年」の北海道〜千島〜樺太の姿…改めて「フリース船隊航海記録」を読んでみる④「厚岸編・まとめ」」…
構築者と話を語る者が別集団と言うケースも知っている。
極率直に言えば「本当に大丈夫なのか?」だ。
上記の通り総計で480箇所程度。
本州各県の数的には半分。
一個のエラーデータのインパクトは単純に倍になる。
又、この伝承でも構築者がアイノ文化を持たぬ集団を謳うケース。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/06/15/120448
「空堀は何工数,何日で築かれたか?のきっかけ…入口として「遠矢第二チャシ」をみてみよう、ただ…」…
構築者や年代の検証は大丈夫か?だ。
本体そのものに遺物は無くとも、隣接する部分に竪穴住居跡…擦文文化遺跡があるケースも
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/04/192347
「時系列上の矛盾④…二風谷遺跡の包含層遺物、そしてまとめ」…
この通り。
本文中にもそれらしい事はある。
更に、そもそも論だが、
文化そのものとチャシの明瞭な位置づけが出来ない段階で、定義の設定が可能なのか?だ。
ぶっちゃけた話、
・道南の防御性環壕集落とチャシの差は何か?
・道南の中世城館とチャシの差は何か?
・それらと対岸、東北の防御性環壕集落,中世城館との差は何か?
・系譜はどうなのか?
これらを追い掛けて、それぞれ定義化と分類化、系譜化が出来ているか?
疑問に思わないか?
ましてや「本州にも居る」と言う研究者も居る上に、主な利用年代が「16〜18世紀である」と言うなればだ。
まぁこの辺も、後々の宿題にしておこう。
実際に残る古文と遺物を整合すると、イマイチ釈然としない。
我々は我々で学べば良いだけの事。
人は人、我々は我々だ。
参考文献:
「北海道のチャシ」 北海道教育委員会 昭和58.3
「よみがえる北の中・近世−掘り出されたアイヌ文化−」 (財)アイヌ文化振興・研究推進機構 平成13.6.2