北海道弾丸ツアー第三段、「静内篇」…どうせ見るなら本命級「シベチャリチャシ」!だが、本当に砦なのか?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/07/07/174555

一泊二日はわざとそうしているのではない。

社会人なら当然、仕事や家の事が優先される訳で、時間の制約は極当然。戻りのフライトまで如何に有効に使い切るか?…それが成功の可否を決める。

最東到達地を様似にした限り、戻りをどうするか?

と言う訳で、静内へ戻り第三の目的地「シベチャリチャシ」へ。

でなくとも、昨今、東北の中世城館や松前城は回った。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/06/28/202837

発掘調査報告書や日本城郭大系らは少しずつ見始めているが、まだ実物は見ていない。

折角行くなら、本命級でシベチャリチャシ跡を選んだ。

実は、平取は二風谷に行った時に、ユオイチャシ跡は見学可能なのは聞いていた。

だが、そのポリシーを貫く。

以前取り上げた項。

そしてこれがシベチャリチャシ。

 

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/05/180013

保存されてるのは先端の主郭部分と空堀部分。

 

だが、

「シベチャリチャシ跡では、チャシ主体部で、現存する壕に沿って強い反射領域が得られ、壕の内側に盛土があった可能性が示唆された。

主体部の南東側では、連続する壕状遺構の反応が得られ、現在は埋没した壕を捉えた可能性が高い。

また、この周囲には複数の強い反射が点在しており、建物等があったと推察される。

以上の結果から、シ ベチャリチャシは複数の壕を有し、その規模は現 在よりも広大だった可能性が高い。」

「地中レーダによるチャシ跡の探査研究」 泉吉紀/酒井 英男/中村 和之/斉藤 大朋  2016.10.16  より引用…

 

藤本氏らの発掘の後、2016年に地中レーダー探査を行っており、空堀は休館中の資料館らの方まで伸び、平地で保存される方にも建物等があり、もっと大きかった可能性があるとか。

とは言え、見た極率直な感想は「思っていたより遥かに小さい」だ。

まぁ、筆者が東北で高屋敷遺跡ら防御性環濠集落跡を、平安でも大鳥井山柵や鳥海柵を、中世では檜山城や脇本城の山城、中世城館を見てしまっており、そっちの規模が物差しになってる部分があるのはあるだろう。

舌状台地の先端の主郭と言えば、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/06/02/203302

この伊勢堂岱遺跡に付随する中世城館の主郭より一回り二回り位大きいだろうか?

同じ舌状台地を空堀で切る構造なら、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/11/24/204137

こっちは平安期にも関わらず、複雑且つ更に数倍の規模…

個人的感想なんでご容赦を。

 

率直な所を続けよう。

・定義が解らないので、何が東北の中世城館と違うのか?同じ蝦夷(俘囚)で。

・現物を見て本当に砦の機能を持ったのか?

疑問になったのが事実だ。

特に後者を述べよう。

まずは北海道の地形。

海沿いまで(木は生えているが)垂直に切り立つ崖になってるのは、行ってみて解った。河口を除きずーっと続いてる。

これは前項にも書いたが、新冠→静内→三石→浦河→様似と車で走ってみて、二級河川周囲に開けた平地(それでも狭いと思ったが)以外はかなりこの崖が続く。

この点で、最早天然の要害となっており、

シベチャリチャシから静内川方面を見ると、遮るものなく海や町を確認出来る。

とは言え、反対側は?

 

Google Earthの画像より。

赤線が大体の登って行く道路。

勿論、当時の地形と同じではないだろうが、静内川と逆側から登り、紫マーキングしている方から攻めれば主郭側へ逃げ込むしかない。

1条2条の空堀があった程度で、主力武器の弓矢で攻撃されて守り切れるのか?

筆者が攻め手なら当然そうするし、そうせざるを得ない。

チャシ跡はシベチャリチャシに限らず、船を監視するが如く川沿いに点在するらしい。

なら背後はどうやって守る?

立ってみての感想。

とても単独運用出来る様には感じなかったのだ。

これが、ユオイチャシ,ポロモイチャシの様に、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/04/192347

複数の砦を設けて、裏側に居住区を置く…これなら解る。

又は、羽黒山蝦夷館の関係だ。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/12/02/204631

まぁ以前より、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/30/142801

単独運用は無しで、複数の砦(曲輪と考える)を山の際に置き、山の真ん中に居住区を置く、そして攻め手が来たなら、各砦から増員…

この場合でも一つの山で運用する為、それなりの人員は必要となる。

なら、居住区遺跡は?

まぁユオイチャシ,ポロモイチャシならその真ん中に二風谷遺跡があるので納得だが、シベチャリチャシは?見つかってない…というか、調べていないのでは?

こうなると、あれは何の為の空堀なのか?、本当に砦なのか?と、疑問が沸き起こった次第である。

東北の中世城館も場所により対になってる事があるし、先に貼った安倍氏の城柵「鳥海柵」も、現実には平地の進軍ルートを塞ぐべく、12の城柵で崖下の街道監視と進軍した敵を取囲み潰す意図は示唆されている。

崖を有効利用するなら、それが強いのだが、背後の守りはどうする?

 

で、舌状台地の根っ子の方から、空堀を挟み主郭を眺めながら思ったのは、これ…砦でなく、寺社ではないか?だった。

主郭に途中で見た小型の神社を建てたのを空想すると、サイズがピタリだったりする。

つまり、館神や金山神社ら。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/06/06/193926

ここ最近学んだところだ。

更に空堀は、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/05/21/210704

こんな風に神域と俗世を分ける「垣」だと見立てれば、案外納得出来たりする。

シベチャリチャシは、本発掘が古い為発掘調査報告書として発行されている訳ではなく、地元の雑誌に寄稿されており、現物はまだ読めてはいないし、構築年代も把握出来てはいないので、ハッキリは言えないが。

 

いずれにしてもシャクシャインの時代には、金掘り&キリシタンが来道中。

キリシタン系が強い集団が入ったなら、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/04/26/125931

寺社を見つければ、ぶっ壊して終了。

 

非常に率直に見て感じたままを書いてみた。

ここで、予定外の事がある。

筆者は事前準備をあまりしない。

併設の資料館らが閉館中とは知らなかった。

ここで混乱、「新ひだか町博物館」には寄ったが、シベチャリチャシの遺物は見れず。

何となく不安にかられたら案の定、日高道鵡川~厚真で通行止めに。

次に回れるのか?

帰りのフライトは?

不安にかられながら、時計をみながら、車を走らせる…

 

 

 

 

参考文献∶

「地中レーダによるチャシ跡の探査研究」 泉吉紀/酒井 英男/中村 和之/斉藤 大朋  2016.10.16